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押入れの秘密基地 [ショートショート]

夕暮れの光が障子越しに差し込む中、私は押入れの扉をそっと開けた。暗闇の中に潜む埃の匂いが鼻をくすぐる。小学校から帰ると、決まってここに入り浸るのが日課だった。布団や毛布を積み上げて、隠れ家のような空間を作り出している。押入れの中は狭いけれど、私にとっては広大な世界だ。

「今日も来たね」
低い声で話しかけると、誰かが返事をしてくれるような気がした。もちろん、そんなことはない。ただの独り言だ。それでも、この場所にいると、どこか特別な存在が私を見守っているような安心感があった。

押入れの奥には、小さな箱を置いている。そこには、使い古した懐中電灯やメモ帳、お気に入りのペンが入っている。それから、小さな飴玉がひとつ。どれも私が選び抜いた「アジトの道具」だ。学校では誰にも言えない秘密のアイテムたち。

「今度の作戦はどうしようか?」
そう呟きながら、メモ帳を開く。書かれているのは、学校での出来事や近所の探検計画だ。先週は空き地の草むらに猫を見つけたことが記録されている。ページの隅には、拙いイラストも添えられていた。次は公園の池を調べよう。そう思って、ペンを走らせる。

母が台所で何かを作る音が聞こえてきた。時折、鍋がカタカタと揺れる音がリズムのように耳に入る。それでも私はこの小さな空間に没頭する。押入れの中にいる間だけ、世界が静まり返る気がするからだ。

ふと、押入れの上段に目を向けた。そこには滅多に使わない古い布団が積まれている。私の知らない昔の匂いがしそうなその布団に触れてみた。ほんの少し指を伸ばして引っ張ると、何かが落ちてきた。小さな封筒だった。

「何これ?」
手に取ると、封筒は黄ばんでいて、文字が書かれている。「秘密」とだけ書かれたその封筒を開けると、中から古びた写真が出てきた。写っているのは若い頃の父と母、そして見知らぬ男の人だった。私は写真をじっと見つめた。押入れの奥から出てきたこれが何を意味するのか、全く分からなかった。

「押入れも、私だけのアジトじゃないのかもね」
呟きながら、写真をそっと封筒に戻した。大人になったら、またこの押入れを開けることがあるだろう。そのとき、このアジトがどんな風に変わっているのかを、楽しみにしている自分がいた。

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