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今の人生だと思って過ごしている時間は、実は「走馬灯」ではないだろうか

「走馬灯」ってあると思いますか?
人生が終わる瞬間に見るっていう「人生のダイジェスト版」…
今、私がいるここは、本当に現実?それとも走馬灯の中の今?
そんなこと思ったことありませんか。

そんな風に思うと、実は今まさにこの瞬間が「終わる瞬間」の中にいて、走馬灯を見ているのかもしれない。
だったら、まだ少し先を楽しめそうだと思いませんか。

そう、終わる瞬間に見られるダイジェスト版自分の人生は、無限に見ることができるのです。なぜなら、その次の瞬間に終わろうとしても、その瞬間にダイジェスト版が始まるのですよ。

過去の選択の違いで今の走馬灯

過去の時間の中での選択が最良の選択で、その選択をしたから今の走馬灯を見ることができている。もし選択が違っていたら、違った走馬灯の世界を見ている…のですが記憶の延長上には、それが今の記憶につながる走馬灯。

何も今さらまだ来ない将来=今から見る予定の走馬灯について思い悩むことは必要ないのですよね。

ダイジェスト版の走馬灯人生なら

ただダイジェスト版なのなら、もちょっと、なんかドラマチックでシネマチックでハッピーな気分で、その先を見たい…って物足りなさを感じるのは欲深さかな。

◆もし今「ちょっとしんどいな」と思っていたあなたが、この記事を読んで「走馬灯の続きを見てみてもいいかな」と思ってくださったら「すき」を押してください。私も私の走馬灯の続きを見て、あなたとのご縁を感じてみたいですから。


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