西口光一

人文学とことば学を基盤とした言語教育学の確立。『新次元の日本語教育の理論と企画と実… もっとみる

西口光一

人文学とことば学を基盤とした言語教育学の確立。『新次元の日本語教育の理論と企画と実践』、『第二言語教育のためのことば学』、『メルロ=ポンティの言語論のエッセンス』他。大阪大学名誉教授。広島大学特任教授。日本語教育学会会長。□は連載物。○は時々の発信の溜め、■は研究的なものです。

マガジン

  • ○人文学考

    心理学、社会学、人類学、ことば学などについて考えたことをシェアしています。

  • 日本語教育(学)短信

    主に、Twitterの記事の足し算。

  • ○日本語教育・日本語教育学評論

    日本語教育と日本語教育学などで折々に感じたことを発信しています。

  • □実感としての日本語教育学

    40年以上、日本語教育の企画と教材制作と実践の創造そして日本語教育をめぐる研究に携わってきました。そして、過去約10年は、研究から見出した原理と合理的な物の見方に基づいて、学習者における日本語の上達を促進する営みを仲間と共に、そして自身も実際の教授実践をしてきました。そうした経験を通して今見えてきた、実感としての日本語教育のあるべき姿について話します。

  • ○時評・世評

    コミュニケーションのあり方、多様性を当たり前として楽しむ社会、人文学のあり方、人物評などについて書いています。

最近の記事

人間のさまざまな「生息世界」!?

 先週1週間、(a)先生たちの研修会、(b​)教材制作、(c)公開セミナー、のために、インドネシア・ジャカルタの協定大学のDP大学に行っていました。そのときの奇妙な感覚の話。  インドネシアは、45年ぶりの2回目です。「45年ぶり」というのは、45年前の学生時代に大学の交流プログラムで1か月ほど来たことがある。「2回目」というのは、去年の12月に続いて2回目です。  出発前にするべき仕事をバタバタと片づけて、前の夜に朝一6時のタクシーを予約して。9月11日(月)は、タクシー→

    • Ambitionって、何?

       きょうは、後期に向けたキックオフ・パーティを同僚としました。すごくいい仲間です。そんな中、一人の先輩が一人の若手に「あなたなんかは、ambitionがあるでしょう。ambitionをもたなきゃ!」と言いました。ぼく自身も、若い人にはしばしば「ambitionをもたなきゃ!」と言っています。その先輩のambitionの意味はやファジーでした。それで改めてambitionについて考えました。  ぼくの言うambitionは「野心」ではありません。もっと、下世話に言うと、この「野

      • 人間の存在構造と言語という領域

         上のようなタイトルでざっくり書いてみたいと思います。 1.人間は、言語という領域(domain of language)を張り巡らせて生きる動物である。 2.言語という領域は、自然のままの「わたしたち」の外にある。 3.「わたしたち」は、言語という領域で生きることの重要部分を営んでいる。発話(内言、外言)は、「わたし」である。そして、発話は「わたし」=「わたしの意識」/「わたしという意識」である。 4.「わたし(の意識)」は自然のままのわたしの外にある。つまり、感覚

        • 人文学では、科学を包摂する学問がぜひとも必要

           2023年8月9日のTwitter​の足し算。  8月7日に担当している集中コースが終わり、成績処理などもして、その他いろいろ対応をし、やってしまわないといけない会議などもようやく今日終わり、やっとお盆休み?に入ることができる。少し「お勉強」に集中したいと思う。このところは、ベルクソン、ドゥルーズという「真打ち」登場です。  おもしろいのは、ベルクソン→ドゥルーズ×ヴィゴツキーという部分を日本の佐藤公治さんが丁寧に論じてくれている。『ヴィゴツキーからドゥルーズを読む』。こ

        人間のさまざまな「生息世界」!?

        マガジン

        マガジンをすべて見る すべて見る
        • ○人文学考
          西口光一
        • 日本語教育(学)短信
          西口光一
        • ○日本語教育・日本語教育学評論
          西口光一
        • □実感としての日本語教育学
          西口光一
        • ○時評・世評
          西口光一
        • □第二言語教育の「常識」 — 基礎日本語教育を考える
          西口光一

        記事

        記事をすべて見る すべて見る

          発展性を内包した教育企画と新たなperspective

          せっかくなので、Twitterの足し算。一部、言葉を加えています。  ぼくが新たな教育を企画し教材・リソースを作成するのは、教育革新はもちろん、(a)授業の準備が楽になる、(b​)授業が(有効であるのはもちろん)学生にとっても教師にとっても楽しくなる、(c)授業後の「処理」も効率よくできるようになる、(d)慣れれば慣れるほどもっと優れた授業ができる、ためです。  従来の基礎(初級)日本語教育の教材・コースでも慣れたら(a)と(c)は起こるでしょう。しかし(b​)はどうかな

          発展性を内包した教育企画と新たなperspective

          「多文化共生の理念と複言語主義は並置してよいものか? 並置するのが適当ではないなら、両者の重なりと相違は何か?」へのChatGPTの答え

           昨日、Twitterとfacebookで以下のような発信をしました。   で、今日、「そう言えば、あの質問にChatGPTだったら、どう答えるかなあ」と思って、やってみた。  600字以内でという注文を入れると、以下。  600字以内でという注文を入れたのは、もっと明快な答えを「出題者」(わたし)は要求しているから。  ChatGPTの答えは、よくお勉強をした優等生の答えですね。そして、冒頭の質問に対しては、これで満点をあげなければなりません。  冒頭の質問はちょっ

          「多文化共生の理念と複言語主義は並置してよいものか? 並置するのが適当ではないなら、両者の重なりと相違は何か?」へのChatGPTの答え

          マスターテクストの作成法・制作法

          1.2つのマスターテクスト (1)教材としてのマスターテクスト (2)学習者の自分の声としてのナラティブ(マスターテクスト) 2.学習者の自分の声としてのナラティブ(ライフストーリーインタビューとナラティブ制作の活動) ・簡単に言うと、日本語活動しているボランティアは、(入門は別にして)日本語を教えようなんてしないで、ライフストーリーインタビューをすればいい。 ・そのような形で、学習者の声を引き出して、それをしっかりと受け取る。そして、それをその本人が自身の声として発するこ

          マスターテクストの作成法・制作法

          日本語教育における「間口」論

          これも、Twitterの足し算ですが、言葉を補足しています。  間口は、家の通りに面している面。そこから、何かをするときのやり方の視野に言及して「間口が広い」とか「間口が狭い」と言う。ぼくがずっと「警告」しているのは、どうもこの「間口」の問題のようです。*以下、「日本語教育」の代わりに「日本語指導」という言葉を使っている。  間口は、(1)教育企画、(2)教材・リソース、(3)ユニットの教育、(4)個々の授業のいずれにも関わっている。それは、日本語指導を見通すときの視野の

          日本語教育における「間口」論

          日本語教育学って何だろう

          また、Twitterの足し算。  日本語教育学について改めて考えた。ディスコース(orディスコース実践)は、そのディスコースの発信先が研究者で考究、探究、実証などが目的の場合に「研究」となる。研究者と称する人が、実践者に向けてする発信は「研究」とはならない。実践者相互のただの実践の共有というのも「研究」とはならない。  しかし、日本語教育の学会があり、他に留学生教育学会などもある。いずれも、「実践的研究分野」を掲げている学会。で、昨日までは「実践的研究」というのはそもそも矛盾

          日本語教育学って何だろう

          わたしの研究方法

          Twitterの足し算です。  ミードの新訳『精神・自我・社会』(みすず)も入手した。この本と、『シンボリック相互作用論』(ブルーマー、原典と邦訳)、『シンボリック相互作用論の世界』(船津・宝月編、恒星社厚生閣)を掛け合わせて検討する。新堀区相互作用論では、実は、言語の部分の議論が弱い!  昨日、みっちりこの「掛け算」した。シカゴ学派のこと、デューイ、ミードのこと、そしてそれを踏まえたブルーマーの位置、「ねじ伏せ」た。今日とあすは、ブルーマーを原典で読んで、彼が語り得てい

          わたしの研究方法

          優れた教師? 優れた授業?

          Twitterの足し算。  いろんな「えらい先生」と教師養成・成長などについて話していて違和感を感じる。ぼく以外の先生たちはどうも、優れた授業や優れた教師というのが一般的にあり得ると考えている。ぼくはそういうふうに考えていない。もちろん、どんな「授業コマ」を発注されても相対的にいい授業をすることはできるが。  優れた教師とは、関わっている教育のカリキュラムを適切に理解・解釈でき、そのカリキュラムとの関係で教材を適切に解釈・位置づけができ、カリキュラムの中の各ユニットの目標

          優れた教師? 優れた授業?

          哲学や思想との付き合い方 ─ そして、ぼくが好きなお兄さんやおじさんたち(おねえさんがいなくて、残念!)

          Twitterの足し算(若干補足している。) 言語教育関係でも哲学や思想に関心をもっている人は一定数いる。ただ、皆さん口をそろえて言うのは「哲学や思想の本はむずかしい!」です。(しばしば「できるヤツの謙遜」があるので、日本人の場合は要注意!) 哲学や思想の本をむずかしいのは、その哲学者や思想家の哲学・思想を理解しようとするからです。 「主体的に読む」というのは、自身の興味や関心に基づいて読むということ。だから、言語教育の人が哲学や思想を読むときは「おじさん、このわたしの興

          哲学や思想との付き合い方 ─ そして、ぼくが好きなお兄さんやおじさんたち(おねえさんがいなくて、残念!)

          授業計画の作成という重要な仕事

          はじめに  日本語教育の現場でずっと仕事をしてきて、現在もしているわたしは、コーディネータ(日本語学校で言うと主任)の仕事をずっとしてきました。わたしにとってコーディネータの仕事は、とても緊張感のある仕事でした。それは、コーディネータが作成する授業計画に沿って? 準じて? 参照して? 先生たちは授業を計画して実施するわけで、そのように考えると、学生における日本語習得のための授業経験をコーディネータ作成の授業計画が大きく左右するということになるからです。ここで、授業計画と言って

          授業計画の作成という重要な仕事

          漢字を書く練習=漢字が書けるようになるのがねらい?

          Twitterでこんな発信。  漢字を書く練習=漢字が書けるようになるのがねらい、と思っていませんか。最終的にワープロ入力を想定するなら、漢字を書く練習は漢字認識力を高めるのがねらい。同様に、読む活動=読む技能の訓練、聞く活動=聞く技能の訓練、書く活動=書く技能の訓練、話す活動=話す技能の訓練ではありません。  読む活動、聞く活動、書く活動、話す活動はいずれも、本来的には各モードの言語活動の共通基盤である言語技量(capacity, Widdowson)を育成するものです。

          漢字を書く練習=漢字が書けるようになるのがねらい?

          国語の成立とリテラチャー

           いっしょに哲学を勉強している(実際には、教えてもらっている!)友人から以下のような話を聞いて、なるほどと思いました。 1.現代ドイツ語の成立  19世紀末にドイツ帝国(1871-)が成立するまで、同地域はさまざまな公国に分かれていました。ざっくり言うと、260 余りの諸藩に分かれていた江戸時代の日本のようなものです。そして、江戸時代の日本と同じく、その地域に住む人には、ドイツという国や、ドイツ人というアイデンティティ、そしてドイツ語という国語はありませんでした。  友人の

          国語の成立とリテラチャー

          経験や勘? 科学的エビデンス? 哲学的素養?

           某Twitterで『認知心理学者が教える最適の勉強法』という本の紹介がありました。2022年に出版、原著は2019年出版となっているので、おおむね最新の知見が紹介されていると見ていいでしょう。Twitterでの紹介者は、紹介の冒頭で「エビデンスに基づいた教育」ということに言及しています。エビデンスというのは「科学的なエビデンス(証拠)」ということでよいかと思います。  Twitterでの紹介者は、Twitterの冒頭で「あんたたち教員は経験に基づいて教育をやりすぎ。いろいろ

          経験や勘? 科学的エビデンス? 哲学的素養?