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新しい変化を歓迎する

こんにちは!
長年コンプレックスだった天パを活かすことに成功した”こた”です。

私たちって激動の時代を生きてるなーって日々思う。

LINEが浸透したのも10年前とかで、Twitter・インスタも流行り始めたのも私が高校生ぐらいの時だし、今ではSNSを活用してお金を稼いで生活できる時代。ビジネスのあり方も情報の回りかたも、スピード感も段違いに変化してるなーって。

そして個人的な面でも、僕自身滋賀県で高校卒業まで過ごし、長野県の大学で4年間過ごし、今は横浜を拠点に暮らしている。
1年間IT企業で金融系のバックオフィス側の開発を未経験SEとして従事し、現在は個人事業や派遣を通して働き方も大きく変化した。

非常識が常識として認識される時代

自分の両親は教員として働いている。
基本的に公務員の働き方しか知らないから、民間企業の働き方も知らなければ、ましてや個人事業の働き方もまんまりイメージしにくい環境で育った。

現代は会社員として何かに従事する働き方だけじゃなくて、パソコン一台で世界中どこでも働ける時代。
今まで非常識だったものが常識となり、今まで考えられなかったことが新しい常識として根付こうとしている。

けど、今まで常識じゃなかったことって中々受け入れにくいよね。
義務教育を9年間受けて、高校に行き、大学を卒業して一般企業へ。
よければ大企業に就職して結婚して家を建てて子育てして、定年が来るまで働く。何となくの人生のレールがあって、それに沿って生きていく。

どこにも属さず自分で事業して、起業して、パソコン一台で海外を転々としながら人生を過ごす。そんなレールが今までの常識の範囲内には存在なんかしてなかったから、受け入れがたいよね。

正解は自分で導くもの

自分自身、人生の歩み方にも『答え』があると思って生きてきた。
踏み外したら周りからは格好の的で、変人の対象になるから踏み外さないように生きてきた。

けど、ふと思った。
何のために生きてんだよって。

Netflixで『宇宙の始まりはどこからなのか』という作品がある。
これの第一話がものすごく印象に残っていて、サバンナにいるチーターは飢えを満たすために毎日を生きている。
『食べないと死ぬ』という生に対する飢えが生きる原動力であり、それこそ本来生命体が生きる意味なんだなって感じた。

現代日本に住む私たちは、生に対する飢えって感じないよね。インフラも教育も高い水準で整ってるし、生きれてしまう環境で生きている。
つまり、生に対して心から渇望することってない。生存欲が完全に満たされている。

こんな恵まれた環境で生きれるからこそ、
承認欲求とか自己実現欲求を満たすことにフォーカスして生活することができる。自分の欲求に従って日常を営むことができる。

なのに、周りの目を気にして世間体の正解に従って生きて、それでいいのって。自分の心から渇望する欲求に従って生きることが大切なんじゃないのって。こんなに恵まれた環境で、前に進まなくていいのって。

私は自分の感情や欲望にできるだけ素直に生きることが、現代を生きる者たちの原動力であり、意味だと思うからこそ行動していく。

最後にこの言葉を。
『現状維持は衰退。変化こそ安定である。』


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