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『空の王座(からのみくら)』運命を操るかのように、王座は待ち続ける・・・

発表年/1966年
以前にも以下の記事で、辻邦生さんは《運命》や《宿命》に翻弄される人物をよく描く、といったことを書いたことがあります。

この『空の王座』に登場する考古学者、南村順三も、そんな、自分ではどうすることもできない運命にたびたび弄ばれた人物のひとりです。
話は南村の訃報に始まり、その後遡って、新聞記者である「私」と「私」の旧友で考古学者の田原、そして南村の三人を軸に展開されます。南村も田原も考古学調査隊の研究者として海外で遺跡調査に従事していました。




1.<空の王座>とは何か?

物語のタイトルである<空の王座>とは、誰も座ることのない玉座のことです。それは、エジプトなどの古代遺跡に遺る壁画やレリーフ、石の彫刻といったものから、キリスト教のイコンや礼拝堂のフレスコ画、あるいはステンドグラスなどに見ることができ、主として人間に近しいものとして表現するには畏れ多い大いなる力⎯⎯ある場合には裁きを下すもの⎯⎯を、誰も座っていない椅子だけで表したものです。物語の中では田原の話として次のように書かれています。

古代民族のあいだにあっては、種々のタブー、その他の理由で神を表現するのに、ただ空虚な椅子をえがくだけで、まわりに天使とか楽人とか聖人とかを配置する図柄がひろく伝播していたというのだ。椅子には幕(とばり)が左右から垂れていたり、椅子の背、もしくは肘かけに衣が掛けられていることもある。田原の言うところによると、こうした図柄の示そうとしているのは、超越者としての神、眼に見えない神であって、かかる図像を考えついた画家にとっては、どのように神の姿を崇高に描こうと、それが可視的であるかぎり、やはり限界がある。そこでこの眼に見えない者の存在を、そのまま不可視の形にして、そこにかえって想像力による至高者の映像を期待するのである。古代世界では、この椅子は裁き手の座という意味をもち、キリスト教に入ってからは終末思想と関連した図像とも考えられたということだ。

『空の王座』 新潮文庫「見知らぬ町にて」より

南村はこの<空の王座>図像の伝播について研究していました。もちろんただそれだけではなく、のちに<空の王座>が別のイメージの象徴として浮かび上がることになるのです。


2.新聞に考古学調査探検を連載したい「私」は田原の調査隊に同行しようとするが・・・

「私」がカイロ支局に滞在していたとき、たまたま旧友の田原が参加している大学の考古学調査隊と出会うことができました。そこでかねてより考古学調査探検の様子を新聞に読み物として連載することを考えていた「私」は、田原に頼んで同行の許可をもらいます。しかしアルジェリアの政変勃発でそれどころではなくなり、企画を没にせざるを得なくなってしまいました。そこで田原のほうから自分たちは無理でも別の機会にでも、ということで、以前同じ研究室に所属していた南村順三を紹介されたのでした。
「私」が南村に会いにゆくのは、それから8ヵ月後のことです。


3.アレッポの砂漠と考古学者南村の思い

南村順三が発掘調査をしているのはシリア砂漠の教会遺跡でした。シリア北部の都市アレッポから車で2日ほどのところで、砂漠では土民の反乱が伝えられており、「私」は軍用トラックに便乗して現地に向かうことになります。辻邦生さんは、彼ならではの抑制し落ち着いた筆致ながら、いくつも表現を重ねて文明から疎外されたシリア砂漠の光景に肉薄していきます。初め「私」はパリからダマスカス経由の飛行機でアレッポに入るのですが、上空から見た砂漠の景色と実際にトラックで走る砂漠とは全く違っていました。その2日間は4ページに渡って描かれているのでここで全文をご紹介することはできませんが、砂漠を走りながら「私」が感じたこと、考えたことを述べる部分を抜粋したいとおもいます。

私は時おり襲ってくる眩暈の発作に耐えながら、この空白の大地、この平坦な虚無の灼けつく大地とは、いったい何だろうかと考えた。空虚といい、虚無というが、しかしこの地上の人間の痕跡も匂いもなくなるということ、まったくの空無の空間になるということには、何か人を狂気にするような激しいものが吹きすさんでいる。私は半日も砂漠を走りつづけるうち、思わず叫びだしそうになる自分を何度か感じた。

『空の王座』 新潮文庫「見知らぬ町にて」より

こうした砂漠の移動ののち、「私」は南村のいる発掘現場に到着します。南村は「私」に、そこで発見された遺品のことや、遺跡の状態が盗掘や自然破壊などによって決して良くはないことなどを話して聞かせるのですが、そんな南村の横顔に、「私」は思いがけず暗いかげを見出すのです。南村は「私」にこう言います。

ぼくはこの砂漠の奥で孤独を感じるときの方が、大都会のなかで孤独を感じるより、ずっと耐えやすい気がします。なぜならこの文明の果てるところでは、人間の意志だけで、人間らしいもの、人間にふさわしい品位のあるものが支えられている事実が、明白にわかるからです。

『空の王座』 新潮文庫「見知らぬ町にて」より

さらに、発見された石棺の美しさも発信すべきだという「私」に、自分たちのような専門家は、そういった「表向きの派手な仕事とは別の仕事を受けもっている」と語ります。自分たちは客観的事実という領域に自分を閉じ込めて、そこで世界を支えているというのです。これはある意味南村の、考古学者という仕事への矜持かもしれません。世間の人は眼に見える派手な部分だけを欲しがるけれど、本当に重要なのはそれを支える事実の裏付けなのです。この部分、僕にはよく理解できます。

けれど、「私」はそんな南村に、何かに耐えているような、痛々しい印象を受けたのでした。


4.小説において登場人物を運命に委ねること

「私」は南村の調査隊のことを記事に書き、新聞を南村にも送りますが、互いの仕事のこともあり、次に再会するのは2年後のことでした。ふたりは旧交を温め、パリでワインを酌み交わして別れるのですが、その1年後、南村は飛行機事故で亡くなってしまいます。

話はここから南村の恋愛事情へと展開します。実は「私」と出会うずっと以前に、南村は二人の女性から別々の時期に愛されていたことがあったのでした。
そのひとり⎯⎯アンヌ・マリ⎯⎯について、「私」は南村が亡くなったあと受け取った彼からの手紙で知らされることになります。もうひとりは田原の妹です。どちらの女性も南村との結婚を望むのですが、一方は不可抗力ともいえる事情で、もう一方は南村の都合で結婚できませんでした。南村の事情というのは戦争によるものだったのですが⎯⎯

辻邦生さんは本作で、<空の王座>を南村の運命の象徴にしたのでしょう。絶対に座ることのできない、誰も座ることが許されない椅子、それは、結婚できない南村の苦悩そのものだったのかもしれません。でも、と、ここで僕はおもうのです、《運命》や《宿命》に登場人物を委ねてしまうのは、小説としてどうなのだろうか、と。もちろん運命に翻弄される人生というものが、ある種大きなドラマとして描かれることは決して少なくありません。しかし、短編小説においてそれがすべてであるならば、辻邦生さんのおっしゃる《感動》はどこにあるのだろうか、僕はこの作品において、そんなふうに考えてしまいました。以下の部分は『献身』でも取り上げましたが、再度こちらにも添付します。

私は今も小説を<感動の装置>と見なしているが、それは、小説がいわゆる「読むもの」ではなく、「一体化するもの」という思いがあるからなのだ。
いわゆる「読むもの」の場合、読むことによってわれわれの中に入ってくるのは知識だが、しかし小説の場合、それは感動である。

『シャルトル幻想』阿部出版/あとがき より

「私」は南村から手紙でアンヌとの結婚の話について知らされるのですが、たった2度、しかも仕事の関係で出会っただけの(それがたとえ砂漠という、特殊な環境下であったにしても)相手に、そんなことを教えるだろうか?

辻邦生さんの作品は大好きですが、だからと言ってすべての作品がベストだとはおもいません。辻邦生という人はとにかく「書く人」だったので、数ある小説の中には凡作もあって当然でしょう。もちろん人によって捉え方は様々ですが、この『空の王座』は、僕には決して成功した作品とはおもえないのです。中にはこんな作品もあるということを知っていただきたくて、今回は本作を取り上げてみました。




【今回のことば】

ぼくらの仕事は(略)計ったり、位置を測定したり、写真をとったり、図写したり、記録したり・・・。いってみれば、廃墟の姿をあるがままに、もっとの客観的に、把握し、報告することにあります。(略)こういう仕事では、ぼくという人間がいちばん不用なんですね。ぼくの意見や感想などどうでもいいんです。ぼくは正確なレンズのように対象を正しくとらえればいい。ぼくは透明になればなるだけ、学者としての良心に生きることになるんですよ。

『空の王座』 新潮文庫「見知らぬ町にて」より




『空の王座』収録作品
・河出書房新社「辻邦生作品全六巻<3>」1972年

・新潮文庫「見知らぬ町にて」1977年
・新潮社「辻邦生全集2 異国から/城・夜/北の岬」2004年

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