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熱量から生まれるメッセージ性

思いは必要か

何かを発信する時に、 "思い" って必要だろうか?

自分が発信する時に、 "思い" を込めているだろうか?

そんなことを考えさせられた。


伝えたい思い

私は何かをするとき、ほとんどの場合「伝えたい」なんて大それたことは思っていない。


ギターを弾くときは、

かっこよく弾けるようになりたい、

上手くなりたい、

早く歌いながら楽しく弾きたい。

そんな思いでやっていた。


ダンスをする時も、ただ楽しいからやっていて、

振りを覚えて、鏡を見て、かっこよく、可愛く、そしてより美しく見えるように踊っていた。


そんな私が、伝えたいと思って書いた文章は、伝わっただろうか?

自分が書きたくて心から伝えたいものを言語化してみた初めての試みは、どうであったろうか。


伝えたい思いがなくても、成功する時は成功するし、

伝えたい思いがあるからこそ、難しくなることもある。


思いがなければ伝わらない?

「伝えたい」という思いがなかったら、伝わらないだろうか。

ギターを聴かせて、ダンスを見せて、どうしたいのだろう?

何のために発信しているのだろう?

伝えたいものがないのなら、発信する必要はないのでは?


そうではない。

かっこよく美しく弾きたい、踊りたい。

その "あり方" こそが見ている人に伝わるのであり、

明確な "思い" という形でなくても構わない。


そういうものがなかったとしても、落ち込む必要はない。

熱量を持って取り組んでいるその姿が、誰かの心を動かす。何かを感じる人がいる。

熱量があれば、そこからメッセージ性が生まれるのだ。

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