濃炭冷茶

背中のジッパーが壊れてしまっていて、私っていう被り物が脱げなくなった。 我慢して着続けるか、ジッパーをこじ開けるかを、もう何十年も決めかねている。 獅子座、 O型、剣道5段

濃炭冷茶

背中のジッパーが壊れてしまっていて、私っていう被り物が脱げなくなった。 我慢して着続けるか、ジッパーをこじ開けるかを、もう何十年も決めかねている。 獅子座、 O型、剣道5段

マガジン

  • 剣道のある暮らし

    へなちょこ剣士ですが、稽古を始めて15年、大勢の子どもたちと稽古をする道場、ここが私のアナザースカイ。( *´艸)

  • 思い出たち

    あの日の陽の匂い、風の柔らかさ、緑の揺れる音、なにかのきっかけで思い出す。遠くに行けない今だから、過去に旅に出る。

  • 育自日記

    子どもを育てているつもりが、結局は私が成長するための修行の育自なのです。

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祖父の噺

私の苦手なものは、気の利かない女と、言い訳する男と、オチのない話。それから、力任せにぶつかってくる剣士だ。こればっかりは本気でやめてほしい、とにかく痛くて怖くて泣けてくる。なお、食べ物で苦手なものは特にない。何でもモリモリ食いしん坊だ。 祖父は常々私に、物事にはオチというのがあって、それはとても大事だと言っていた。 警察官だったらしい祖父は、私が生まれたときには長唄と三味線と書道の先生をしていて、お弟子さんが自宅にお稽古に来たり、掛け軸や色紙などの作品を作ったり、大きな舞台

    • たのしいって何だ?

      剣道をのんびりゆるゆる17年。 いつも男性剣士の中に混じり、剣道も心も果てしなく未熟な私は常に自分をよいしょと奮い立たせて、大きな相手にぶつかっていく怖さとじりじり戦いながら、当たるか当たらないか一か八かで竹刀をえいやーと振っている。肩の力を抜け、緩やかに構えろ、しなやかに振れ、緩急をつけて、判断も振りも遅い、、と17年も言われ続けてそれらが出来ないまま週に1回程度の稽古で、じたばたしながら18年目の春を迎えてしまった。 「ねえ、地区の女子稽古会があったら参加したい?」と、

      • 剣道女子と女子会 3

        「大人になったら、素敵なイタリアンでお酒を一緒に飲みたいなあ」と10歳の女の子に言われて、「そうね、あと10年後ね」と笑っていた夢がついに実現した。 今回は、高校受験に合格したらお祝いの女子会をしたいと約束をしていて、見事に志望校に合格を決めてきた中学生二人と、高校生二人と、6年前に道場を卒業した大学生と私が集まった。5人編成チームと監督という感じだ。 「合格おめでとう!イタリアンのお店のランチコースを予約したので、保護者の許可をとって、自分の部屋を片付けて、帰宅時間を宣

        • いざ鳥取稽古会

          2泊3日5連休 「12月の鳥取稽古会に一緒に行きませんか?」 フォロワーさんのBALUSAさんからDMを頂いたのは10月のこと。「実現に向けて、仕事と家族の都合を調整します!」と即答して私は静かに動き出した。 まずは10月。病欠の緊急出勤が求められれば出動したし、エアコンのフィルター掃除、提案したスキルアップノートの設置、新人社員のフォローなど、地味に地道に下地を固めて、12月1~3日の希望休を勝ち取った。実は11月30日がたまたま休日というシフトマジックで、4連休なのだ。

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          プチトマトと餃子とアップルパイ

          プチトマト 父の入院中に実家の冷蔵庫を整理しに行った。おそらく父が家に戻ることはないので、私は父が手入れをしていた芝生の真ん中に穴を掘って、賞味期限の切れた刺身と豆腐と、サンドイッチとヨーグルトを埋めた。 1ヶ月後に父が亡くなって、慌ただしく実家に赴いた。和室の戸棚からアルバムを出して、葬儀に使う写真を選び、一息着いて障子をあけると、庭の真ん中に何本もの枝葉が伸びていて、たくさんの赤い実が光っていた。サンドイッチの具のプチトマトが、大地に飛び出したのだ。 縁側に出て父の

          プチトマトと餃子とアップルパイ

          ビビディ・バビディ・ブー

          私は何者にもなれなかった。大きな選択をしたことのない人生だった。何かに深くのめり込むことも、ひた向きに継続することもなく、気になったことに手を出しては小さな熱をもち、火がつく前にそれはすぐに消え、なんとなく、なんとなくを繰り返して、何も手に入れられず、私は何者にもなれなかった。 大きくなったら何になりたいの?と問われて、鍋に泥んこと近所のお寺で拾ってきた銀杏と姫りんごをピンクのシャベルでかき混ぜながら、「魔法使いになる!」と5歳の短パンの私は野望を抱いていた。 やがて制服を

          ビビディ・バビディ・ブー

          私の棺には木刀を

          5月に義母が急逝した。 嫁いだばかりの頃、旅館を切り盛りする義母はとても厳しくて、世間に甘えていた若い私たち夫婦は勘当されたこともあったが、そんなことはうんと昔の話だ。 「今年のお正月は三が日には行けないけれど、松の内には行くから」と夫が義母に電話をして、私が電話を代わると義母はとても饒舌で、旅館を廃業してからの暮らしはとてものんびりしていてちょっと退屈で、働かないということの優雅さと窮屈さを感じていると、私とは思いがけず長話になった。 義母は春先に体調を崩して入院をして、

          私の棺には木刀を

          女の子剣士と女子会 2

          道場に通う女の子たちが小学生だった頃、近所の集会所を借りて、スーパーでおにぎりやサンドイッチや唐揚げやお菓子を買って、女子会をしたことがある。 そのときに、集会所ではなくてコアラのマーチやキャラメルコーン、ペットボトルや紙コップではない、大人のカッコいい女子会をいつか必ずしてね、と小さな右手の小指たちにせがまれて、約束をした。 あれから7年、まだ彼女たちはお酒は飲める年齢ではないが、恋愛話をしたいお年頃になったので、女子会開催のリクエストに応えて駅前のカフェバーを予約した。

          女の子剣士と女子会 2

          マイボス

          私の身体は、しばしば亡くなった父に乗っ取られる。今日も、朝からそんな感じだ。 「俺は男ばかりの家系だったから、娘をどう育てていいのかわからなかった、子育てにはうまく関われなかった、まあ、でも、お前はなかなか面白いやつだよ」と父がお酒を飲みながら電話を掛けて来るようになったのは、私が子どもを生んでからだ。子どもたちに、「じいじだよ」とデレデレとおしゃべりをして、私と他愛ない話を30分ぐらいする。もっと父の生い立ちとか祖父母のこととか、私の子どもの頃の話とか聞いておけばよかった

          人形の夢と目覚め

          最近はオースティンの人形の目覚めと説明するより、お風呂が沸きましたのメロディーと言った方がお馴染みになったこの曲を、私は人生で2回、発表会で弾いた。 私は幼稚園に通っていたときに、教会でオルガンを習っていた。そして小学校に入学するときには、閑静な住宅地の戸建てのお家に引っ越しをして、リビングにピアノが置かれた。 オルガンをやりたい、ピアノが弾きたい、ピアノを買ってほしいと懇願した覚えがないので、両親が女の子の私に習わせたかったのだと思う。 弟がグローブを買ってもらって父

          人形の夢と目覚め

          笑う剣士に福来たる

          目標はある、稽古はない「2月の昇段審査は受けましょうね」と、支部長先生にお声掛け頂いたのは12月のこと。「目標を持って稽古をした方がいいからね」と背中をポンと叩かれて、「はい」と頷いたものの審査までは時間がない。時間がないけれど日本剣道形の自主練もしましょう、と先生方と準備を始めているうちに、まん延防止等重点措置により稽古もなくなった。 浮かれモード稽古自粛で剣道から離れていたから、審査会場の更衣室で剣道着に着替えたら清々しくて、防具を付けたら身が引き締まって、久しぶりに剣

          笑う剣士に福来たる

          クリスマスの小さな奇跡

          リビングに置いていた水栽培の球根から花が咲いた。花の色の鮮やかさだけではなく、アロマを焚いたかのような優しくて爽やかな香りに満たされて、癒されている。 花の香りに気づいた夫が話しかけてきた。 「この花、何て言ったっけ、んー、サン、、サンフランシスコだっけ?」 夫さん、遠くはないが絶対に近くない。サンフランシスコとヒヤシンス…サン・サーンスはフランスの作曲家、組曲の白鳥も、ここでは遥か遠い。 これらの語感で思い出した話がある。それが、クリスマスの小さな奇跡、の話。 当

          クリスマスの小さな奇跡

          上を向いて辞めよう

          私が所属する剣友会では、剣道の他にも習い事をしていたり、剣道以外の部活動をしている子どもが多い。過去に中途半端に剣道を辞めた私が言うのも変な話だが、剣道を辞めることを申し訳ないと下を向かず、防具をつけて稽古をした経験があると自信にして欲しい。 ミサちゃんは、剣道の他にピアノとバレエを習っていて、身体のしなやかさが自慢の小学生。中学受験を控えているので剣道を辞めることになったのだけれど、剣友会のお姉さんたちと離れがたくて、辞めたくないと泣いた。でもやっぱり剣道は大きな人に向か

          上を向いて辞めよう

          手前味噌

          「あなたは料理が上手ね」 私の作った卵焼きを一口食べて母が微笑んだ。そんな風に親に褒められたことがないから、素直に喜べずに困った顔をしてしまった。 「最近、頭がおかしいの」と母が揺らぎ始めたのは4年前だ。昔のことは懐かしそうにとても饒舌になるのに、少し前のことを覚えていない。日常的な身の回りのことはひとりで行えているけれど、母の記憶や行動や心の安定の補助が必要になってきた。 私が焼いた卵焼きを美味しいと微笑む母に、「私は母さんに料理を教わったんだよ」と答えると、「私は子

          手前味噌

          あのときのリレー

          小学6年2組Bチーム小学校最後の運動会。6年2組は1組には負けるわけにはいかないと、学級会で作戦会議が開かれた。私たちは小学校3年生までは町の中心部にある小学校に通っていた。1学年が12クラスのマンモス校から、山の上に開校された学校に移ると1学年は2クラスになり、クラス替えをしても1組と2組は何事においても毎年ライバル関係だった。運動会の6年生のクラスリレーはクラス全員で2チームを作る。ライバルの1組に勝つためには、足の速い人を集めたAチーム、遅い人を集めたBチームに分けて、

          あのときのリレー

          祖母の話

          以前に私が書いた母方の「祖父の噺」を、母が読んで泣いた。忘れかけていた父親の姿を、思い出せたと泣いた。物忘れが酷くなって本が読めなくなってしまったけれど、うん、うん、って頷きながら飲み込むようにして文章を読めたと、泣いていた。私が幼い頃に見た景色を文章にすることで、祖父と母が久しぶりに出会えたような気がした。だから、父方の祖母の話も書いてみることにした。 祖母は裕福な家庭のお嬢さまだったと、写真を見せてもらったことがある。女学生の祖母が「ハイカラさんが通る」のマンガで見たモ

          祖母の話