西口光一

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西口光一

マガジンの目次はこの左フラッグ一番下の「すべてのマガジンを表示」をクリック。人文学とことば学を基盤とした言語教育。『新次元の日本語教育の理論と企画と実践』、『第二言語教育のためのことば学』、『メルロ=ポンティの言語論のエッセンス』他。大阪大学名誉教授。広島大学特任教授。

マガジン

  • CEFRからの引用など

    CEFR(2001)やCEFR(2018)には、実は、共通参照レベルだけでなく、言語の習得と習得支援を考えるための重要な視点がたくさん提示されています。日本語教育の世界、あるいは日本語教育の参照枠ではこうした諸視点は、時に一言の言及はありますが、ほとんど議論されています。取りあえず、英語のまま掲載します。「こなれた日本語訳」はぼちぼち。(Deep LやChatGPTは「こなれた訳」はしてくれません。当面、翻訳してもらうのはいいですが。) CEFR関係で書いた記事も、このマガジンに掲載します。

  • ○日本語教育・日本語教育学評論

    日本語教育と日本語教育学などで折々に感じたことを発信しています。

  • 〇日本語教育(学)短信

    主に、Twitterの記事の足し算。

  • ○ことば学 — 人間にとって、人にとって、ことばとは何か

    ことば、意識、当事者、現実、社会、文化などについてときどきに考えたことをまとめます。『第二言語教育のためのことば学』(西口光一、福村出版)、『メルロ=ポンティの言語論のエッセンス — 身体性の哲学、オートポイエーシス、対話原理』(西口光一、福村出版)を前提としています。

  • □第二言語教育の「常識」 — 基礎日本語教育を考える

    2021年7月〜  日本語教育で流布している「常識」に反論し、むしろ良識的に合理的で論理的に考えると日本語の教育企画やこのようになるはず、ということを論じます。あわせて、後半では、音声指導のコツや書記日本語指導の原理などについても触れます。

最近の記事

  • 固定された記事

クリエーターの紹介

1.略歴  国立国語研究所日本語教育長期専門研修(研修生)、アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター講師、ハーバード大学東アジア言語文化学部中級日本語主任、大阪大学国際教育交流センター教授、同大学院言語文化研究科教授(兼任)。大阪大学名誉教授。日本語教育学会会長。  2.現職  広島大学特任教授  3.研究、日本語教材制作など (1)言語教育のための人文学とことば学 (2)人文学とことば学を基盤とした言語教育の確立 (3)人格を中心に据えた表現活動の日本語教育の普及。 *

    • 5.1.1.2 Sociocultural knowledge(社会文化についての知識)

       自己表現活動の日本語教育ではこのあたりのことは直接には話題やテーマにしませんが、各個人の具体的な話をする中で「じんわりと」浮かび上がってきます。ですから、このあたりは、教師/支援者としては認識はしておくはあります。 5.1.1.2 Sociocultural knowledge Strictly speaking, knowledge of the society and culture of the community or communities in which a

      • 5.1.1.1 Knowledge of the world(世界についての知識、わたしたちが生きている/暮らしている世界について知っていること)

        Mature human beings have a highly developed and finely articulated model of the world and its workings, closely correlated with the vocabulary and grammar of their mother tongue. Indeed, both develop in relation to each other. The question,

        • 日本語教育学における哲学・思想

           標記のテーマ、ずっとずっと前から自分の中であまり定まらなかったのですが、突然書けそうな感じがしましたので、トライしてみます。  一応、「日本語教育学における」としましたが、実践的な関心での学問に共通すると思います。  2年ほど前に日本語教育学会で、日本語教育学の構造化ワーキンググループから報告書が出され、その中で日本語教育学の俯瞰図が提示されました。以下のサイトに、俯瞰図とその説明があるのでご覧ください。  俯瞰図のC8として哲学・思想を位置づけているわけですが、この段階

        • 固定された記事

        クリエーターの紹介

        • 5.1.1.2 Sociocultural knowledge(社会文化についての知識)

        • 5.1.1.1 Knowledge of the world(世界についての知識、わたしたちが生きている/暮らしている世界について知っていること)

        • 日本語教育学における哲学・思想

        マガジン

        • CEFRからの引用など
          4本
        • ○日本語教育・日本語教育学評論
          61本
        • 〇日本語教育(学)短信
          22本
        • ○ことば学 — 人間にとって、人にとって、ことばとは何か
          3本
        • □第二言語教育の「常識」 — 基礎日本語教育を考える
          11本
        • ○人文学考
          15本

        記事

          CEFR(2001)における話題あるいはテーマ

          はじめに  この週末(2024年6月最後の週末)に、改めてCEFR(2001)の全体を読みました。この記事では、CEFRで話題あるいはテーマについてどのように論じられているかを紹介します。そして、最後の4で、本記事の趣旨として、「CEFR(2001)では話題あるいはテーマをちゃんと正面から採り上げているでしょ!」と指摘したいと思います。しかし、その後のCEFRに基づく教育企画の話では、なぜか話題あるいはテーマへの注意は影を潜めます。そして、日本語教育の参照枠では、当初から、話

          CEFR(2001)における話題あるいはテーマ

          日本語の習得と習得支援(≒教育)をめぐる野生の知性

           野生の知性について書いてみます。「日本語の習得と習得支援(≒教育)をめぐる野生の知性」としました。「日本語の習得と習得支援(≒教育)」には、授業を実践することだけでなく、授業のためのPPTや学生に与えて作業をさせるワークシートなどを作成すること、エッセイ(作文)を添削するときのうまい添削法なども含みます。また、そうした授業教師の技量だけでなく、コーディネータとして優れたスケジュールを策定すること、授業担当教師と適切に連絡したり指示したり相談したりすることなども含みますし、さ

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          日本語教育の参照枠の下で行動中心のアプローチでやっているとクラス授業はできない!?

           日本語教育の参照枠に基づく教育課程策定の議論では、たいてい、「一人ひとりの学習者によってニーズは異なる」だから「それに対応するためには一人ひとりの学習者のニーズを反映した(テーラーメイドの)教育課程を企画しなければならない」という議論の流れになってしまっている。  これって、(1)クラス授業否定であり、(2)「教育課程開始に先立ってニーズがわかる」主義だし、(3)「日本語学習者は実用的に必要な言語活動ができる日本語だけやればいい」主義、だよね。先の発信や、この3点、皆さん、

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          「日本語教育の参照枠」の理念!?

           「日本語教育の参照枠」の「理念」を改めて見てみました。下の【「理念」らしきものの抽出】です。 *以下が、「日本語教育の参照枠」の「最終版」です。https://www.bunka.go.jp/.../hokoku/pdf/93476801_01.pdf  「理念」はこれだけで、後はCEFRのレベル記述の焼き直しだけです。ここまで、見てみての感想。 1.「捉え直し」って何?  以下の2つめの引用箇所((2))で以下のように言っている。ここの「捉え直し」って何? この「捉え

          「日本語教育の参照枠」の理念!?

          複言語・複文化主義をめぐる議論について

           複言語・複文化主義について、あちこちで議論されていますが、CEFR(2001)やCEFR(2020)でちゃんと定義されていますね。何だか、そこから先は、Japanese-contextで、それをどう解釈しどう生かすか(生かす部分と生かさない/生かせない部分があると思う)の議論をするのが「筋」だと思う。 CEFR(2001)から A further characteristic of plurilingual and pluricultural competence is

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          科学と哲学

          Twitterの足し算です。  学校の先生はそれぞれの教科の各学年、各学期の「ノルマ」をいかに有効に教えるかに関心が集中する。学習指導要領、あてがわれた検定教科書、受験があるのでやむを得ない。今年度から認定日本語教育機関ができてくるが、日本語教育の場合は学習指導要領のようなものはない。  そもそも言語は、学校の各教科の学習指導要領のように教科の論理構造に基づいて教える内容を整理して、その体系に基づいて教えれば習得できるというものではない。言語教育をカリキュラム化するのはとて

          科学と哲学

          複言語精神機能の発達支援としての言語教育【補論】: 言語的思考の諸側面(仮)

          はじめに 1.基本的な視座 ─ 文化歴史的視座 ─ 人間は、生物進化の系統発生の延長線上にある。 ─ 人間は、系統発生の延長に社会文化史を接続して、独自の進化を遂げた。 ─ 社会文化史の第一段階の第一層は、生活的なイデオロギー世界という、群棲動物の一種である人間が独自に作り上げた文化的な生活圏である。一つの人間集団は、それ独自の文化的な生活圏で、独自の生産活動に従事し、独自の暮らしに従事し、それらを運営する言語を発達させている。 ─ そうした第一層の上に、より高次のイデオ

          複言語精神機能の発達支援としての言語教育【補論】: 言語的思考の諸側面(仮)

          言語教育においては「主体的学び」ではなく、「主体的(言語活動)従事」である!

          はじめに  教育の世界で主体的学びが喧伝されて久しい。言語教育(日本語教育や英語教育など)でも主体的学びが注目されている。しかし、…。 1.内容の学びにおける主体的学び  学校の教科の学習は内容の学びとなります。そして、当面、それと対比して言語教育の場合は言語の学びと呼びます。  内容の学びにあたっては、学習者はテーマを探究し考究するために必要で十分な言語と思考の能力を身につけています。つまり、現在のテーマをめぐって、現象を一定程度記述したり言語化したりすることができ、学習

          言語教育においては「主体的学び」ではなく、「主体的(言語活動)従事」である!

          ぼくが自分なりの教材(NEJとNIJ)を作ったわけ

          はじめに  「コーディネータ(主任)の役割と責任、そして立場」(https://note.com/koichinishi/n/n8e73ad9cbf22)という記事で、コーディネータの仕事((1)から(3))の(1)として以下のように書きました。  (1) コースの企画と計画   (a) コースのエンドで達成されるべき目標の設定   (b​) 目標に至る「日本語上達の経路」の構想   (c) コース企画の策定(総括的評価の計画、形成的評価の計画を含む。)   (d) (a)か

          ぼくが自分なりの教材(NEJとNIJ)を作ったわけ

          コーディネータ(主任)の役割と責任、そして立場

          はじめに  昨日、ぼくがコーディネータをしている、1学期/5カ月/16週間にわたる日本語研修コースが終わりました。学生は、15名。コーディネータの仕事の達成度はまあ「A」かな。そして、同じくコーディネータとしての責任を個々の学生に対してどれほど果たせたか、つまりコースの所期の目標をどれほどの学生が達成できたかというと、ざっくり言って、1/3は目標を超えて達成、1/3は目標を達成、1/3は目標まで少し至らなかった、くらいです。目標にまったく「手が届いて」いない学生はいませんでし

          コーディネータ(主任)の役割と責任、そして立場

          複言語発達支援としての言語教育【第1回】 出来事の言葉と思考の言葉 ─ 言語教育の取り扱い対象の検討として

          はじめに  言語教育が取り扱う対象は、構造(=記号)のシステムとしての言語ではないとしばしば言われます。日本語教育学内では、筆者もそのように主張している者の一人です。それならば、言語教育が取り扱う対象は何なのか。「Aではない!」と権威者ぶって主張することは簡単です。しかし、「Aではない!」と言うのなら、速やかに「じゃあ何なんですか?」という質問に応えるのが本来です。言語教育研究者・日本語教育研究者はそのことを怠ってきました。  わたし自身は、その質問に応えるためにこれまで精力

          複言語発達支援としての言語教育【第1回】 出来事の言葉と思考の言葉 ─ 言語教育の取り扱い対象の検討として

          ぼくは、日本語教育学のフィールドワーカー!? ─ 現場、フィールドの現実の「たいへんさ」を忘れている日本語教育の専門家

           うまくまとまった話にはならないかもしれませんが、こんなテーマで書いてみたいと思います。 1.フィールドワーク  フィールドワークというのは、皆さんご存知かと思いますが、文化人類学や社会学などで行われる研究方法の一つです。文化人類学に引きつけて言うと、生活や文化が脈々と営まれている場所(site)に行って、そこで暮らしつつ、関心の人々の暮らし、生業(なりわい)、風習、祭事、言語活動などを観察・記録して、かれらの生き様やそのシステム、またそこに通底しているかれらのロジックや目

          ぼくは、日本語教育学のフィールドワーカー!? ─ 現場、フィールドの現実の「たいへんさ」を忘れている日本語教育の専門家