見出し画像

国語の成立とリテラチャー

 いっしょに哲学を勉強している(実際には、教えてもらっている!)友人から以下のような話を聞いて、なるほどと思いました。

1.現代ドイツ語の成立
 19世紀末にドイツ帝国(1871-)が成立するまで、同地域はさまざまな公国に分かれていました。ざっくり言うと、260 余りの諸藩に分かれていた江戸時代の日本のようなものです。そして、江戸時代の日本と同じく、その地域に住む人には、ドイツという国や、ドイツ人というアイデンティティ、そしてドイツ語という国語はありませんでした。
 友人の話によると、ドイツ語の成立に大きく寄与したのは、ゲーテ(1749-1832)とシラー(1759-1805)だそうです。

2.日本語の成立
 江戸時代には、日本という国や、日本人というアイデンティティ、そして日本語という国語はありませんでした。この列島の大部分の人は、律令時代の国やその上に乗っかってできている藩というユニバース(宇宙、世界)で生きていたと言っていいでしょう。そして、幕末の大動乱*を経て、日本国が形成され、日本人が作られることになります。
*幕末の動乱については、ペリー来航(1853年)がきっかけのように語られることが多いですが、実際にはそれより50年ほどさかのぼる文化露寇(1806年と1807年)あたりにすでにその「兆し」があります。
 取りあえず作られた「日本人」は、「近代国家を作る」という部分で仮初めに一つになっているだけで、そこには江戸時代以来の文化と言語のひじょうに豊かな多様性がありました。そして、言語については、話し言葉は言うまでもなく、書き言葉のほうも、「日本語」と呼べるようなものはありませんでした**。
**当時の話すことの言語生活の様子については、NHKの『國語元年』(1985年放映、井上ひさし作)でコミカルに描かれています。残念ながら見ていません!
 そんな中で、日本語の形成、書き言葉と話し言葉両方の日本語の形成に大きな役割を果たしたのが、明治の文豪、夏目漱石と森鴎外だそうです。友人は、幸田露伴も入れてもいいのではないかと言っていました。ふーむ、なるほど!

3.リテラチャーと思考方法と意識
 国語の成立は、日本人という意識の成立と「二人三脚」の関係になっていたおんだろうと思います。そして、書き言葉の世界の出来事である、新たに作られつつある日本語での新たに生まれつつあるリテラチャーは、日本の読書人の間に近代的な思想と近代的な思考法を培っていったことでしょう。

 近代的な国家づくり、そしてそれに伴う日本語づくりを、この列島の人たちは、維新後のわずか50年ほどで成し遂げたようです。明治の「勢い」、あるいは何がなんでもの「悲壮感」です。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?