見出し画像

第17回ダイワハウスコンペで優秀賞を受賞しました。

第17回ダイワハウスコンペで優秀賞を受賞しました。最優秀賞は一つ、優秀賞が二つで、優秀賞の間の優劣は決まってはいないので192作品中の2位とのことです。8月に参加を宣言してからなんとか最後まで来られてよかったと思う。ただまあ負けた悔しさもあるし考えたことも色々とあるので、気持ちの整理としても書いておきたい(後半は課金バリアありますのであしからず)。

Ⅰ:作品のこと

初めに、自分の作品について書いておく。他の作品についてはまだYouTubeでしか出ていないようなので、詳細に読まれたい方はYouTubeでの議論を参照されたし(リンク)。当日来られてた方は、「Ⅱ:審査のときのこと」から読むのがおススメです。

https://www.daiwahouse.co.jp/compe/17th/

「電気を使わない家」というお題の面白さ

まずテーマについて。僕は今回の「電気を使わない家」というテーマを大変面白いテーマだと思った。東日本大震災の直後は原発の問題などもあり電気をなるべく使わない暮らしが構想された一方、現代のコロナ禍にあってはテレワークなどむしろ電気を積極的に活用する暮らしが構想されており、今回のテーマは、2つの災害の経験を通して改めて問われた、人の集まる意味を根本から問い直そうとするテーマでもあると感じた。

プライバシーと電気の関係

 そうした中で僕がテーマとしたのがプライバシーだった。

  高温多湿の日本で壁を作り、他人の視線や音を避ける時、空調や照明が必要になる。現代においてプライバシーを守るには電気が必要である。
 同時に電気はプライバシーを生みもする。人は常に明りに照らされ続けることで、その個人であり続けることになる。つまり灯りによって夜の匿名性が消えたように電気もまたプライバシーを形作ってきた側面がある。
 一方で世帯が核家族化や個人化し分裂できるのは、電気によって生活が便利になるからでもある。電気もなく一人では掃除も洗濯も終わらない。電気を使わない暮らしは、どうしても共同生活へと向かうことになる。しかし皆で暮らすからと部屋を閉じると暑い。開くと音はすべて漏れる。ここでまたプライバシーが問題となる。
 以上のように「個人でいられること」「個人にされること」「一人になること」の様相は電気を介して相互に規定しあう。この様相は現代建築の基盤であるともいえる。
 だから、現代の電気とプライバシーの関係を問い直しながら、現代で電気を使わないからこその新しいプライバシーと豊かさを描きたいと思ったのである。

 こうした解釈を踏まえ、本提案では三鷹の森を敷地として「仮面をつけて暮らす集合住宅」を構想している。

 息苦しかったマスクが次第に当たり前になるように、面も次第に身体化していくと考えられるが、お面をつけることで、人の顔、声、性別や年齢は変わり、装束を合わせれば体型も変わる。この住宅は、都市において自分を離れたい人や自分に疲れた人たちを住み手として想定している。

能面をつけて暮らす集合住宅のこと

本提案では8人の住居者が面をつけて共同生活を行う設定とし、それぞれ面ごとに門と寝室を設定した。面は1日ごとに入れ替わる設定とした。今日は少し怒っている気分だと思って般若をつけたいと思って帰ると、面がすでに使われていて早めに帰らないと行けなくなるということも起こる。そういういろんな制約の設定と、それを起点としてうまれていくような繋がりを考えた。

そのうえで、本提案では面ごとに共同生活の機能を割り振る設定とした。共同生活における仕事は彼らのコミュニケーションのきっかけともなる。

ちなみに能面は全部自分で書きました。

電気を使わないということは、便利な家電なんかを使えないということでもあるので、基本的にみんなで洗濯や家事を分担する共同生活にならざるを得ないと発想し、その中で役割や存在が固定しないような繋がりを作る装置として面を用いた。

面を1日ごとにいれ変えるということは、昨日の般若と今日の般若はおそらくは違う人、ということだ。すると仕事とか趣味みたいな個人に帰属するような話ができない。そこでは多分、共同生活の仕事や風景の話が彼らのコミュニケーションのきっかけで、都市の中で、必ずしも個人に帰属されないようなゆるい繋がりのあり方を構想した。

住み手はエリア周囲にある門で荷物を置き、着替えて面をつける。例えば俊寛では、門がここにあり、寝室がここにあり、「戸締り・トイレ掃除」と「生活物品・お金・書類管理」という役割なので、下図の経路が主な生活動線となる。面や役割が変わるごとに経路が変わり、生活の場所や動線、出会う人も変化する。

配置計画では生活空間と門と寝室を繋ぐように動線を想定し、加えて多様な面の動線が交わるように設計している。

三鷹の森での配置計画

敷地は三鷹の森の一部だが、この辺りは膨大な自然が保全されており街灯もない。西側の近くの公園から近づくと人の声が急に聞こえなくなり、逆の東の上水の側では生えた木々が住宅街の音や声を緩やかに遮っている。周辺は人々の静かな散歩道ともなっており、本提案ではこの森を保全しつつ、外部の動線と仮面の人々の生活動線が交わるよう計画した。つまり、この森は、普段は電気を使えず人も入れない場所なのだが、電気を使わない暮らしを通してこの森を保全しつつ生活空間とすることで、色んな人が訪れることのできる場所にもなるわけである。

面の空間認知に合わせた空間の設計

空間としては、面をつけると空間認知がかなり大きく変わるのだが、その空間認知に合わせて設計をしていった。能面を購入し、それをつけて模型を覗き込みながらスタディしていくプロセスは、様々な発見があって面白かった。面をつけて三鷹の森を数日間歩きまわるという不審者活動も学びが多くあった。

具体的には、面をつけると、面的な広がりが捉えづらくむしろ垂直性のある要素が目に入るようになることに気づいて、屋根と床をずらしつつ柱を置いて、そのガイドを辿っていくと全体が移動できる計画とした。柱の位置をずらすことで別の場所へのガイド性や緩やかな仕切りを作りつつ、壁によって環境を調整し、さらに空間に奥行きを作るような設計とした。

そのうえで、面をつけると90度に一気に曲がる動作が大変になると気づいて、能舞台の橋懸を参考に30度くらいで経路を振って繋いでいく設計とした。部分模型では、面をつけてないと無秩序で意味不明だが、面をつけて覗き込むと空間の経路と秩序が浮かび上がる、という状態を目指した。つまり、仮面をつけない人から見るとこの空間は一見無秩序だが、一方で仮面をつけると空間に秩序を見出すことができ、それを辿っていくことで人と出会ったり別の場所へ行けたりする、ということである。

こうした設定と設計によって、この電気を使わない暮らしを通して保全される生活空間としての森の中に、外部の人が深くまで入ってきて、例えば寝室のそばでおじさんがいるという交流も起こる。仮面は日ごとに変わるものの、外部の人にとっては同じなので、「昨日はどうも」などと話しかけられ、会話のきっかけとなるかもしれない。

そこでは、電気を使わない共同生活と森での暮らしを軸として、常に個人に帰属されないつながりが展開され、人々の緩やかなつながりが生まれる。ここは、従来のプライバシーと異なる開放系のプライバシーが守られる場所である。ここは従来のプライバシーとは異なる、"開放系"のプライバシーが守られる場所である。すなわち常に人と交わるが交流が個人に帰属されない。電気を使うというルールは共同生活に個人性をもちこむ。コミュニケーションの言い訳を奪い、夜も労働可能にし、作業を個人へと分断する。仮面がなければ共同生活での役割は固定化する。

 仮面があるから、役割も変わり機能も変わっていく。その中で「みんなで暮らしているけど、誰とも暮らしてないけど、いつも誰かと交流している暮らし」が生まれる。これは日常で仮面を利用する、現代における穏やかな自由の空間である…。

森と仮面とプライバシーと電気を使わない暮らしの組み合わせによって、不思議な距離感の交流の豊かさを街の中に作り出す。そんな提案だった。

1次審査の通過の依頼が来てからもう一度スタディをやり直し設計を発展させ、A0の配置模型とA1の部分模型を作った。能面を覗き込みながらスタディをし、発表資料を作って最終審査に臨んだ。

Ⅱ:審査の時のこと

プレゼンの最中のお話

審査当日のことを少しだけ書いておくと、まず発表の場所は奈良だった。模型をA0の模型一つ(300分の1の敷地模型)とA1の模型(50分の1の部分模型)で作ったので運ぶのは大変だった。新幹線に乗ろうとしたところで改札がうまく通れず乗車がギリギリになり、車内を席まで数車両分、A0とA1の模型を抱えながら歩いた時は本当にしんどかった。前日入りして当日に奈良駅のホテルからタクシーで会場へ向かった。会場は広くて模型を広げてゆったりと準備することができた。

A1サイズの部分模型(50分の1)。
A0サイズの敷地模型(300分の1)

審査会が始まる。今回は模型2つと能面をのせる必要があったので、自分の番にはそれをスタッフの人にも手伝ってもらいながら発表場所まで運ぶ。それで発表を始める。1分くらいしたところでパッと時計を見たら2分になっていて血の気が引いた。自分の発表は持ち時間の5分をちょっと出るのではないかくらいの分量であったので、明らかに間に合わない時間となっていた(後から動画を見返したら発表時間は4分しか与えられていなかった)。

https://youtu.be/HAemP8BXPAkよりキャプチャ。

どんどん時間が明らかになくなることで冷静さを失っていったように思う。その後の質疑応答では先生たちの質問などによりある程度回復できたものの、空間構成についての説明はできなかった。この点は後まで「建築になってない」「リアリティが弱い」としてずっと後に引くこととなった。

コンペでの議論はどうも揺れる海の上で漂っているような不安定さがある。審査員の間でも考え方や意見がまるっきり違うし、それがどのように動くのか全く読めない。最優秀の作品についても、推していたのは小堀さんと堀部さんの二人だけで、平田さんに至っては「総スカンをくらう言い方をしますが、本当にオジサン好みの作品」とさえ言い切って、最優秀作に流れる流れを止めようとしていた(今振り返ってみると、これは悪手だったようにも思える。ここまで言われて推しの作品を変えたら、建築家としてのプライドとメンツが潰れるし、むしろ推しの作品を変えづらくすることを助長していた)。

ずっと「これだけは絶対に選びませんよね?」と戦っていたのが平田さんと青木さんだったが、最後は全体のバランスの中でそこに落ち着くこととなった。途中で最優秀となった案と、中国人3人の案と僕の案の三つ巴となり、審査員が最優秀作品1点を投票して選ぶという方式では結論が出ず、3点の作品、2点の作品、1点の作品というように投票し、その総点の比較で争うという形式に変わった。最優秀の作品が10点を集め、中国人の作品が9点、僕の作品が8点。

発表を通して審査の中で、僕の作品を最優秀に最後まで推してくれていたのは審査員長でもある青木淳さんだった。作品を通して示そうとしたことについて理解を示してくれたうえでの評価で、随分と戦っていてくださっていた。小堀さんも一番ではないものの2番手に押したい作品として推してくれていたし、平田さんに至っては、最初は全く興味ないのかなと思っていたら、途中で1次審査の時には僕が一番推していたと教えてくれてびっくりした。そして2番手として推してくれていた。

ここから先は

7,093字 / 4画像

旧「2023年3月に博士論文を書き上げるまで」。博士論文を書き上げるまでの日々を綴っていました。今は延長戦中です。月に1回フランクな研究報…

サポートは研究費に使わせていただきます。