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第2回 編曲者的デザイナー。

構成と文:上田浩平 イラスト:安村シン

この連載記事で毎回登場する雑談相手、
デザイナー・安村シンさん(以後シンさん)は、
フリーランスなって間もない上田にとって、
フリーランス2年先輩。
現在、個人デザイン事務所「SHINWORKS」を
かまえています。

シンさんに今回じぶんの名刺づくりを
お願いする
ことになり、
初回の打ち合わせで、約5時間。
名刺づくりの話はもちろんしつつ、
だんだん話が脱線してきて、
気づくとお互いの過去の話について、
かなりの時間を費やしていました。

今回から数回に渡り、
名刺づくりのプロセスから、
一度離れて、
お互いのことについて、
じぶんたちの仕事の姿勢、
仕事をする動機や、
お互いの過去について、
少し連載させてもらいます。
名刺づくりの過程は、また後の回で
掲載していく予定です。
(※2020/10/24追記しました)

なぜ、シンさんはデザイナーになったのか。
デザイナー以外の道は考えなかったのか。
小さい頃、どんなことにハマっていたか。
フリーランスになる前は、どうだったのか。
シンさんからデザイナーになるまでのいきさつや、
なった後の話を聞くことができました。

原稿チェック時に、シンさんからは、
「あまり普段こういう話はしないんですよね」
とメッセージをいただきました。

こういう話に自然になっていった経緯としては、
取材も兼ねて記事していくことを
最初から考えていたから、
また、お互い仕事抜きで普通におしゃべりしたい
という気持ちがあったからです。

シンさんの個人的な話に触発されるかのように、
この原稿の文字を起こしている上田も
じぶんの過去の話を気づくと、
たくさんしていました。
録音したテープ聴き直すと、
かなりじぶんのことについて、
おしゃべりしていました。

ぼくがシンさんの個人的なお話を聞いて、
一番興味深かったのは、
シンさんは、デザインがすごく好きで
デザイナーになったわけではないということ。
そして、実はデザイナーじゃない職業に
憧れていたこと。
現在、デザイナーであるご本人の口から、
その事実を聞いたとき、
正直、意外でした

デザイナーになる人は、
みんなデザインをやりたいと思って、
その道を選んでいると、
先入観を持っていたからです。

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雑談場所:名曲・珈琲 新宿らんぶる
(シンさんのお気に入りの喫茶店です)


得意なことを仕事に、できることを仕事に。      

シンさんは、デザイナーになる前の
会社員時代の話をしてくれました。
入社した当時はオペレーターとしてスタート。
会社では、デザイン業務において、速さと正確さが
求められていたようです。

(以下、テープの切り替えが間に合わず途中からの会話になりますので、ご了承ください)

シンさん
そういう速さや正確さ(を求められる)みたいな、
そういう仕事を1個やっていた時期もあって、
そこの会社に入った理由っていうのが、
けっこういいデザイン会社だったんですよ。
つくっているもののクオリティが圧倒的に
高いというか、
そこにオペレーターなら入れるって
いうんで入って、
「いつかデザイナーに変わりたいな」
みたいな感じで。

で、たまたま他の(デザイナーの)部署に
欠員ができて、そっちに異動になったんですよ。
そこからは、自分が(デザインの)ラフを
描くところから参加できるようになって、
「こういう商品だったら、こういうデザインがいいんじゃないですか?」
という提案が、どんどんできるようになって。
それをやりはじめてから、
はじめて人のラフをもらったときも、
「もうちょっと自由にやっていいんだ」って
気づいたんです。
それに気づいてからの方が、
圧倒的にいいものができるようになったし、
たのしくもなっていたんです。
だから、仕事だからといっても、
スピードと効率さと正確さだけでやってても、
たいしたものができなくて……。

上田
表現する人たちは、
何かにじみ出てくるんですよね。
趣味嗜好、好き嫌いとか。

シンさん
出ますね。

上田
そこを知っているかどうかで、
(お願いする側も)ある種バイアスとか
入ってきちゃうけど……、
仕事をお願いする先として、候補として、
すごいイメージが湧きやすいと思います。

例えば、ずっと仕事の成果だけで見たとき、
「この人ずっとギャグの作品ばかりやっているから、きっとギャグが好きなんだろうなぁ」
とかって、思いがちなんですけど、
そしたら全然違ってて。
「ギャグが大嫌いなんだよ」って
言われたりとか(笑)。
「実はギャグじゃなくて、日本映画の小津安二郎のような芝居を描きたいんだよ」
とか聞いたときに、全然違うなぁって。

シンさん
あるんですね。

上田
でも、ここがまたおもしろくて、
人から求められる仕事をやった方が
自分の結果が出やすい人もいる
んですよね。

シンさん
うんうん。

上田
自分が苦手、そこまで好きじゃないと
思っているものとか、
そんなに関心がないけど得意って人もいて、
そっちでプロとして求められる人もいるなぁと
思っていて。

シンさん
めっちゃわかりますね。

上田
「好きを仕事に」とか、
「好きこそ物の上手になれ」
みたいな言葉ありますけど、
全部に当てはまるものでもないのかなとは
思いますね。
今「好きを仕事に」という時代の流れが
ありますけど、
ぼく最近、「好きを仕事に」も大事だけど、
「得意なことを仕事に、できることを仕事に」
っていうのもいいんじゃないかなと。

シンさん
そっちの方が幸せになれると思いますね。


任天堂のゲーム音楽をつくる人になりたかった。

シンさん
……ぼくの話を、ちょっと、していいですか?

上田
どうぞ。

シンさん
僕それこそ、小さい頃、
ほんと任天堂のゲームが好きで、
小6ぐらいから、
ファンサイトつくってたぐらいなんですね。

上田
ファンサイト。

シンさん
任天堂の
『スマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズ)』
というゲームの。

上田
あ、知ってます。

シンさん
めっちゃ(当時)大人気のファンサイトになったんですよ。

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(当時のファンサイト ※現在は閉鎖)


そればっかり、ずっと小学生のときやっていて。
「任天堂っていいなぁ」って、
「任天堂のゲーム音楽をつくる人になりたかったなぁ」
って。


(途中頼んでいた軽食がテーブルに運ばれてくる)

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シンさん
いただきます。

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上田
ドライカレー、いいですね。

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(上田は、ミートソーススパゲッティを頼みました)

(話戻して)


上田

そうですか、音楽を。

シンさん
音楽の打ち込み、
パソコンでつくるのがすごい好きで。
なんで好きになったかわからないんですけど、
もう家中にあるゲームの曲で、
気に入ったやつは全部、
パソコンにつないで、
録音して、
自分でサントラつくって、
それを耳コピして、
打ち込んで再現するのをずっとしていたんですよ。
『MOTHER2』も好きで。
いろんな曲再現していたんです。

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そういうのもあって、
ずっとそういうことやっていれば、
「自分は作曲家になれるだろう」
と思っていたんです、小さい頃。
それでずっと生きてきたんですけど。

大学のときも、
「オーケストラの勉強しよう」と思って、
オーケストラ部に入って、
楽器とかも弾いてるんですけど、
ほんとは
「オーケストラの編曲の曲が書けるようになりたい」
という動機で入って。
それで、
劇的に耳コピとアレンジばっかりつくって、
作曲全然してなかったんで、結局就職のときは
全然ダメだったんですけど。
そのときに、はじめて、
自分の好きでやりたいことばっかりやっていても、
全然成果が出なくて。

そうじゃなくて、
人からよく頼まれて似顔絵とか
描いてたんですけど、
漫画のキャラとか描いていたら、
そしたら、すごく喜ばれて、成果が出やすい

上田
うんうん。

シンさん
(僕が)やりたい音楽は誰も求めてないし、
聴いてもらっても、あんまりパラパラとしか、
感想もなくて、
自分はもう(周りから)反応がもらえる
デザインじゃないと生きていけない、
食べていけないなって思って、
それからデザイナーの方向に移っていくんですよ。

デザイナーっていうと、
華やかでいいとか、
自分もそういう羨ましがられる仕事だとは
思っているんですけど、
「デザイナーになってみたいんだよね」って
よく言われるし。

だけど、
自分自身は、好きなことを仕事にしているわけじゃなくて、できること、提案できることをしている。

上田
そうですよね。

シンさん
だから、完全に「好きを仕事に」は
実践していないんですよね。

上田
ぼくもそうですね。

シンさん
そうですよね、
さっきお話(上田の名刺づくりの話)
うかがっていたら、
そういう感じだったなと思って。

上田
「(じぶんは)アニメそんなに好きじゃないんだろうな」

って、仕事しながら思いましたね。
そんなにオタクじゃないというか、
どんどん冷めているじぶんがいたんですよ。
アニメ業界辞めた理由のひとつにそれがあると
思っていて
(上田は約10年、アニメ会社で制作をしていました)。

シンさん
うんうん、めっちゃ大事ですよね。
それに気づいて行動するっていうのは。
だけど、たぶん、
そのアニメのつくるプロセスの中に
好きな部分があるんですよ。

上田
つくっている人が好き
だったんですよね。
能力のある人。
能力のある人の仕上がりを見るのが
好きだったんですよ。


デザイナーとアレンジャー。

上田
音楽をここまで
アレンジするのが好きっていうのは、
ぼくはシンさんの仕事の工程を全部は
見ていないから、わからないし、
(以前一緒に制作した)本でのやりとりしか
知らないんですけど、
アレンジジャー的な側面って、
デザイナーの中で
活かされているんじゃないかなって
気がするんですけど、どうですか?

(『居心地の1丁目1番地』 2019年にコルクラボと前田デザイン室で一緒につくった、コミュニティについての本です)

シンさん
ぼくも、それは、けっこう思いますね。
基本的に、
ゼロイチがずっとやりたいっていうより、
耳コピばっかして、それを聴いて、
「もっとこうしたらいんじゃないか」っていうのを
頭の中で想像して、
それを形にするっていうのを、
ずっとやってたんですけど、
デザインもそんな感じだなと思っていて。

上田
つけ加えるというか、補足するというか。

シンさん
そう、そういうのが好きなんですね、たぶん。
好きなのか得意だから、
それしかしてないのかもしれないですけど、
自分ではわからないんです。

上田
ちょっと似ているなぁって思うのがあるんですよ、
今の話を聞いて。

シンさん
はい。

上田
ぼく、音楽に関しては、
ゲームの音楽を、
ピコピコの音楽を、
オーケストラにしたときに、
テンションがあがるタイプなんですよ。

シンさん
うんうん。

上田
このピコピコの音源の少ない音楽を、
オーケストラにしたら、どういう風に解釈して、
どの楽器で演奏するのか、
その変化を知るのが好きだったんですよ。
『ドラゴンクエスト』の曲って、
最初ピコピコでやって、必ずサウンドトラックで、
オーケストラで出すじゃないですか。
ピコピコ音源そのものじゃなくて。
で、聴いたときに、
「え、これがこうなったの!?」という
ファーストインプレッションが半端なくたのしい。

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※当時、オーケストラトラックの最後に、ファミコン音源楽曲がゲームプレイ形式で収録されていました
(上記の写真は、上田の父がオーケストラ好きで、小さい頃買ってきてくれたアルバム、現役です)。

シンさん
めっちゃわかりますね。

上田
「あ、こう解釈できたか」って。

シンさん
『ドラゴンクエスト』だと、
作曲者が編曲してるんじゃないですか?

上田
そう、すぎやま(こういち)さん自身が
オーケストラの人だから、
オーケストラにする前提で、
ピコピコ音つくっているんですよね、
プロセスとして
(編曲・構成については、すぎやまさんご本人のようです。作曲・編曲プロセスについては、ぼくらの想像で勝手に語っています)。

シンさん
うーん、たぶん、オーケストラの音を想像して、
それをピコピコに落とし込んでいる。

上田
そうそう、よくよくは、
オーケストラにするぞっていう前提だから。

シンさん
3音じゃ足りないですからね。

上田
削ってんのかな。

シンさん
削らなかったら、
「こんなすごいんだぞ」っていうのが、
オーケストラ版のすごさ。
ぼくは、そういうので、
ファミコンのピコピコ音を聴いたときに、
オーケストラにしたら、めっちゃいいだろうって
思って、自分でつくりたくなるっていうのが、
けっこうあった。

上田
ああ。

シンさん
頭の中で、妄想広げて、
「こういう音が合いそう」って
いろいろ考えて、
つくっているのが一番幸せだった。

上田
いいですね。

※後日、作曲・編曲プロセスについての、すぎやまさんのインタビューを発見しましたので、以下、一部引用させていただきます。

一つ共通することは、頭のなかにふっと湧いてくる音楽は、僕の場合オーケストラ音楽なんです。それはドラゴンクエストでもポップスのときも共通です。
(途中、省略)
ドラゴンクエストの曲を作るときは、頭に浮かんだオーケストラ音楽をどうやってファミコンの2トラックや3トラックで表現するのかというのが課題でした。つまりオーケストラ音楽をファミコン用に「圧縮」しなければならない。一方で、ゲームの音楽を交響組曲にする場合は、2トラックに縮めていたものを元に戻しているだけ。「編曲」しているのではなく、元に戻す感覚、つまり「解凍」しているというわけですね。
ー2016年3月16日、東京の自宅にて

出典:
『ドラゴンクエスト30thアニバーサリー KOICHI SUGIYAMA works
勇者すぎやんLV85』
すぎやまこういちの音楽人生 一万字Talk


<つづきます>

次回こちらです。


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