短編小説 抱きしめられた俺
逃げたっていい。
そう思いながらも自分からは逃げない3年だった。
色々試したりしてあーでもないこうでもないと言いながら、ただどこかで、報われたいが消えない。
そういう生活が続いていたある日、雨も雪も降らない夜の道、拾ってしまった。
しかも、前の彼女さん、その人だった。
彼女はどこにも帰りたい場所はなく、流れで家に招き入れ、そこから自分の部屋にかれこれ1週間近く、住み着いた。
初めは顔色は悪く、眠って起きて、食べて、少し動いて、そうして3日目くらいか、俺の部屋の本の感想を話してくれるようになった。
話せるようになった頃に2人で相談してルールを作った。
自分が使ったもの、使う範囲しか掃除や洗濯はしない。
食費の半分は出す。幸い彼女は蓄えには問題なく、スマホは無くしたが、財布等は持っていた。あの青い財布を見た時心にあったかい球体ができた気がした。
そして寝る時は必ず一緒に寝ない。年頃の男女だ。同じベッドに入る事は絶対に良くないことが起きるし、自分はそれをすると思ったから。
ロフトの上に彼女は寝床を作りそこで寝かせた。
正直に言うと初めは悶々とした気持ちはあったが、我慢できる範囲だった。
そして出て行く時は必ず一筆を書いて出て行くということ。
俺がいない間は部屋で本をひたすら読んでいて、本を読むことが少し飽きてきたら自然に囲まれている。
自分は仕事だけど、ご飯は一緒にとってくれる。夜遅くても必ず起きている。まるで母親だ。
5日目くらいから仕事の話をしたり、店長の話をしたりするようになって、昔一緒に働いてた時の店長の経験を話してくれた。
だけどあの頃のどうだったとか、今何をしてるかとか、言いたいことと聞きたいことを我慢する日々ではあった。
この子が話したくなるまで待つ。
それは自分への課題としてとどめている。
昔の俺は相手にはほっといてと言うくせに、相手のほっといてをほっておけない、所謂自分勝手でメンタルが弱かった。
今強くなったとは言えないけど我慢は前より出来る。だからひたすら待つ。もし話す事なく、家を出てしまったらそれでもいいと思う。
居心地が良いというのは、いつか後ろから過去や目を向けないといけない問題が追いかけてくる事を知っている。その日が来るまで。
仕事を辞める日を決めて、あとは引き継ぎ等で来月には新天地。
やっと一つの問題が解けて、早めの帰宅をすると部屋には彼女はいなかった。
この時間はと重い窓を見ると、ポツンと一つの人影。
そこまで歩いて、名前を呼ぶ。
するとこちらに目を合わせて、
おかえり。
と言ってくれた。
帰って食事をしながら転職がうまくいき、退職日が決まったと言うと、彼女は嬉しそうにおめでとうと伝えてくれた。
この人とまた付き合う未来はあるのだろうかと、今思う。だけどきっと、色々解決しないと、そこまでは行けないだろう。
紆余曲折あり偶々再会、そしてそのままゴールインなんて虫が良すぎるのと、過去の清算を無視はできない。
お祝い何食べたい?
と聞かれて、過去に就職が決まったら一緒にすき焼きを食べる約束をふと思い出した。
だけどそれより色濃く味を思い出したのは一つだけだった。
そう、誕生日に、あの実家の小さな部屋で食べた。
せーのでさ、俺の食べたいもの当ててみようよ。
彼女は少し考えて、良いよと言って、
せーの。
彼女が来て1週間が過ぎた頃、
スマホを貸して欲しいと言った。実家に電話する。
それはそうか。実家暮らしで音信不通は流石に、もしかしたら被害届が出てるかもしれないが、彼女の精神状態ではそこまで気は回ってなかったのだろう。
スマホを貸して会話が聞こえてくる。きっと怒られてるのだろう。古き良きというか古き惡しというか、まあ昔ながらとお父さんとお母さんである事は知っている。一度も会った事は無かったけど。
そして彼女が言い返す声が大きくなってきたその時、そっとスマホのオフボタンを俺は押した。
何も無かったようにパソコンの画面に戻ると、背中から聞こえた。
どうして、何も聞かないの?
いつか聞かれるかと思ってはいた。そしてその質問をどこかで待っていた。
俺昔、待てない事で、待たせる事で、自分のやりたい放題だったと思う。今はそれがダメだったと思う。待たされる側の気持ちになりたくない、だけど相手を待たせるって本当に、最低だと思う。だから今回は、待ってみようと思った。待ってくれてた君の気持ちを知るためと、待たずに急かされる苦しみは、もうよく分かったから。
あの時は本当にごめんなさい。
頭を下げる時には涙を流した。昔の自分だったら言い切ること出来ず、涙を流しただろう。
何にも無かったかのように、自分は前を向く。
ちゃんと前を向いて、諦めなかった結果、過去をちゃんと謝れる機会に感謝をして。
止まらない涙をどうするか、と考えている最中だ。
席を回され、そして自分を抱きしめてくれた。
頑張ったね。
懐かしい香りが、更なる涙を起こす。
頭の上に何かが絶え間なく落ちてくる。
今日は2人とも大雨だ。
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