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博士論文2022年11月の報告書。

ミャンマーで拘束されていたドキュメンタリー作家の久保田くんが解放された。7月に拘束されてからおよそ4ヶ月。随分と長い時間だったと思う。

判決が懲役10年と出た時は僕でさえ視界が暗む思いがし、その長さを想像して絶望した。久保田くんはクマ財団の同期である。友人がそのような目に遭うとは、想像さえしていなかった。

釈放が決まる少し前に久保田くんと仲の良い知人に会った。その人は久保田くんがミャンマーに渡る直前に久保田くんに会い、「やめた方がいいんじゃないの」と止めつつも止めきれなかったこともあって、久保田くんの収監にも自分自身に非があるようにすら感じてしまい責任に苛まれ、心を病んでいた。僕はその時はじめて久保田くんに怒りのようなものを覚えた。

僕は勝手に、久保田くんはそうした収監や危険のリスクも覚悟した上で行動に移ったのだと思っていた。自分がもしも久保田くんの立場なら、そうしただろうからである。とはいえ久保田くんの収監を通して全く落ち度のない自分を責めてしまうほど心配する人もいる。覚悟をきちんと言葉にして伝えておくことも責任なのだと思った。

その人は自分が病んだとしても辛く感じても帰ってきた久保田くんを責められないだろうと思う。でも責めていいと思う。帰ってきた喜びを前提としつつ、きつく責めていい。

本当に多くの人が心を痛めていたのだ。久保田くんが収監されている一方で何もできない現実があり、普通にテレビをみて笑ったり友人と食事をしたり普通に暮らしていることにさえ罪悪感を感じながら暮らしていた。それはあってはならないことだし、必要のないことだ。久保田くんが帰ってきた今はそんなことを思う。

おかえりなさい、とまずは伝えたいけれど。

この博士論文noteの1周年

このnoteは『2023年3月に博士論文を書き上げるまで』という連載の2022年11月号である。このマガジンを始めたのがちょうど2021年の11月号なので、1周年を迎えた。

このマガジンでは東大の建築学科の博士課程にいる僕が、博士論文の執筆を中心として、様々な研究プロジェクトやラジオ出演、雑誌への寄稿、コンペの参加とそのプロセス、様々な建築の視察などを通して日々考えたことについて綴っている。

自分でも博士課程自体がどうなるかわからなかったが、複数コンペへの入賞やラジオや雑誌などのメディア出演、貴重なプロジェクトへの参加など広がりのある経験ができて記述も充実したものになってきたと思う。

このnoteの役割を3つ挙げるなら「博士の七転八倒のプロセスや経験の記録」「Tipsの共有」「僕自身の精神安定剤」。自分自身のマガジンであれ、なんでも書き発信できる場所があるというのはいいことだし、課金バリアによって赤裸々にかけることは僕にとって本当にありがたがった。

もう少しゆったりと続けたい。

第17回ダイワハウスコンペの最終審査

さる11月2日にダイワハウスの設計コンペに参加し優秀賞を受賞した。192作品中2位とのことらしい。提案は「8人が能面をつけて暮らす集合住宅」で、ぶっ飛んだ提案だがそれなりの評価を頂けたことは良かったと思う。

詳しいことは下のnoteに書いた。コンペまでの道のりやプロセス、審査会当日のことや裏話エピソード、現場で聞いた話などを書いている。マガジンを購読してくださっている方はぜひ後半の部分を読んでみていただきたいと思う。ちなみに能面は12万円ほどした。

オークションで競り勝った一品。ちなみに12万は格安である。

最終審査では「構想としてはいいものの、建築としてのリアリティが不足している」と散々に言われた。僕としては何度聞いても、後から聞き直してもあまりよくわかっていなかったのだが、『風立ちぬ』という映画作品のアートブックに載っていた2枚の図をみたときに、その意味がクリアにわかったように思った。

下の絵は宮崎さんが製作の初期段階で描くイメージボードである。宮崎さんはこうしたイメージボードを製作初期に何枚も描き、イメージを自由に膨らませてから製作に入ることが知られている。大胆で抒情的であり、幻想的なニュアンスのある素晴らしい絵。飛行機が空高く舞い上がっていくイメージが脳内に伸びやかに広がる感じがする。

『The Art of THE WIND RISES』より

上の図は映画の一場面。明らかに下の絵の時のようなイメージの強さは薄れている。しかし下の絵はどうやってもアニメーションにはならない。時間軸がないのである。端的に言えば下の絵にアニメーションとしてのリアリティはまだ薄く、上の絵にはアニメーションとしてのリアリティがある。

アニメは一枚の絵の動きを細かい何枚もの動きに分割し、セル画に書いていってそれをまとめながら作る。それは分業制であり、2時間をこえる膨大な積み重ねが必要なために、線のルールや色の管理なども重要になる。そしてその膨大なカットを積み重ね組み合わせることによって時間軸とストーリを持ったシーンが出来上がっていく。

下の絵はいわばスケッチであり、アニメーションをアニメーションとして成立させていく上で必要なルールや映像としての構成が薄い。逆に上の絵は情感こそ薄れているものの、しっかりとアニメーションの一場面になっている。すなわち線と塗りに分かれ、様々な動きへと分割された、アニメーションとして分業して作れるものになっており、アニメーションとして動くものになっており、アニメーションとしてシーンをつなぐカットになっている。

イメージを可能な限り守りつつ、現実的に作るということから要請されるルールや制約に応じて、ある程度のグレードダウンを許容していく。できるならイメージが全く薄れない(もしくはさらに広がる)ように踏み込んでいく。そのプロセスによってイメージとリアリティの矛盾をすり合わせていく。それが「リアリティを獲得する」ということのひとつの意味なのではないか、と思った。

僕の提案の模型はその矛盾との格闘というより立体的なスケッチだった。

『風立ちぬ』作画監督の高坂さんのインタビューが印象的だった。

宮崎監督自身、作業を進めながら、どんどん考え方が変わっていく方なので、そこについていくのは大変でしたし、思い入れの強いカットになると、線の濃さだけで「もう一回」ということになる。本当に微妙な違いで、最終的にセルのトレス線になると鉛筆の線よりも均質になってしまうのですが、それでも表現が損なわれないところまで持っていかなくてはならない。そこでわからなくなるくらいの差だとしても、少しでも伝えられるものが削られないようにしたいという気持ちや、“絵を生きたものにする”ことに対する執着を強く感じさせる仕事でした。

『The Art of THE WIND RISES』

第41回昭和池田賞の授賞式への参加

11月4日に、第41回昭和池田賞の贈賞式があった。僕は優秀賞の受賞である(該当の論文は下記リンクより読むことができる)。

この論考の概要を、友人が「大学の機能の共通部分を抽出して汎用性のある基盤を作り、それを地域レベルなどへ拡大して共同利用して効率化を図るというATP構想」とまとめてくれていて、非常にわかりやすい説明だと思った。

贈賞式は非常に和やかな会で、みんなでお昼とか楽しく食べて、すごく前向きな気持ちになれる素敵な会だった。

天気がよかった。
でけえな、と言われる。

しかし前に座っていた陽気なおじさんが財団の母体であるSMK株式会社の社長だったり、斜め前に座っていたのが気さくなおじさんだと思ってたら、愛・地球博を全部取り仕切ってた中村利雄さんだったり、なかなか不思議な経験をした。

池田理事長も1937年の生まれで今年で85歳なのに元気で若いし、中村さんも76歳とかなのに50代に見えた。みなさんパワーがすごい。天気も良くて気持ちよかった。

入賞作品をまとめた財団発行のブックレットには「審査会においては、石田さんの問題意識やそれに対する前向きな提案内容、そして提案のコンセプトが高く評価され、優秀賞の贈賞に至りました。一方で、ATPを実現するには色々と課題もあるのではないかという議論も交わされました。実装および運用フェーズを見据えたより具体的な検討がなされれば、さらに素晴らしい論文になったのではないかと思います。」とあった。

具体的に贈賞式で伺ったところによると、今の体制の維持が仕事になっている人にとっては既得権益になっているのでそこは打破しづらくなってしまう。例えば経理もそうだし、あるいは試験なんかもそうかもしれない。試験を作ることが仕事になっている人もいる。そこをどう崩すかという戦略もまた必要なのではないか、という非常に実務的な指摘であった。

僕としては、いろんなことを経験しながら改めて考えていきたいと思う。入賞者の一言の時にそんなことを言うと、中村さんが後で「経験という面で言えば、役人の経験からすると(中村さんは経済産業省の役人で、元中小企業庁の長官)、法律についてもこれは通しやすい法律、これは通しにくい法律というのがある。だからルールを作る際にも、そうした通しやすさなんかも見据えて構想することが必要になってくる。例えば僕が経験から言えることでいえばそういうことがある。そういう肌感覚を掴んでいくのが役人の“経験”でもある。」と話してくださった。この通しやすさというのも理由づけの根拠のしやすさだったり、関係省庁の数や関係性だったり、利権との兼ね合いだったり色々あるのだろうなと想像した。

僕のスピーチは次のようなもの。

私は普段は建築を専門に研究をしております。なので今回の論考で書いたようなアカデミアのシステムについては研究上の専門というわけではありません。それでも自身の経験をもとにずっと考えてきたことを改めて整理しながら書き上げました。
私は27歳とそれなりの年齢になってきました。それでも経験していないことや知らないことがたくさんあります。思考は、経験への応答であると思っています。したがって自分にとっては考えようのないことや書けないことが多くあります。一方で、今書いておかなければその切実さが薄れてしまうものもあるように感じます。僕にとって博士課程での経験はそのようなものです。
この論考を書いたのは2022年の2月ですが、その時期は博士での負担なども積り、鬱々としていた時期でした。回復しようともがく中で、今回の論考の執筆はある種の治療でもありました。自分の混乱をなんとか整理して解決案を構想し、そこに進んでいこうとすることそれ自体が心の救いにもなるからです。そのためというわけでもないですが、今読むと論考の端々には辛そうな感じもあります。やや痛々しいところもあります。しかし、その記録性をこそ面白いとも思います…

博士論文の登録審査への提出

博士論文の登録審査のための論文を提出した。しかしこれには随分と混乱が伴った。

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3,691字 / 1ファイル

旧「2023年3月に博士論文を書き上げるまで」。博士論文を書き上げるまでの日々を綴っていました。今は延長戦中です。月に1回フランクな研究報…

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