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大失恋。

「ラジオのスイッチをいれたときに、自分のお気に入りの曲がちょうど流れ始めると、幸せを感じない?神様が見てるよって合図みたいでさ」ってよっちゃんが言っていた。
今朝、FMをつけたときに、高3の合唱コンクールでクラスで歌った「初恋」のイントロがちょうど流れてきたから、私は今、よっちゃんからの合図だって受け取って書いている。

「17歳」

出会いは高3の教室。当時は1学年が12クラスあって、1クラスは45人編成。だからクラス替えをすると1/3くらいはうっすらと名前や顔を知っていても、残りのほとんどはよく知らない顔ぶれだ。

新学期の教室で掃き掃除をしているときに「剣道部だよね?」と聞かれたので「うん、そうだよ。そっちは柔道部でしょ?」と答えて聞き返した。剣道部と柔道部は格技場を半分に分けて使っている。その境目の畳のところで私が体勢を崩した鍔競り合いになったときに、よっちゃんは私の足元のすぐそばにいた。「このまま押されて倒れたら、寝技の人たちを踏んじゃうかもって思った」と私が言うと「俺だって、下がるなよ、踏むなよって本気で祈ったよ」って、寝技かけてる柔道部員たちの上に防具装着の剣道部員が落ちてきたら、痛いし見苦しいし臭いだろうって、2人で想像して会話が弾けた。このときが、友だちになったきっかけだった。

私はとにかく毎日が眠くて、いつも机に突っ伏して寝ていた。とある昼休みによっちゃんに起こされて、「お前んちの弁当を食いたい。自分が買う購買パンと交換して」と唐突に提案された。母の作るお弁当は料亭の仕出し弁当みたいな和食のおかずが詰められていて、庭の紅葉や千両が飾られていて、漆塗りのお弁当箱で、古風な和柄の布で包まれていた。いいよって返事をしたその日から、週に2、3回、私は机の引き出しからお弁当が消えていて、その代わりに500円硬貨が置いてあるようになった。「お前、意気がってるけど、育ちの良さは隠せないよ」って言われたことがあったけれど、「お弁当を綺麗に食べて、お箸も汚さずに、きちんと布で包んで美しい結び目を作るよっちゃんだって、私のことはからかえないくせに」って言い返したら、「そんなことは知っている」って憎らしい爽やかなVサインを決めて教室から出ていった。

高3の夏休みが明けて、私が受験をすることを知ると、よっちゃんは私に毎日厳しく勉強をしろと急かして、休み時間になると自分が使った赤本の問題に丸をつけて、こことここは明日までにやってこいとか、授業のノートの取り方が悪いとか、チェックするようになった。私が休み時間に起きているようになると、私はクラスの女の子たちと関わるようになって、体育の時間の2人1組を作るときに、余らないようになれた。クラスの皆がなんで私に厳しめに世話を焼くのか聞いたら、「こいつは出来るヤツなのにやらない。誰かが言わなきゃやらないから、俺が言うことにした。俺はこいつの弁当食ってるし」と有りがたいやら、鬱陶しいやら、正義感というか、母性というか、なんというかよくわからない。お付き合いをしていた私の彼までもが、よっちゃんは私の父親みたいで嫉妬する気にもならないと言って、よっちゃんはカッコいいからって前髪を真似したり、競って胸筋を鍛えたりしていた。

それから受験まで私はとにかくよっちゃんの言いつけを守ったし、よっちゃんは私に教えることで理解が深まるって満足げだけれど、自分が言うことは絶対に譲らない態度に私はたまに本気で苛つく。しかしながら繰り返し要点をゆっくりと整理する解説は結局のところわかりやすくて、おかげで私はちゃんとノートを取って課題に取り組む人になれた。

担任の先生との進路指導面談のとき、私の親は来なかったが、頼んでもいないのによっちゃんが親の席に座った。1日24時間、8時間の睡眠をとること、8時間勉強をすること、残りの8時間は食事や入浴を含めた自由時間にしていい、と先生とよっちゃんに1日のスケジュールを作ってもらって、単純な私は「8時間も自由時間があるなら楽勝!」と、自由登校期間は言われた通りのスケジュールで暮らした。

私は毎日、町の図書館に通って8時間勉強をして、わからないときはよっちゃんに電話をした。よっちゃんは、図書館の自習室で集中して勉強している人がいたらその側に座ること、その人が纏っている緊張感に影響されて勉強が捗るはずだからと、アドバイスをくれた。その通りにしていたら、私が狙いを定めて毎日近くに座っていた大学生が、「自分は明日から図書館に来ないけれど、頑張ってね。こっちも誰かが頑張ってると負けられねえって思えたよ」と、缶コーヒーを奢ってくれた。

「18歳」

私の進学が決まったときに、先生とよっちゃんが本当に毎日8時間勉強するとは思わなかったと感心していた。卒業式では私は思いがけずとても泣いて、お揃いの制服を着られなくなるのは寂しい、皆の気配を感じながらの居眠りをもっとしていたい、都会に通学するのは今さらなんだか心細いと、卒業式会場の体育館から教室に戻っても涙目で不貞腐れた。剣道部の後輩の女の子たちがやって来て、第2ボタンください、ネクタイもくださいってブレザーなのに、女子なのに、私は剥ぎ取られて可愛い花束をもらって、追い出されるように卒業を受け入れた。よっちゃんが、合コンしような、連絡するからなって手を差し出したから、お世話になりましたって、45度の最敬礼をして、握手をしてハグをして、ハイタッチをしてそれぞれの道に分かれた。

「22歳」

よっちゃんが大学を卒業して祖父と父親が経営する会社で働いているということは年賀状で知った。高校生のときに自分の進路はある程度決められているって聞いたことがあった。私の父も自営だったが小さな会社だったので、よっちゃんの家のように跡継ぎを考えることはなかった。けれども父が家で社長の顔でいることがあったり、会社の業績がよくなると急に倹約していた生活が派手になって戸惑うことがあるってことは、高校生のときに2人でしゃべっていた。卒業してからは、飲み屋でぼったくられたとか、プロポーズして撃沈とか、騙されて買わされて逃げられたとか、人には言いづらい近況をたまに電話で聞いた。よっちゃんは電話を掛けてきてどんなに話が盛り上がっても、私が家族に叱られないように必ず15分で切るようにするし、最後はいつも「幸せになれよ」って言っていた。

「25歳」

私は就職したホテルで、その日開催された講演会のお客様をお見送りするためにロビーに出ていた。そこへスーツを着こなしたよっちゃんが偶然現れて、取り合えず笑いをこらえながら真面目に名刺交換をして、私が仕事を終えたら食事をしようって待ち合わせをした。
「白いスパゲティを食ったことある?」ってメニューの写真をまじまじと眺めて、その日私たちは人生で初めてカルボナーラを食べた。
喫茶店を出ると港の方から花火の音がして、私たちは花火が見たくて人の流れの方に歩きだした。すると、酷くお酒臭い大きな男が横からふらっと現れて、私は腕を握られ罵声を浴びせられ引き摺られた。元柔道部のよっちゃんは男の肘を素早く掴んで捻って私の腕から剥がし、私の手を握って走り出した。逃げろ、逃げろって呟きながら走って、走って、へたれて、舗道に腰を下ろした。息が上がって港まで行けないから、ビルの窓に映るスターマインで満足することにした。
「柔道やってて良かったよ」「うん、よっちゃんの反応速かった」「寝技は苦手だけどね」「寝技、苦手なんだ」「剣道部に踏まれるかもしれないから!」

「33歳」

突然の訃報はよっちゃんの幼馴染みからの電話で知った。親が経営する会社で重要なポストに就いて、ちょっと精神的に参っているって言ってた半年前のよっちゃんの声がまだ鮮明に耳に残っている。葬儀の日程をメモする私は、悲しみや驚きという感情を失っていた。
喪服を着て遺影に手を合わせても、ご遺族の涙を目の当たりにしても、昼寝をしすぎたみたいに頭がボーッとしていた。よっちゃんのお母さまが私たち同級生の所まで来てご挨拶をしてくださって、別れ際に「クリスマスにサンタの絵柄の陶器のビールを送ってくださったのはどなた?」って聞いた。「親友からのクリスマスプレゼントなんだって子どもみたいに喜んでいたから」って泣いていらした。そうだ、クリスマスイヴにもよっちゃんは電話で「ビール、ありがとう。来年も幸せになれよ」って、言ってたんだ。

お経を背にしてお寺を出たら、震えて膝の力が抜けて涙が溢れて、声が出せなくて胃液だけが出た。元野球部と元ラグビー部に支えられて、看護師になった同級生に背中をさすられて、私は呼吸を取り戻した。ひとりで受け止めるな、皆で泣きなさいって、教え子に先立たれて小さくなっている先生が私の頭を撫でた。

高校生のときの私の彼はよっちゃんと同じ中学の出身だった。中学ではほとんど話したことがなかったけれど、私がよっちゃんと仲良くしていたから、自分も親しくなれたと言っていた。葬儀のときには別れたきり会っていないその彼も来ていて、「『幸せにするよ』って言う男より『幸せになれよ』って言う男の方が、お前にとっては宝物なんだよ。だから、とにかく今は俺がよっちゃんの代わりに『絶対に幸せになれよ』って言うよ」って肩を叩いた。

恋愛は終わりを意識しちゃうけれど親友なら終わらないって言ってたのに、私は親友に置いていかれた。電話の最後は必ず、「幸せになれよ」って、言ってた人がもういない。
いつもバイバイの代わりに「幸せになれよ」って、言ってくれたことによっちゃんの人柄の良さを感じていた。「頑張れよ」だったら、「もう頑張れないよ」って私は挫けたこともあったはずだから。

私、幸せになるよ。だからどうかあなたも幸せになってください。私が纏う幸福感に影響を受けて誰かが幸せになるなら、私はとても幸せだ。

「2020年」

いつだったか、免許を取ったばかりのよっちゃんの車でドライブに行ったのは、よっちゃんの幼馴染みを車で送った後の帰りはひとりでつまらないから一緒に乗ってよ、という依頼だった。「お前がいると心強くて俺はカッコつけなくて済む」とか言ってたよっちゃんはいつも大人っぽくてカッコよくて、幼馴染みが車を降りたあとも、後部座席でジンジャエールの缶を握ってずっと歌っていた私はいつだって子どもじみていてカッコ悪い。
あの日、「エンジンかけたときとか、カーステのスイッチをいれたときに、自分のお気に入りの曲がちょうど流れ始めたとき、幸せを感じない?神様が見てるよって合図みたいでさ」って言っていた。
だから、今朝、ラジオをつけたときに、合唱コンクールでクラスで歌った「初恋」のイントロがちょうど流れてきたから、私はよっちゃんを思い出している。さよならも言えずに別れたのは、もう随分と前のことだけれど、幸せになれよって合図が届いた気がしたのだ。

そして親友という誇らしい称号を持っているのに、その別れを大失恋。と表すことしか出来ない私の語彙力をよっちゃんは笑うんだろうな。