国際人道法は「殺しのライセンス」なのか ガザで起きている過剰な「付随的損害」

「ガザにおけるテロとの戦いで起きていることを『コラテラル・ダメージ』と定義することは誰にもできない」─。2月14日、ローマ教皇庁の公式メディア「バチカン・ニュース」は論説でこう指摘した。コラテラル・ダメージは「付随的損害」(注1)などと訳される。軍事行動に伴って発生する民間人・施設の被害のことだ。国際人道法では、過剰でない限り、ある程度の民間被害が出ることは許容されている。しかし、パレスチナ自治区ガザでは、イスラエル軍の攻撃による死者が女性・子どもを中心に3万人を超えており、もはや軍事作戦の結果得られる利益との均衡を大きく逸脱している。

■民間被害と軍事的利益の比較は不可能

 紛争当事者にも守るべきルールがある。国際人道法がそれだ。その中心となるのがジュネーブ諸条約と追加議定書で、文民や傷病者、捕虜の保護などを規定している。

 ジュネーブ諸条約第1追加議定書第51条5(b)は、次のような行為を「無差別」攻撃とみなし、禁止している。

「予期される具体的かつ直接的な軍事的利益との比較において、巻き添えによる文民の死亡、文民の傷害、民用物の損傷又はこれらの複合した事態を過度に引き起こすことが予測される攻撃」

 ここにある「巻き添えによる文民の死亡、文民の傷害、民用物の損傷又はこれらの複合した事態」が付随的損害の中身で、「軍事的利益」との関係を許容できるものにすべきだとの考え方は「均衡原則」と呼ばれる。

 式にすれば次のようになる。

 予想される民間被害<期待される軍事的利益

 攻撃の結果がこの式の通りに納まると判断されれば、付随的損害は「過度」ではないと評価される。「<」の向きが逆で「>」なら、明らかに過剰攻撃ということになる。

 ただ、民間被害と軍事的利益とを比較することにはそもそも無理がある。

 国立国会図書館の福田毅調査員は論文集「レファレンス」に掲載された記事の中で、「軍事的利益も付随的被害も客観的に数値化できるものではなく、両者を厳密な意味において比較することも不可能」と指摘している(https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_999673_po_068703.pdf?contentNo=1)。

 定量的な比較検証ができない以上、攻撃する側にも攻撃される側にも恣意(しい)的な判断が入り込む余地がある。

 攻撃される側にとってそれ以上に問題なのは、攻撃が過剰でないと判断されれば、ある程度の巻き添え被害が出ても国際法に基づいて許容され得るという現実だ。

 攻撃側にしてみれば、「殺しのライセンス」を手にしているようなものだ。

 ローマ教皇は今年1月8日、ウクライナとガザでの民間人への攻撃は「戦争犯罪」だと糾弾した(今年1月8日)。

■死者の70%が女性・子ども

 ガザを実効支配するイスラム組織ハマスの保健当局によると、3月22日時点で、昨年10月7日のイスラエル奇襲に端を発した紛争による死者は3万2070人となった(注2)。

 そのうち少なくとも9000人が女性、少なくとも1万3000人は子どもとしている。このほか7000人超が行方不明か、もしくはがれきの下に埋もれたままとなっている。

 負傷者は7万4298人に及ぶ。ガザ住民約230万人の4.6%、20人に1人近くが死傷したことになる。

 住宅は60%超が損壊し、住民約170万人が避難を余儀なくされている。食料など必要物資は極度に不足し、栄養失調や脱水症状ですでに30人超が死亡した。

 国連機関は3月18日に公表した最新報告で、同月15日時点で「破滅的状況/飢饉(ききん)」に相当する、最も深刻な「フェーズ5」レベルに直面する住民は約68万人と分析。戦闘が一段と激化すれば、7月半ばまでにその数は全住民の半分近い約111万人に達すると予想した(https://www.ipcinfo.org/fileadmin/user_upload/ipcinfo/docs/IPC_Gaza_Strip_Acute_Food_Insecurity_Feb_July2024_Special_Brief.pdf)。

 イスラエル側では、昨年10月7日のハマスによる越境攻撃で約1200人が死亡。また、約240人が人質としてガザに拉致された。その後一部が解放されるなどしたが、依然130人超が監禁されているとされる。うち約30人はすでに死亡したもようだ。

 またイスラエル軍によると、昨年10月27日に始まった地上作戦では、今年3月19日までに兵士251人が死亡した。

■あと何人死ねば

 イスラエル軍の報道官は昨年12月4日、CNNのインタビューで、ハマス戦闘員の死者と巻き添え死した民間人の比率がおよそ「1対2」となっていることについて「極めてポジティブ」だと漏らした。

 当時、ガザの死者は全体で約1万5900人だった。一方、イスラエル軍関係者は、10月7人以降に殺害したハマス戦闘員は約5000人としていた。式にすると次のようになる。

 15,900-5,000=10,900(全体の69%)

 ガザの保健当局は死者の70%は女性と子どもだと一貫して説明しており、1万900人が女性・子どもだとすると、ほぼその通りだ。

 その場合、5000人は男性かつハマスの戦闘員ということになる。

 5000人について、戦闘員か民間人かの内訳は示されていない。仮に全員を戦闘員とみなすと、イスラエル軍は紛争開始時点のハマス戦闘部隊の勢力を約3万人と推定していたため、12月初めの段階で約17%を殺害したことになる。

 今年2月20日には、イスラエルの日刊紙タイムズ・オブ・イスラエル(電子版)が、軍はハマス戦闘員の死者数を約1万2000人とみていると報じた。在英イスラエル大使館はBBCの取材に対し、戦闘員の死者は「1万人から1万2000人」と答えている(2月29日)。

 仮にハマス戦闘員の死者が1万人だとすると、3月22日時点では女性・子ども≒民間人の死者を導き出す式は次のようになる。

 32,070-10,000=22,070(全体の69%)

 やはり約70%を占めており、ガザ保健当局の主張と合致する(注3)。

 ベンヤミン・ネタニヤフ首相はハマスを壊滅させるため、避難民約150万人が押し寄せているガザ最南部ラファへの地上侵攻を断行する考えを繰り返し表明している。

 残るハマス戦闘員2万人を完全排除するため、現在と同じ強度の軍事作戦を続行するなら、女性・子ども≒民間人の死者はその約2倍、最大4万人に膨らむ恐れがある。行方不明者やがれきの下に埋もれる人々がこれに加わる。

 もちろん、ハマス戦闘員を一人残らず殺害するのは事実上不可能であり、掃討作戦が長引けば長引くほどイスラエル軍の死傷者も増える。ハマスとしても大半が殺害されれば戦闘集団として致命的な弱体化が避けられないため、どこかの時点で休戦に応じる公算が大きい。

 しかし、その時点までは、民間人の死傷者数は確実に増え続ける。民間人の累計死者数が3万人になるのか、あるいは5万人に達するのかは分からない。ガザ住民の生死は、ネタニヤフ政権に委ねられている。

注1:コラテラル・ダメージの訳語としては、主なものとして「付随的損害」のほか「付随的被害」「巻き添え被害」がある。大辞林によると、「損害」は「事故や災害により受ける金銭・物質上の不利益。広義では人間の死傷をも含む」、「被害」は「損害・危害を受けること。また、受けた損害・危害」と定義されている。一方、大辞泉は「損害」について、「そこない、傷つけること。利益を失わせることや、失うこと」としている。これらの説明に基づけば、「損害」は与える側、受ける側両方に使えるのに対し、「被害」はもっぱら受け手から見たものと言える。コラテラル・ダメージに関しては、基本的には両側に使える「損害」の方が妥当なようだ。なお、「巻き添え被害」は分かりやすいが、やはり受け手側からの表現なので、一面的と言える。

注2:ハマスの保健当局(Health Ministry)が集計・公表している死傷者など各種データについては、その信ぴょう性を疑問視する声もあるが、国連機関などはほぼ確からしいとしている。また、あるイスラエル情報当局筋は英ロンドンで発行されている中東・アフリカ情勢をカバーするニュースサイト「ニューアラブ」に対し、「コラテラル・ダメージとしての死者数は把握していない。われわれが調べるのはハマス幹部に関する情報だけだ」と語っている。イスラエル側も民間人の犠牲に関心がない分、ガザ保健当局の集計を信用しているようだ(https://www.newarab.com/news/israeli-intel-confirms-gaza-health-ministry-stats-reliable)。

注3:ハマス側は当然ながら自らの戦闘員の犠牲者数を公表していないため、イスラエル側の発表と照合できない。また、戦闘員と民間人の区別も難しいほか、一部戦闘員は地下トンネルなどで殺害されており、正確な検視はできていないとみられる。BBCは2月29日、イスラエル軍のユーチューブにアップされた動画やSNSへの投稿を検証したところ、正確な死者数を確認するのは不可能だったと結論付けている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?