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博士論文2022年9月の報告書。

博士論文の提出が11月17日だと思っていたら実は11月7日で10日も期限が早まり、焦りに焦っている。

このnoteは博論提出までの七転八倒を綴るマガジンなのでその話を少し。

僕の見る範囲では9月に入ってから正確な博論審査のスケジュールが掲載された。したがって正確な期限を知ったのもその時。実は博士論文の制度についてきちんとした説明はこれまで一度もない。普通は入学時などに学科ガイダンスのようなものがあると想定されるだろうけれど、存在しない。

ではどうするかというと、入学してから1年ごととか最近とかにちらほら更新される断片的な情報や他の学生が獲得してきた話や先生から聞いた話を手がかりに、審査の手続きの全体像を予想していく。

この「予想する」というのはあながち誇張でもなく、学内ページに掲載されている情報としては審査の詳しいことはまるで書いてない。加えて、学科事務に問い合わせても教えてもらえなかったり、指導教員に聞いても先生もわからないこともある。どういうこと?という感じだが、そういう感じである。ちょっと確定申告とかにも似ているけれど、確定申告は情報もあるし税理士さんもいるからずいぶんマシな気もする。

まあ次第に明らかになっていく情報によって全体像はわかってはくるのだが、そのような流れなので当初の想定と実際のスケジュールがずれることもある(ただの勘違いというのもある)。

実は当初は2年での卒業を当初は計画したりもしていた準備していたのだが、気がついたら卒業の1年前に必要な登録と審査の期限が過ぎていた。情報をかなり探して先生に相談しつつ検討しててもこれなので、ちょっとどうしようもない感じがある(他の人々はしっかりわかっているんだろうか?)。

少しだけ説明すると、僕の現状の理解では東大の建築学科の場合は博士論文のための重要な書類提出のタイミングが大きく4つある。

最初に➀予備審査。これは修了の1年前にある。A4で4枚以上の梗概(サマリーみたいなもの)を提出し、3人以上の先生に審査してもらう。そこで合格すれば1年後に博士論文の審査を受ける資格を得ることができる。合格できなければ、半年後にまた審査を受ける。

次に②登録審査用の本文提出がある。これが今年の11月にある。この書き上げたほぼ完全版の論文をもって主査・副査の先生方に説明に上がり、フィードバックを受け取る。

その後先生方のフィードバックを元に修正を進め、12月に③本審査用論文を提出する。

11月に期限があった②登録審査用論文は、基本的に当該学生に対して博士論文の審査を始めていいかどうか?を審査するもので、③本審査用論文は学位を与えて良いかどうか?を審査するもの。もちろん登録審査用論文が本審査用に限りなく近いことが好ましい。

そして12月に提出した③本審査用論文(②登録審査用論文を修正したもの)を元にして1月に博士論文審査会が開かれ、発表と議論が行われる。そこでのコメントや査読でのフィードバックを元に再び論文を書き直して、1月末に④学位請求論文最終版を送る。これが4回目の提出である。

そして再び査読があり、合格すれば、最終版の製本したものを提出して晴れて博士の学位が取れることになる(長くない?)。

これは現状の僕の理解だし、手続きは学科ごとや研究科、年度によっても大きく異なるようなのであてにはしないでほしい。参考程度にきいてください。学校によってはジャーナルとかにすでにだした論文を代わりに提出すればOKだったという話も聞く。ただおおよそそのような流れで審査はすすむ。(何度も問い合わせたり聞きに行ったりしてるのにこの感じである。これを読んでいる同期のどなたかもし間違っていたら教えてください。)

博士はそんな感じで進むので、査読の回数もチェックしてくれる先生の人数も多いし、色々と本当にご迷惑をおかけしているとも思う。そうなっても納得してもらえるくらいのものは書き上げなければ、と思う。あと1か月ほど。

1.能「松虫」を観に行く

最近は急に秋になったなと思う。秋を感じるのは久しぶり。いつもはまだ夏だなあと思っていたら気がつくと冬になっている気がする。芯から冷えるあの寒さがやってくる前に、しっかりとこの心地よさを楽しんでおきたい。博士論文の執筆のために籠る合間に秋を楽しみたい。

9月には「松虫」という能を見に行った。まああまりいいとは思えなかった。眠たくもあった。お能はすごい時は本当にすごくて目がカッと開く感じがするし、いいと思えない時は本当に眠い。不思議な演劇だと思うが、その強力な感動を得たくてちょこちょこと通ってしまうのだと思う。

最近は少し能面のスケッチをしていた。能面はとても好きで、知り合いの京都の能面師さんのところで、いつか1面打ってみたいなと思っている。どうしてこんなものを書きはじめたのかは後述。

若女の面。小面とも。
あまり知られていない気もするけれど、般若は女性です。実際に能でみると、小面とかよりもすごく色っぽく、女性の艶やかさがあります。

久しぶりにスケッチをしたけれど、どうも目が悪いなあと感じる。それなりには書けた気がする箇所もある一方で、全然立体がきちんと取れてないなという感じ。

ただ、こういうスケッチを描きながら、こうして絵を描くのはモノを「読む」みたいな作業だよなあと改めて思った。光の当たり方や立体的な凹凸や形状を、それをなぞっていくことによって読み取っていく。ぼんやり見ていると気づかないいろんな特性や特徴を読み取っていく感じ。

ここでは多分、比較が効いているのだと思う。自分が描いた線と実際の線の間に差が生じ、なんでこんな差が生まれるんだろうと思案するところから読み取りが深まる。

最近はAIが絵を描くのとかがやたらと流行っていたけれど、たとえ仮想的な絵であってもこの特性は同じだと思う。絵を描くのは“アウトプット”というより“リーディング”に思える。

むかし井上雄彦先生が、自分で漫画を描きながら、『SLAM DUNK』の主人公の桜木花道の「ここが好きだなあ」と思える要素を発見し作品で膨らませていったとインタビューで言っていた。何気なく書いていた、桜木が必死にボールを磨く背中を描いたカットを読み、こいつのここが好きだなあと思ったという。そこから努力を中心とした桜木の成長が描かれる。

作家は頭の中で世界を構築してから吐き出すのでなく、とりあえず線を引いてみて、なんか自分のイメージと違うなあ、なんでだろうと考え、自分の想像したい世界の理解の解像度を上げていくのかもしれない。その作業は建築における模型を作って考える作業とも似ている気がする。

老女。まだやや途中。
猩々は妖精。顔のゆがみが右回りか左回りかで、人間らしさと人間でないものらしさが区別されるらしいです。
三日月。
俊寛。流罪された人で、『俊寛』は悲哀の演目。

2. 博論の作業と思いつきとMtg

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旧「2023年3月に博士論文を書き上げるまで」。博士論文を書き上げるまでの日々を綴っていました。今は延長戦中です。月に1回フランクな研究報…

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