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研究日記10月の報告書

10月29日に誕生日を迎え、29歳になった。ほとんど仕事もないままに29歳となるとは思わなかった。フラフラしているといろんなプロジェクトによんではもらえる。しっかりしたものもあるしとてもいい加減なものもある。ほとんどはいい加減なものである。

お金も払わずに働かされることが多くて、さすがに疲弊してきた。不安定であることは特に気にならないし、まあいい加減であることも良いのだが、不安定は自分のためにあるときには贅沢でもあるけれど、時間を取られ二束三文に利用されしかし先が見えないという不安定さというのは疲弊する。

全体を見ながら仕事を選んでマネージメントすればいいと思うのだけど、そうする気力がどうにも起きない。付き合う相手と参加するものをきちんと選球し、自分で仕事を求めて金額と時間のバランスをとって組み立てれば良いだけなのだが、自分を二束三文で損なってしまってまあどうでもいいやと考えてしまう。気持ちを病んで仕事を辞めてから、まだ回復には遠いのだろうとは思う。

物事は実に不安定に進んでいる。あるいは行ったり来たりしている。

あとうっかりと足を怪我した。まだ痛い。ふーむ。

あと8月の中旬にお酒をやめようと決めてそこから1滴も飲んでいないのだが、お酒をなくしてから時間が本当に長い。10月は本当に長かった。

1. Synと虎ノ門ヒルズ

虎ノ門ヒルズのオープンの少し前に、ライゾマティクスらによるSynプロジェクトを鑑賞した。虎ノ門ヒルズの上階にあるギャラリーにて実施された、ダンスパフォーマンスと音と映像などをフルに活用した体験型のパフォーマンスである。

上の方にあるホール。音割れないのかと気になってしまう。
オープンする前くらいの虎ノ門ヒルズステーションタワー。地下鉄との連結部分。
Synの入り口。ここからがすごい。

演出手法として膨大なアイディアが投入されていて、膨大な時間と費用と工夫を感じた。海外の人にもわかりやすいだろうし、オープニングとして非常にショッキングなものであると思う。その一方で、虎ノ門という街が今後どのように変わってゆくのかについては、ヒルズの体験を通して僕にはまだクリアにならなかった。

しばしば思うのだが、ARやVRのようなテクノロジーは、都市に正当性を与え、それを本当に力強く形作ってゆくファクターになるのだろうか。それはその複雑性と実装困難性ゆえに、多くの都市に暮らす人々をお客様であり続けさせるのではないか、と考えたりもする。コンテンツはあくまで表層的なものなのかもしれない。

一方でリアリティの複数性ということについては、そうしたありようは今の都市に最も欠けているものでもあると思う。

例えばお寺は、宗教的世界観を基底として、聖と俗、夢とうつつ、生と死、極楽と現世などの様々なリアリティが複層的に共存した場所であったのだろう。人は他者を想像するとき、その人を直接想像するというよりも、その人間のいるリアリティを想像することを通して他者を想像する。だから複数のリアリティが重ねられた場所とは、互いにそれぞれのリアリティを感じ合いそのことを通して相互理解を醸成してゆくことのできる場でもある。寺が公共空間であったというのは、その意味においてなのではないかと思う。

現代の建築が建築家による一意的な公共性として表現されるとき、それが豊かであったとしても、リアリティはほとんど一つしかない。そのことが実は、公共性の欠如そのものなのではないかと考えたりしている。

2. イスラエルのプロジェクト

イスラエルの戦争について、心を痛めている。ちょうどイスラエルの交通改善に関するプロジェクトに参加していたところだったというのもある。

主に若者のバス利用を促すためのデザインを考えるプロジェクトだったが、バス利用に関する若者のインタビューからは、テロへの恐怖や他者との関係の積極的な忌避など、日本にいるとあまり想像できないような状況も垣間見えた。そうした潜在的な脅威が、突然に目に見える形で立ち現れてきたことに、僕は非常に困惑した。

それは僕らの思うリアリティがあまりにも不確かなものであることが、この上なく凄惨な形で露呈したことに対する困惑である。日本の中で考える「バス利用」のようなものに対するリアリティの薄れといってもよい。ただ突然に音楽フェスで踊っていただけの人たちが大量に虐殺されるということに対して、僕はそのあまりにもな自分の日常との隔たりに、リアリティをもつというより当惑することしかできないでいる。

もう少し幅の広い切実さをもちたい。

(このプロジェクトは僕にとって実に学びの多いプロジェクトであったし楽しんでいたのだが、さすがにペンディングとなった。チームメンバーの気持ちが心配でいる。)

3. 展覧会準備

まだ詳細は書けないが、12月から都内のとある美術館での展覧会に参加する予定で、現在その準備を進めている。僕は3つくらい作品を出すということで段取りが進んでいる。来月くらいには書ける(はず)と思う。このマガジンで議論を継続している博論やOff-Realについて新作を発表する見込みなので、詳細はここに載せてゆきたい。

美術館の裏側はぼくの思っていたよりも制約のかたまりで、アーティストの人たちはこのような場所でたたかっているのかと正直愕然とする。日本の研究環境もタフだがアートシーンもおそらくはあまりにタフである(そのへんのことは来月か再来月に書こう)。

美術館を新しく作っていくというよりもその周縁にある様々な活動―例えば評論や研究的活動など―を積極的に支援しなければ、アート領域が真に豊かな土壌として改善されてゆくことはないのではないかと思わされる。価値はしばしばその中心的なものというよりも、その周縁の量感が生み出すから。

4. ユイマナカザト展示会

パリコレデザイナーであるユイマナカザトさんの展示会に参加した。パリコレでみたコレクションと普段着用のコレクションが並んでいて、ショーにおける服しかみたことなかったのだが、普段着用のシャツなどは本当に綺麗だった。

パリ以来にこの衣装たちをみた。
なんか高いジャケットを着せてもらった。派手にもみえるが、着てみるととても着心地がよい。

↓パリコレの体験記は

5. ドミニク研輪読会

10月から、早稲田大学での輪読会に参加させてもらっている。一冊の本を徐々に読みときつつ論じていく取り組みで、主題は環世界である。この概念はリアリティの複数化を考えるうえで避けては通れない概念なのだが、僕自身あまり理解の解像度は高くなかった。ある程度は理解していても、その理解はやはり一人称的なものに留まりやすい。

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旧「2023年3月に博士論文を書き上げるまで」。博士論文を書き上げるまでの日々を綴っていました。今は延長戦中です。月に1回フランクな研究報…

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