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【短編小説】優秀な部下

「全班、異常ありません」

「よし、そのまま各班全力を尽くしてくれ」

「了解」

 無線機で全班に指示を出したところで、私は席に着く。遊園地のフードコートは、休日のお昼時ということもあって人の数が多い。

「パパ、お水持ってきたよー!」娘の美奈が水の入った紙コップを両手に持って、テケテケとこちらに走ってくる。愛らしい姿だ。つい最近まではハイハイも出来なかったのに、今では立って走ることができる。その姿を見るだけで、目頭が熱くなる。

 私が笑顔で美奈に手を振ろうとしたその時、美奈の足がもつれ、体が傾いた。

 危ないっ! と私が声を出そうとした瞬間、美奈の前にサッと男の手が指し伸ばされ、美奈の体を支えた。そして紙コップからこぼれてしまった分の水をもう一人の男がすぐさまスポイトで注ぐと、ついでにみだれた美奈の髪をもう一人の女がセットして、三人は美奈が振り向く前に立ち去った。

 ポカン、としている美奈にすかさず私が「美奈こっちだよ」と笑いかけてやると、美奈はまた嬉しそうにこちらにかけてくる。

 私は、左耳にセットしている無線機に手を添えた。

「R班、よくやった」

「いえ、娘さんが無事で何よりです」

「うむ。R班にはボーナス追加だ」

「いえいえそんな。頑張ってください、社長」

 目の前の美奈が紙コップを私に差し出す。私が一口飲んでやると、美奈はにっこりと笑った。

 今日は美奈が五歳になる記念すべき日だ。これほど喜ばしい日はない。妻と別れ、男一人で娘を育てるというのはなかなかに難しく、いつも家政婦にまかせっきりで仕事で忙しい私ではあるが、今日という日は美奈を存分に楽しませるとずっと前から決めていた。

 そしてふとそんな話を会社で部下に話していると、

「それ、私たち社員にも協力させてくださいよ」と言ってきた。

 最初は冗談だろうと笑っていたが、その話はみるみる会社全体に広がり、ついには社員総出で美奈の誕生日を祝うことになった。私は社長であることを理由にそんなことをしてもらうことに気が引けていたが、社員は嫌な顔一つせず、会社の廊下ですれ違えば「社長、私たち全力でサポートしますので!」と声をかけてくれた。

 本格的に計画を実行するために、社員は班に分けられ、毎朝班のリーダーたちでどうすれば美奈が喜ぶかを話し合った。

 ある班は美奈の通う幼稚園に潜入し、美奈の動向を調査し、会議のたびに報告をしてくれた。会議以外の時でも、私が社長室で仕事をしている最中も時折社員が入ってきては「社長、美奈ちゃんは最近タピオカミルクティーに興味があるらしいですよ」と報告してくれた。そしてその日の帰りにはしっかりとタピオカミルクティーを購入し、美奈を喜ばせることができた。翌朝、そのことを報告すると、社員は自分のことのように喜んでくれた。よかったですね社長! と泣いて喜ぶ女性社員もいて、その姿に私も不思議と感動してしまい、一緒に泣いてしまう始末だ。

 今回の遊園地も、社員からの報告の中の『遊園地に行きたいと友達と話していた』という情報をもとに決定したというわけだ。

 そして誕生日当日。社員は休日返上で全員遊園地に集合してくれた。もちろんしっかりと給料は払う。社員たちは給料なんていらないです、と言ってくれたがそれは私が許せなかった。これだけ協力してくれる社員には給料くらいは払いたい。こんなにも給料を払いたいと思っている社長は世界でも私くらいだろう。それくらい、社員のみんなには感謝の気持ちでいっぱいだった。

「あ、パパ! 風船だよ!」美奈が風船を配っている着ぐるみのクマさんをみてはしゃいだ。

「ああ、そうだね。もらってきな」私がそう言うと美奈はクマさんのもとへ走っていった。

 私が後から歩いていくと、美奈は片手に風船を持って笑顔満点に私に寄ってきた。

「あのね! あのクマさん風船二つくれたの!」

「へえ! それは良かったな。きっと美奈がいつもいい子にしてるからじゃないかな」

 何を隠そうあのクマさんは私の会社の社員だ。しかも部長。私よりも年上で五十過ぎの部長は、今回の計画に率先して協力してくれ、クマさん役も自分からやると言ってくれた。

「だからね、パパにも風船一個あげる!」そう言うと美奈は、風船を私に差し出した。娘から何かを貰う日がくるなんて、と視線を前に向けると、クマさんならぬ部長が、親指を立ててグッドポーズをしていた。ありがとうクマさん、いや部長! と私も思わず親指を立てた。

 その後も順調に遊園地を楽しむことができた。メリーゴーランドは美奈が満足するまで回り続け、お化け屋敷では美奈を適度に怖がらせ、ゲームセンターのクレーンゲームでは見事にぬいぐるみを取ることができた。すべては社員が手配してくれたおかげだ。遊園地のスタッフに事前に協力を要請し、クレーンゲームでは誰でも取れるように設定してくれたのだ。

 日も暮れかけ、後は観覧車に乗って美奈に絶景を見せようと園内を歩いている時、後ろのほうで突然怒号が聞こえてきた。

「動くな! 俺は今爆弾を所持している! そしてこの遊園地には五か所に爆弾を設置した! 一歩でも動いたら爆発するからな!」

 男はそう言うと着ていたコートを脱ぎ捨てた。男の全身には爆発物らしきものが巻き付けられ、右手にはスイッチを持っており、ニタニタと笑っている。

 すると、左耳の無線機から社員の声が聞こえてきた。

「おい、A班からK班は爆弾の捜索に入れ! 決して犯人には気が付かれないようにしろよ! そしてL班からP班は爆弾を処理した後すきを見て犯人確保、Q班からZ班はまだ犯人に見つかっていないお客様を安全に遊園地外に避難させろ」

「了解」

「お、おい。ちょっと待て! お前らがそんなことをする必要はない。第一爆弾なんかお前らに処理できるはずないだろう」

「何を言ってるんですか。遊園地に行くというからにはテロ対策もしっかりと積んでいます。社員全員、爆弾の一つや二つ処理できるように訓練してきました。社長は美奈ちゃんを怖がらせないようにしておいてくださいよ。すべては美奈ちゃんのためですから」

「……わかった」そう言って、横にいる美奈の顔を覗き込んだ。

「パパ、あの人なーに?」美奈が不安そうにこちらを向く。

「ああ、あれはヒーローショーだよ。わるーい男の人がこの遊園地を乗っ取ろうとしているんだ。でも大丈夫、いまからヒーローが助けに来てくれるからね」

 すると、無線機から報告が流れてきた。

「G班、H班、I班、それぞれジェットコースター内、ゲームコーナー、フードコートにて爆弾発見。処理に入ります」

「A班、B班もそれぞれコーヒーカップ、キッズコーナーにて発見。処理に入ります

「こちらZ班、まだ見つかっていないお客様を全員避難させました」

「よし、爆弾処理班、練習通りにやれば大丈夫だ。しっかりな」

 数秒の間、沈黙が続いた。目の前では犯人が何やらわめいているが、もはやそれよりも社員の命のほうが心配だった。

「爆弾処理班、五か所すべて爆弾処理完了しました!」その報告が入り、ほっと胸を撫でおろす。

「よし良いぞ! 続いて犯人確保班。作戦に入れ」

「了解」

 そう言うと、突然銃声が園内に鳴り響いた。見てみると、犯人がスイッチを持っていた右手を抑えて倒れこんでる。どうやら今の銃声は犯人の持っているスイッチを社員の誰かが狙ったもののようだった。

「今だ! かかれー!」

 すると隠れていた社員たちが一斉に犯人に襲い掛かり、あっという間に犯人に巻き付けられた爆弾を剥ぎ取り、確保してしまった。

「すごいすごい!」横で美奈がはしゃいでいる。私は社員が心配で彼らに駆け寄ろうとしたが、無線機でそれを止められてしまった。

「さあ社長、後のことは我々で処理しておきますので、社長たちは観覧車に。今の時間帯が一番きれいな景色が見られますので」

 もうここまでくれば彼らの指示に従おうと素直に思った。こんなに優秀な部下を持てて、私はなんと幸せなことだろう。

 私たちは観覧車に乗った。そこから見える街並みは、真っ赤な夕日に照らされて一日の終わりを幻想的に告げていた。この景色を美奈に見せられて本当に良かった、と横にいる美奈に目を向けると、美奈はなぜか窓から下のほうを覗いていた。

「パパ見て!」美奈に言われるまま下を覗くと、地上では社員たちが全員で並んで、大きく『ハッピーバースデー ミナちゃん』と文字を作って手を振っていた。私の知らないところで、社員たちはどれだけの準備をしてきたのだろうか。

「これってパパがやってくれたの? 嬉しい!」美奈が今日一番の笑顔で私に抱き着く。私は美奈を力いっぱい抱きしめ返した。

「ああ、嬉しいな。私も本当に嬉しい……」

 両目から流れる涙を抑えることも忘れ、私と美奈は地上にある最高の景色に手を振り返し続けた。

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