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子育てにおいて、父親とはずるいのかもしれない

あっという間に9ヶ月。愛おしさが止まらない

あれよあれよという間に、娘はすくすくと育ち、現在9ヶ月。
ずり這いからハイハイへの移行期、もうすぐハイハイもできそうな予感がしていて、目が離せない。というか、何ができても、できなくても、やっぱり存在自体が愛おしく、未だ生まれてきてくれたことの奇跡が当たり前には思えない。

できることが増え、体力も増えるということ

何か一つを覚えると、それに関する伸び率がすごい。

ある日突然自分でコップ(両手の持ち手がついて、ストローがついているやつ)を持ち、飲みはじめた途端、それはいつでもできるようになった。

ずり這いの移動距離が最近増えてきたかと思ったら、どこまでも行ってしまいそうなくらいリビングを縦横無尽に動き回り、より一層目が離せなくなった。

離乳食は流動食に近いものから固形に近いものに徐々に移行してきたつもりが、いつの間にかスティック状のフレンチトーストを食べ、ごはんにお味噌汁をかけた米も平気で食べるようになった。

ずり這いから「座る」ということをできるようになった。

と、成長速度の速さに驚きながら、時々妻と目に涙を浮かべながら、その成長を噛み締めている。
同じ月齢の子供たちも同じように成長するものなのかもしれないが、そこに知識もなく比較もない私たちは、嬉々として娘の成長を楽しんでいる。

そして、確実に体力が強くなり、、、寝かしつけが大変になった。

寝かしつける時に気づいた、父親としてのずるさ

私が家に帰るのが19時半、妻は私が子供と過ごす時間が増えるようにと、その前にお風呂に入れてくれている。ちょうど帰った時に娘にドライヤーをかけているというのがいつもの光景。

そして晩ご飯を食べつつ、20時半ごろに娘が眠そうな顔になり始め、妻は娘を抱っこしミルクを片手に寝室へ。
以前なら、20分くらいで寝かしつけを終え、引き続き妻とリビングで過ごすというのが日常だった。
しかし、この1〜2週間、寝かしつけに1時間くらいかかるようになり、以前なら布団に寝かせながらミルクを飲みそのまま寝落ちする形だったのが、ミルクを飲み終えても寝返りをして四つ這いになり、布団の上であちこちゴロゴロし出すようになった。
それをずっと寝るまで待っているのも結構キツイらしく、ミルクの後に抱っこ紐に乗せ、寝るまで延々揺れる寝かせ方で、約1時間。
さすがに妻もちょっとイライラしてしまうようで、ここ数日私が代ることにした。

結果的には、やっぱり1時間くらいかかった。
ミルクを飲み終えてもずっとゴロゴロ、ズリズリ。寝る気配がない。しばらくして、抱っこして寝た後に布団に下ろしやすいよう、腰だけの抱っこ紐を装着し、寝る気配のない娘を抱っこしながらゆらゆらと揺らしていた。

そして、腕の中で寝ないままあちこち向いたり体をのけぞったりとしている娘を見て、思った。

かわいいいいいいいいいいいいいいい!!!

そう、父親のずるさとは、たまにしかしない育児で妻のサポートをしつつ大変さを共有しようとしつつ、やはりたまにしかやらない貴重な時間をどこか嬉しく思ってしまうことだ。

時には妻の美容院や歯医者の時に子守をする。気分転換に行っておいでとひとり日帰り温泉に送り出し、休日の午前中を娘と過ごす。

そのすべての時間に、娘の可愛さを感じてしまう。

休日に出かける時、私はなるべく抱っこをしたい。外食する時なども、子供を抱っこしながら食べるのも上手くなってきた気もする。そして、寝室で寝かしつけるために抱っこをしながら見る娘の顔に、愛おしさを感じずにはいられない。

これは、やっぱりずるいよね。

ささやかな「何もしない時間」を確保してもらいたい

毎日ほぼ24時間子供と過ごしている母親の大変さはいかばかりか。想像してみてもやっぱり想像が及ばない。
いつ娘を幼稚園や保育園に預けるかという話をする時も、理想を言えば(最近様々なニュースがあるので)施設に預けることなく3歳くらいまでは家の中で育て、公園などで他の大人と接しながら成長していく、みたいな理想もあることにはある。

しかし、日中仕事に行ってる父親とは違い、1日中子供と一緒に過ごしている母親は、ある意味常に「母親」でいなければならない。

保育園や幼稚園に預けることで、その時間は「個人」となり、いくら稼ぐとか、何の仕事をするとか、それ以前に自分としての時間を持てることになる。

仕事をしている時間はもちろん「何もしない時間」ではないのだけれど、「母親」という役割をいったん脇に置いておく時間は、すごく大切な気がしている。

人は、一つの役割だけでは成り立っていない。様々な自分のかけらを集めてこそその人である以上、一つの側面が強くなりすぎることで「自分ってどんなだっけ」となることもある。

子どもは一番大切だ。何よりも大切だ。だからこそ、適切な「自分としての時間」も必要だと思う。

母親にもぜひ、そんな時間を持ってもらいたい。そしてそれを実現するのが、旦那であり父親である僕の役目だ。

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