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闘争と一瞬の花火としてのパリコレ〜ゲストとしての鑑賞とお手伝い

パリコレは一瞬の花火のような時間だった。

ブランドは半年ほど全身全霊で準備し、現場に入ってからも膨大な人がフランス語や英語や日本語を行き通わせながら準備する。設営はそのようにしてたくさんの人が、それぞれの持つ時間を溶け合わせるようにして進む。

ショー自体はたった10分か15分かそこらで終わってしまう。あまりに早く短く、しかし濃い。その前後の時間を体験できたのはとても幸運なことだった。このnoteでは、パリコレの体験とその前後について書く。

主にファッションを学ぶ人やものづくりに携わる人たち、あるいはそうした裏側に興味のある人たちに読んでもらえればと思っている。


1. パリコレに行き着くまでの経緯

たまたまファッションブランドであるYUIMA NAKAZATOの中里さんと知り合う機会があり、数人で夜遅くまで話し込み、7月にパリコレがあるというので行きたいとその場でお願いして、ゲストとして招待してもらった(もちろんパリまでは自費)。

パリコレにはヨウジヤマモトやイッセイミヤケのようなブランドが出展するプレタポルテ(既製品)のコレクションと、一点ものの製品を発表するオートクチュールブランドのコレクションの2つがある。YUIMA NAKAZATOは現在、パリコレのクチュールコレクションでの発表を認められている日本で唯一のブランドである。日本人としては森英恵さん以来2人目ということになるらしい(すごすぎるような…)。

クチュールは出展自体とても大変で、ものすごく厳格な審査プロセスなどもあるらしいのだが、そのせいか出展ブランドの数はそれほど多くはない(30個ほど)。それでも期間になると至る所でショーが開催され、世界中から人が集まる。

ヨーロッパで長く仕事をしてきたクリエイティブディレクターの方から、ミラノサローネにしてもパリコレにしてもヨーロッパのイベントは体感しないとダメ、とよく言われてきた。

そこには世界中からモデルやプレスやデザイナーや企業が集まり、独特のネットワークやコミュニティが形成される。そうした場の上に、モノのクオリティが生まれてくる。

モデルを選ぶにしても、日本で選ぶのと、世界中からモデルが集まるパリで選ぶのでは当然クオリティが全く異なってくる訳で、それはあらゆる領域に及ぶから、当然集大成として生まれてくるモノのクオリティが大きく変わってくることになる。

そのありようを体感すべきだ、と言うのである。

パリコレを体験できる機会はそういう意味でも僕にとってとても魅力的で、楽しみにしていた。何よりよほどのことがない限り、だれでもパリコレは人生で一度でも体感してみたいものだと思う。

2. パリに着くまでとパリコレ前日

22時くらいのパリの街。

パリに着くまでは支払いの済んでいたフライトチケットが勝手にキャンセルされているなどいくつかのトラブルこそあったものの、まあ無事に着くことができた。海外は3年ぶりだったがフライトも特に問題なかった。

現地には夜に着いたのだが、まずその明るさに驚いた。昼と同じような明るさだった。22時頃になってもその辺でまるで日本の夕方のようなノリで子供が遊んでいたりした。こういう活動時間の差は、何かカルチャーにも影響するのだろうかと思ったりした。(反対に冬は日が短いのだろうけれど)

フライトの日はホテルに入りそのまま寝て、次の日はパリコレの前日だった。

カフェで食べた朝ごはん。

ブランドのアトリエに来ていいよと言われていたので、パリコレ前日であるこの日に行くつもりでいた。また、ものすごく忙しいだろうとも思われたので、「猫の手」として一番下の下っ端としてぜひ使ってください、ともお願いしていた。服を縫うことなどはできないけれど、荷物を運ぶことなどならできるだろうし、そういった経験の中でパリコレをもう少し体験できるのではないかとも思ったのである。

パリコレ前日にあたる7月4日の朝よりアトリエに行く予定だったのだが、ちょっとした手違いというかWi-Fiのバグがあり、朝に中里さんからのメッセージが届かなかった。ホテルで作業をしながらメッセージを待っていたのだが、連絡が取れなかったので、まあちょっとパリをぶらぶらするかと思い、適当に街を歩くことにした。そしてその時間の中で、僕はどうにもパリという街がかなり嫌いになってしまった。

なんというか、パリはむかむかと反骨心を煽られる街だった。いかにも貴族趣味な装飾の多い建物が並び、腹の立つくらいの縦窓の反復も多い。それらが歴史として積み重ねられている。その反復される大量の空間と装飾たちは、空間の豊かさというよりも権威の象徴の押し付けであり、凱旋門などはまるで敗将の首を掲げているようで、ルーブルもその周辺も、歩いているだけでどんどんむかむかとしてくるのだった(あの街に行って不快さを感じない人がいるなら僕にとっては驚きである)。

またパリ人の明らかなプライドの高さ、SPや掃除や肉体労働に従事する黒人の明らかな多さから垣間見える階級社会のありよう、英語を話さずに一方的にフランス語で捲し立ててくる人間の多さなどにも辟易した。

街を数時間歩いただけでずいぶんとうんざりしてしまい、適当にしずかそうな(そしてあまり人気のなさそうな)美術館に入って休んでいた。

ケ・ブランリ美術館

ケ・ブランリ美術館というアフリカなどの仮面が大量に並べられている美術館で、貴族趣味な建物でもなかったので僕はとりあえず一息つくことができた。静かで暗い空間の中で得体の知れない仮面をずっとみていると、だんだんと落ち着いてくる。

仮面ばかり。

そのようにしてぼーっとしていた13時過ぎくらいに、やっとメッセージが届き(先方のWi-Fiのバグで朝にメッセージが返信できていなかったらしかった)、アトリエに向かった。まさに「猫の手も借りたい」状況になってしまった、とあって、どうしたのだろうと思いつつパリ市内のアトリエに向かう。

3. アトリエ訪問と設営のお手伝い

14時すぎにアトリエに着くと、空輸の荷物がいくつか予定通りに届かず、ショーを行う空間の造形物を新たに準備し直さなければいけないということで現場はバタバタとしていた。パリコレレベルでそんなことってあるのだろうか、と思ったのだが、結構起こることらしい。後ほど説明するが、僕は結局この3次元オブジェの造形をメインにお手伝いすることとなった。

このショーのステーステージの上に釣られている3次元オブジェを作らせてもらった。

アトリエでは、フランス語と英語と日本語が絶え間なく行き来している。スタッフが服やアクセサリーの最終調整をしつつ、モデルのフィッティングも行われており、その時はChen Xiさんというファッションモデルのフィッティングが行われていた。結局この方がショーのセンターを飾ることになるのだが、そのあまりの迫力に驚いた。ブランドのスタッフと何気なく話しているときは朗らかでチャーミングな笑顔なのだが、ポーズをとると覇気が出て空気が変わる。身長がとても高く、スタイルが良く、顔がとても小さいというのはパリコレレベルのモデルさんになると皆そうなのだが、その中でもChenさんの迫力は抜けていた。フィッティングの段階からこんなにも凄いのかと驚いた。

その後スタッフのTakaさんとおそらくはパリコレの間だけインターンとしてきているフランス人とオランダ人のインターン生2人と計4人でパリコレの会場となるパレ・ド・トーキョーに移動した。道中でショーの空間造形の3次元オブジェに製作作業について説明してもらい、着いてから作業に入った。

会場であるパレ・ド・トーキョー

僕の手伝った作業は主に2つあり、一つは天井から吊る3次元オブジェのようなものを作る作業で、もう一つはメインとなるアクセサリーをひたすら磨く作業である。

3次元メッシュはショーステージのメインともなるもので、大きな両面印刷の紙を「三次元メッシュが縮むようなイメージで」くしゃくしゃに折り曲げ、そこに糸を通し、糸を引っ張ると布が縮んで造形となるというものだった。このオブジェを大量に作るので、それを手伝うのがまず一つ目の僕の作業だったのだが「いい塩梅に面白く、ショーのテーマにも合い、うまく天井から釣れるようにオブジェを作って欲しい」というオーダーで、これがなかなか難しかった。

インターン生の子たちは糸や紙を適切な長さごとにひたすらカットしていく作業で、「石田さんにはもう少し複雑な作業をお願いします」とのことで3次元オブジェを作らせてもらえることになり、いきなりで面食らったがやってみると難しいもののとても楽しかった。作る量はかなり膨大で(全部で72個だが、一つ一つが数メートル×1メートルくらいでかなり大きい)、そこから一心不乱に作業に集中した。

後からやってきたスタッフも含め5、6人くらいでひたすら3次元オブジェを作り続け、17時くらいには大体のものが出来上がった。それからオブジェたちを吊るのだが、まだ照明などの準備が終わっていないということで待機になった。そもそも吊りの作業は、会場の高い天井にリフトで近づいてやるので、2人くらいでちょっとずつしかやることができない。前日の夕方でこの状況だから、本当に大変なものだなと思った。オブジェを作り終わると少し休憩をして、朝から何も食べていなかったのでスーパーにご飯を買いに行き、もはや笑ってしまうくらい硬いピザとかなり美味しいフルーツジュースを飲んだ。

(食べかけ。食べてからあまりの硬さに驚いて笑ってしまって思わず撮った)
徐々に進む設営の様子。

そのあとはバックヤードに移って、ちょこちょこと荷物運びなどの仕事ももらいつつ、やがてモデルさんが当日に着けるとても大事なアクセサリーを一つ一つ磨くというお仕事をもらった。

アクセサリーを磨く筆者。

アクセサリーはフィッティングなどでも着けるので、指紋などが付着して汚れている。アクセサリーを触るのはとても怖かったが、メガネふきで丁寧に拭いてみると目で見てはっきりと変わるくらいに輝きが変わり、キラキラとし始める。それがとても面白くてひたすら磨いていた。

準備の進むバックヤードの様子。

一心不乱にアクセサリーを丁寧に(輝くまで)磨いていたら、気がつくと23時半になっていた。インターン生たちも大方帰っていて、主に舞台の設営のチームと日本人のスタッフたちがまだ働いていた。それまでモデルさんのフィッティングやデザイナーさんとスタイリストさんたちの打ち合わせ、撮影環境のセットアップなどでたくさんの人が働いていた場所はやがて静かになっていた。

昼過ぎから結局10時間くらい働き続け、程よい疲労感の中で地下鉄に乗り帰っていると、夜のライトアップされたエッフェル塔が電車の窓から大きく見えて、パリにいるのだなあということを実感した。

24時前のパリ。

4. 当日のバックヤードの異様な熱気

パリコレ当日。

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