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『演技と身体』

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東西の哲学、解剖学、脳神経学、古典芸能(能)の身体技法や芸論を参照しながら独自の演技論を展開しています。実践の場としてのワークショップも並行して実施していきますので、そちらも是非… もっと読む
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#無意識

『演技と身体』Vol.42 無意識の話⑩ まとめ

『演技と身体』Vol.42 無意識の話⑩ まとめ

無意識の話⑩ まとめ全10回に渡って無意識についての考えを述べてきたが、僕自身も無意識の領域を専門的に勉強しているわけではないので、今後実践を通してさらに探っていきたいところである。
最後に全体のまとめを述べておこう。

諸行無常=無意識も自己も変化し続ける

意識的な動作は反復によって無意識化し、逆に無意識の動作はエラーが起こった時などに意識化されるのであった。このように、普通ものごとは意識と無

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『演技と身体』Vol.41 無意識の話⑨ 声の響きと無意識

『演技と身体』Vol.41 無意識の話⑨ 声の響きと無意識

無意識の話⑨ 声の響きと無意識前回は脳の活動そのものを低下させることによって「恍惚」状態に接近する方法について考えたが、セリフという言語構造の枠内で「恍惚」状態に近づくことはできるだろうかという点を今回は考えたい。

響き

僕が可能性を見出しているのは声の“響き”だ。
例えば、歌を歌っている時や聞いている時に突然涙が出てきたり、感情が昂ったりしたことはないだろうか。
音楽は無意識の表面化を引き起

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『演技と身体』Vol.40 無意識の話⑧ 言語構造から抜け出る

『演技と身体』Vol.40 無意識の話⑧ 言語構造から抜け出る

無意識の話⑧ 言語構造から抜け出る
前回は、言語構造を抜け出た世界や個人的な無意識の外にある自他の区別のない世界(集合的無意識)に足を踏み入れた状態について話したが、今回はそのような「恍惚」状態に到達するための演技の方法論について考えていきたい。

言語レベルでの自己を放棄する

無意識状態を表面化させるには意識の働きを低下させる必要がある。
Vol.37、38の記事では、言語構造の中にある無意識

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『演技と身体』Vol.39 無意識の話⑦ 「私ではなく、私でなくもない」

『演技と身体』Vol.39 無意識の話⑦ 「私ではなく、私でなくもない」

無意識の話⑦ 「私ではなく、私でなくもない」前回までは言語の仕組みを手がかりにして無意識の働きについて考察したが、今回は、そもそも言語構造外について考えることができるのかということをテーマにしてみたい。

自他の区別のない世界

簡単におさらいしておくと、無意識は個人的無意識と集合的無意識の二層構造になっているのであった。Vol.35無意識の話③で説明した通り、個人的無意識というのは個人の脳の働き

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『演技と身体』Vol.38 無意識の話⑥ 言語的無意識〜イメージを重ねる〜

『演技と身体』Vol.38 無意識の話⑥ 言語的無意識〜イメージを重ねる〜

無意識の話⑥ 言語的無意識〜イメージを重ねる〜前回は、言語の構造を意識と結びつきの深い〈統語法〉的な働き(文法)と、無意識的な機能である〈喩〉的な働き(比喩)の二つに分けて考え、無意識の働きを引き出すためには〈統語法〉的な機能を低下させるということと、〈喩〉的な機能を強調することの両方向からのアプローチが必要だということを述べて終わった。
今回は、その具体的な方法を検討する。

言葉を無意味化する

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『演技と身体』Vol.37 無意識の話⑤ 言語構造と無意識

『演技と身体』Vol.37 無意識の話⑤ 言語構造と無意識

無意識の話⑤ 言語構造と無意識言語は意識と無意識の混合体

前回は、個人的無意識状態である「忘我」と集合的無意識状態である「恍惚」について説明したが、これらの状態に技術的に接近するためには、言語構造と無意識の関係について考えることが有効だ。
というのも言語の構造はまさに意識と無意識の混合によるものだからである。つまり、その混合の中から無意識的な働きにフォーカスすることができれば、無意識に接近する方

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『演技と身体』Vol.36 無意識の話④ 「忘我」と「恍惚」

『演技と身体』Vol.36 無意識の話④ 「忘我」と「恍惚」

無意識の話④ 「忘我」と「恍惚」前回は無意識に、個人的無意識と集合的無意識の二種類があることを説明し、演技における「忘我」、「恍惚」の状態がそれらに対応するものであることをほのめかして終わった。今回はその続きである。

個人的無意識と超個人的無意識

「忘我」・「恍惚」とは、演技において無意識が表面化した状態を二種類に分けて僕が名付けた呼び方であり、無意識の二つの状態に対応する。
無意識の二つの状

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『演技と身体』Vol.35 無意識の話③ 心と無意識

『演技と身体』Vol.35 無意識の話③ 心と無意識

無意識の話③ 心と無意識前回までは、無意識を動作との関連の中で考えたが今回からは、心の働きにおける無意識について考えていきたい。
(なお、今回の記事を書くにあたって主に参照しているのは中沢新一『レンマ学』である。)

なぜ無意識なのか

まず、役者として無意識の問題と向き合うべき理由について述べておこう。
一つには、無意識は心の働きの大部分を占めるものであり、感情を表現するに当たって決して無視でき

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『演技と身体』Vol.34 無意識の話② 無意識を意識化する

『演技と身体』Vol.34 無意識の話② 無意識を意識化する

無意識の話② 無意識を意識化する前回は、意識的だったものを無意識化することについて述べてきたが、今回はその反対についても考えてみたい。

無意識はエラーによって意識化される

歩く行為が無意識の動作の総合であることは前回述べた通りだ。では逆に歩くという行為における一つひとつの無意識の動作が意識されるのはどのような時だろう。それは歩くことに困難が生じた時だ。たとえば足を骨折した時、松葉杖という新たな

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『演技と身体』Vol.33 無意識の話① 台詞や動作を無意識化する

『演技と身体』Vol.33 無意識の話① 台詞や動作を無意識化する

無意識の話① 台詞や動作を無意識化する無意識について語るのは非常に難しい。
無意識と一口に言っても、日常の習慣的動作から深層心理まで使われ方は様々だし、また科学的にも学問的にも十分解明されたとは言い難い、未開拓地なのである。にもかかわらず、それが人の行動や感情に大きな影響を与えていることだけは、多くの人が一致した見解を持っているのだから、無意識について考えないわけにもいかない。
演技者にとっても無

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