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【連載|最終/4話】REAL WORKOUT 創業4周年記念 挑戦するすべての人に 「共同創業者との別れ」

<はじめに連載放置のお詫び>
2022年に公開予定であった連載の最終話を完結させるべく、約2年間放置してきた記事をようやく公開しようと思えるようになりました。
まず第1話から第3話をお読みいただき、最終話まで気長にお待ち下さった皆様ありがとうございました。
連載を放置していた言い訳ではないのですが、本編に関しましては2022年時点で途中まで完成はしていました。ただどうしても「記事を公開する」ボタンを押せずにいました。
本編に関しましては、コロナ禍の最中に東京を離れ、妻の実家がある群馬県高崎市に僕たち夫婦が移住したお話になります。また群馬県高崎市は共同創業者の高田と出会った町でもあり、この移住期間中に共同創業者である高田ともたくさんの会話をしこの年にお別れをすることにもなりました。
2022年時点ですとあまりにも高田とのお別れからタイムリーで、自分でも本編を書きながらすごく色々な感情が湧き出し、事実を客観的に振り返ることができず、書き出した記事が本当の自分の気持ちや現実と乖離していないかなどとても不安な気持ちであったこともあり、2022年の時点で本編を投稿するべきではないなと思い公開まで時間がかかってしまいました。

ということで本編の公開に本日2024年までとだいぶお時間がかかりましたが、「REAL WORKOUT 創業4周年記念 挑戦するすべての人に・最終話」をお話してまいります。
REAL WORKOUTの2018年から2021年の4年間を1回ごと全4話に分けて振り返り、僕たちがやってきた1460日間のリアルを記してまいります。
以下は、過去の連載分になります。

第1回は創業年のこと

【連載|1/4話】REAL WORKOUT 創業4周年記念 挑戦するすべての人に 「RW爆誕の章」

第2回では飛躍を遂げた2年目

【連載|第2/4話】REAL WORKOUT 創業4周年記念 挑戦するすべての人に 「前年比300%! 急成長する裏側で育んだ組織カルチャー」

第3回では失墜していく3年目

【連載|第3/4話】REAL WORKOUT 創業4周年記念 挑戦するすべての人に 「コロナ禍の世界と共に崩れ去る組織」

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2018年4月1日から事業を開始し、2022年4月現在で丸4年が経ち、なんとか無事に僕たちREALWORKOUTも創業4周年を迎えられました。
2022年現在、REALWORKOUTの店舗数は全国に68店舗、月間の累計利用者は42000人、総セッション数は250000回以上
※2024年2月現在では112店舗。
偏にここまで支えてくださったFCオーナー、スタッフをはじめ、会員様、お取引先様、株主様、友人達、全てのステークホルダーの皆様方に感謝を申し上げます。
連載の最終話となる本回では2021年4月から2022年3月までのお話しが中心となります。前年度、コロナ禍の影響で経営転換を迫られ、今まで培ってきた組織を解体せざるおえず、直営経営からFC経営に大幅な事業を変更いたしました。そんななか昨年度からの停滞を打ち破るべく、急ピッチでFC体制を構築しなおし、この年は1年間で28店舗の出店を実現いたしました。それでは振り返って参りましょう。

創業4年目(2021年1月〜)

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ブラッ! 髪長っ

2021年のスタートは長年過ごした五反田のマンションを引き払い夫婦で引っ越しをしました。

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行き先は妻の実家のある群馬県高崎市へ

長引くコロナ禍、妻のお父さんの介護もあり、夫婦で高崎市への移住を決意しました。思えば起業してから3年間、好きなことばっかりさせてもらい、家族のことを考える時間もなかなかなかったし、しばらくワーケーションという働き方も悪くないなと思い一路、群馬県は高崎市の町外れにお引越し。

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とりあえず野菜が安い

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近所の古墳、トトロの世界観

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都会で共に暮らしてきた猫たちも芝生や飛んでくる虫達に興味津々、机の上にお菓子を置いては鳥たちがやって来るのをみんなで待ちます

名称未設定2021.1

週末にはMGR達も遊びに来てくれました

昨年、絶望の淵を永遠と歩いていた日々とは打って変わり、めちゃくちゃのどかな生活を送っていました。
2021年はFC体制への移行もひと段落し、リモートワークにも慣れ、徐々にプライベートの時間が増えていきました。
毎日、神社や河川敷を散歩しながら、ここまでの3年間のことを振り返りつつ、仲間や家族達との時間を増やしていきました。
社会全体的に見ても、コロナ禍での新しい生活様式にも慣れていき、徐々にFC出店の問い合わせも増えていきだしました。
基本的には日中はオンラインで打ち合わせを行い、出店が決まるたびに新幹線に乗って東京へ、そして日帰りでまた高崎に帰ってくるという生活スタイル。

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一体1年間で何回新幹線に乗ったんやろか

スタッフとの会話も徐々に経営者とスタッフという関係から、本部とFC店舗という関係に変化することで、僕はより裏方から支える後方支援的な業務が増えていきました。
改めてグループ全体のマーケティングやSEO周りを見直したり、採用や研修、バックオフィスの整備、FCオーナーやMGRとのMTGを通して現場状況の把握を行いまた改善と。日々地道なタスクの積み上げです。
最初のうちはFC運営って何なんだろうというとこからのスタートでしたが、日を追うごとにやるべきことが明確になっていったという感覚でした。

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昔のリアルワークアウト 高崎店

この当時は、突然ゆっくりとした時間ができたため「そう言えば、何の為にこの事業を始めたんだっけ」とか「僕たちはそもそもどこに向かいたかったんだっけ」とかそんなことをぶつぶつ呟きながら毎日田舎の畦道を散歩しながら歩いてました(不審者)。
実は高崎市にはREAL WORKOUTを創業するきっかけとなる店舗があります。現在のREAL WORKOUT高崎店になります。
共同創業者の高田はコロナが流行する兆しが見えた昨年2020年早々に一足先に高崎市に戻っており同店舗の運営を行なっておりました。
この店舗は共同創業者の高田と僕が出会った運命的な店舗であり、同時に初めてオープンをしたジムでもあります。
そもそも僕がパーソナルジムを始めるきっかけは、共同創業者の高田というパーソナルトレーナーとの出会いがきっかけでした。

(懐古)時を戻して2016年6月〜

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写真は当時のBMB高崎店(後のREAL WORKOUT高崎店)に初めてマシンが納品された日の写真です。

2016年、その頃の僕はというと前年度の2015年に約6年間社長を務めた高崎市にあるマーケティング会社を某一部上場企業へ事業譲渡し、短期間におけるロックアップ(引き継ぎ期間)も終わり、同社の代表も退任したことでほぼ無職のような生活を送っていました。
やることがないっていうのは怖いことで、次第に私生活は乱れていき精神的にも落ち込み、だいぶ荒廃した暮らしをしていました。
そんなある日、いつも通っていた高崎市内のバーのカウンターで僕がギターを弾いていたら、当時はまだ顔見知りでもなかった、のちの共同創業者となる高田が現れて「へー、ギター弾けるんですねー、僕も音楽好きなんですよー」といきなり僕に話しかけてきました。
最初は何だか怪しいやつが怪しいやつに絡まれちゃってるよーくらいにしか思っていなかったのですが、「今度ジムを開業するんで遊びに来てください!」と高田に言われその日は連絡先を交換したことを覚えています。
後日、運動不足も気になっていたのでジムに遊びに行く旨を高田に連絡し、いざ高田のジムに到着すると、マッチョな男(高田)がベンチの上で横になってダンベルを持っていました。他には一切のトレーニング器具などはなく、「一体これはどういうことだ」と高田に状況を確認すると、機材の納期が遅れちゃっててまだこれしかないんです」と。

「だったらオープンするな」

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広いジム内に、これだけでした

「でも大丈夫です、私の体を見てください、問題は器具ではないです、どう鍛えるかです!」と高田がめちゃくちゃ堂々と話すもんだから、僕も異常に鍛えられている高田の体とその場のムードに流されて「うん、確かにそれはそうなのかも知れない」と思わされつつ2人だけのトレーニングの日々が始まりました。

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腹筋をただ叩かれるというトレーニング風景(潰れろ)

その後も僕は毎日のように高田のジムに通ってはトレーニングをし、終わったら一緒にご飯に行くみたいな生活をしていました。するとある日、不自然なことに気づきました。
こいつなんで俺と毎日一緒にいるんだろ。もしかして他に客いないんじゃないのか?
そんな聞きづらい質問を高田にすると「はい、いません。このままじゃ機材が届くまでに潰れてしまいますよ」と返され、泣く泣く一緒に集客活動をする羽目となりました。
僕の知人を紹介しては、高田がトレーニングを教える、また紹介してはトレーニングを教える。そんな日々を繰り返しては僕と高田はお客さんと共に機材の到着を待ちました(だから潰れちまえ)。

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土屋さん! いよいよ、機材が到着しましたよ!

日中、高田から連絡が来た僕は急いで高田のジムに向かうと、マシンの前で目を輝かせた高田がそこにはいました。
僕は「やったな、マシンだ、これでとうとう本当のジムになれるぞ!」と言ったのですが、その頃の僕はもうすでに2ヶ月ガンガン高田と鍛えていたので結構体つきも変わっていてマシンへの興味はなくなっていました w

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出店の宣伝を兼ねて高崎市内のお祭りに高田とお神輿で参加(CVR100%)

高田のジムは無事マシンも到着したし、会員さんも徐々に増えてきた。
トレーニングを通して元気になった僕はそろそろ自分の人生を進めないといけないなと考え出していました。

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再就職先が決まり、しばし高田とのお別れを

2016年の年末、高田のジムが立ち上がったことを見届け、僕は再就職することに決めました。毎日のように一緒に過ごしていたことから高田との別れはちょっと寂しくもありましたが、僕個人として考えるとまだまだ経営者としては未熟だし、勉強不足。もっと大きな世界で挑戦してやるんだと意気込んで前進することを決めました。
再就職先は急成長を遂げる東京都内のベンチャー企業で主に新規事業の立ち上げをメインに携わりました。いくつかの再就職先がありましたが、当時はとにかく自分よりも優秀な人たちとたくさん仕事がしたいと思い会社は決めました。
僕自身、人生の中で初めてサラリーマンとして過ごした在職期間中は様々なプロジェクトに携わらせていただきました。しかしながら僕が関わった新規事業はどれも大成することはできませんでした。
1年半ほど在職させていただきましたが僕は中途の助っ人的なポジションで入社したこともあり、プロジェクトを成功に導けなかったことで退職を決め、再び起業することを選択しました。

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ありがとう、株式会社ア○ツキの皆様

しかし僕はこの在職期間中多くのことを学びました。それは新規事業の難しさ、コミュニケーションの在り方、組織やカルチャーの作り方など多岐に渡ります。もう一度自分自身で起業するとしたらどうするべきか。そこで再度起業するにあたって同社でも大切にされていた考え方、ハリネズミの概念にある3つの指標を基準に考えることにしました。

①自分自身の得意が活かせること
僕が得意とするスキルは、マーケティングとブランドの設計。
②情熱を注ぎ続けられること
自らが堕落した生活から抜け出せたことは、パーソナルトレーニングを通して体を変えられた成功体験からこれは人々の人生においてとても価値があるしやりがいもある。
③経済的原動力になること
フィットネスにおける市場はまだまだ成長の余地がある。

そして、そんなことを考えれば考えるほどに「何をやるか」ではなく「誰とやるか」だなと。

ふと、高田のことが頭を横切り、そう言えば久しぶりに高田に連絡してみるかと思ったのです。

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約2年ぶりの2018年、久しぶりに再会した僕と高田はお互いの近況や将来のことを話し合いました。
僕は再就職してたくさんの学びがあったこと、高田はジムの会員さんとのトレーニングが毎日楽しいとのこと。
色々と話している中で高田が言った言葉が今でも印象的で「僕は一人でも多くのトレーナーを育てたり、土屋さんのように体づくりで人生が変わったと言ってくれる人を増やしていきたいんです」、その言葉が今でも強く僕の心に残っています。
ただ当時の高田のジムは店舗内のルールが曖昧だったり、会員数の割りに利益が出ていなかったり、内部構造がチグハグでした。高田と気の知れた知人のお客さんだからこそギリギリで成り立っていた店舗でした。
それでもそれなりに新規のお客さんからのニーズもあり、サービス自体もとても素晴らしいものであるのになぜだろう。しばらくの期間色々な資料や情報を共有してもらい、僕なりに売上構造や販管費などの内訳、サービスの提供方法、集客の経路、競合の状態などを一つ一つ調べて分解していくこととなりました。
ふと、「多分これやり方を少し変えたら全然事業として伸ばせるぞ」と僕は思うことができたので「しばらく店舗の改善は俺に任せて、セッションに集中しててよ」と話し、当時高田自身も経営的なことが苦手なことを理解していたため想いが合致し、高田と僕の冒険が始まることとなり今日いう日まで歩んでこれました。
起業前後の詳しい話は本連載の以下の1話でしております。
【連載|1/4話】REAL WORKOUT 創業4周年記念 挑戦するすべての人に 「RW爆誕の章」

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そうだ、俺はあの時高田と一緒に話した世界を実現したいだけだった!

高田という一人のトレーナーがあの時言った「僕は一人でも多くのトレーナーを育てたり、体づくりを通して人生が変わったと言ってくれる人を増やしていきたい」
そうだ、俺たちの原点はそこだったじゃないか。そして俺自身がもともとそんな想いあるトレーナーの経営を支えるべき人間だったじゃないか。

時を戻して2021年8月

2021年夏、高崎市内の畦道を歩きながら当時を懐古することで、僕の中でずっと心の中にあったモヤモヤがスーッと晴れていきました。

これから僕たちが取り組んでいくフランチャイズビジネスとは何か?

フランチャイズとは思いある経営者、トレーナーを成功に導くものでなければいけない。
それは仕組みづくりであり、圧倒的に経営を支援していける力。
そもそも僕が高田と二人三脚でやってきたこと。
今までやってきたことをこれからも全ての店舗に捧げ続けよう。高崎に戻り当時の状況を回顧することで、改めてそう思うことができました。

全体会議@池袋(2021年10月〜)

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その期間もオフィスのある東京都内では日々、トレーナー研修や全体会議を開催しマネージャーたちが率先して新しいメンバー達を引っ張っていきました。
トレーナーとしての在り方、REAL WORKOUTが目指すべきもの、コロナ禍で崩れかけたチームに彼らは一語一句語りかけ続けてくれていました。
僕らREAL WORKOUTが為すべきこと、それは直営店舗の運営であろうとFC店舗の運営であろうと関係はありません。
あの日、高田が抱いた純粋な想いという種と、それに触れることで人生を変えることができたあの日の僕と、あの日あの時に感じたことをこれからも変わらず表現、体現していきたいと強く思うのです。

そのような想いを分かち合うことで再び出店数は増加傾向に転換。
昨年度コロナが発生した年は14店舗の新規出店にとどまりましたが、この年は2倍となる28店舗の新規出店を達成。

僕はこの時に事業自体が新しいフェーズに入ったという手応えを感じることができました

共同創業者 高田との決別(2021年年末)

東京と高崎を行き来することにも慣れてきた2021年の年末、突然高田からREAL WORKOUT高崎店を手放したいと連絡がありました。
最初は僕自身、高田が何を言っているのか全く分からなくて頭が真っ白になりました。ようやく苦難を乗り越えて、これからアクセルが再び踏み込める状態になったというのに。
彼の口からは、「沖縄に行ってトレーニングのみに集中できる環境に身を置きたい、沖縄にはその環境がある。これからはトレーナーとしてではなくコンテストの選手としても歩み直したい」、また「今のREAL WORKOUTには僕の居場所はもうないし、これからの土屋さんに僕がついていける気もしない」という言葉だったと記憶しています。
もちろん僕はすぐには返答はできずに、一人自宅で取り乱してしまいました。

当時、すでに事業のハンドルは僕が握って運営をしていましたが、それでも「高田と離れるのは精神的にかなりきつい、今まで何のためにやってきたんだ、全部お前のためじゃないか、一緒に日本一のパーソナルジムを創るんじゃなかったのか、何百人と増えてきたトレーナーや数千人に及ぶ会員さんはどうするんだ、俺一人じゃ絶対に無理だ」、と僕は突然振られたメンヘラ彼氏のような感情で頭も心も切羽詰まってしまいました。

どうにか一緒に続ける方法はないのかと思う一方で、流石にこの状況下で共同代表の一人が沖縄に行ってしまうというのは、株主やメンバー達にも僕の口からは説明ができない。
「でもいや待てよ、別に高田が沖縄に行こうがせめてREAL WORKOUT高崎店だけでも彼が持っていたっていいじゃないか。遠隔でも運営はできる、本部でもサポートするから完全に身を引くことはないじゃないか」と僕は一人になることが怖いことから経営者として失格とも取れる甘い計画までもが頭をよぎってしまいます。

そのような提案を僕は高田にいくつもしたが、高田の決意は時すでに固まっており「沖縄に行くためなら、代表も降りるし、もう高崎店も直営に預かってもらいたい」と言われてしまった。
そしてその後、数日もしない間に彼は沖縄に立って行った。

正直、あの時の高田の真意は今でも分からない。当時は後悔よりも高田に対しての怒りの感情の方が大きくて僕はこの1年間を冷静に振り返ることができなかった。到底この記事を公開することも当時の僕にはできなかった。
ただ今になって思うことは、僕はこの数年間、高田を置いてけぼりにしてきたのかも知れない。僕が事業を守ること、事業を成長させることを正義に掲げ続けることで、高田の意見や高田の想いを蔑ろにしていたところがたくさんあったのではないか。
二人で始めたと言いながらも僕のそのような姿勢では長続きしないし、いずれこのような状態になることは決まっていたのかも知れない。

今だから思えるけれど、もしかしたらあの時あの状態の会社を見て、高田は自分がやれるべきフェーズを僕よりも理解していたのかも知れない。
壮大なビジョンは時に人を苦しめる、そうあるべきだと決めつけてしまうことで仲間や時に自分自身までもが雁字搦めに陥ってしまうことがある。
共同創業者は役割も違ければ、考え方も違っていいはずだ。そもそもお互いの違った感性や価値観が良くて二人きりで始めた事業のはずなのに、いざ走り出してしまえばある日エネルギーの強い方にバイアスが生まれてしまい、そのバイアスを放っておくことで次第に関係性までをも壊してしまう。
僕は僕で生み出したビジョンの魔物に取り憑かれていたのかも知れない。

今だから分かるけど、高田が求めていた「僕は一人でも多くのトレーナーを育てたり、体づくりを通して人生が変わったと言ってくれる人を増やしていきたい」。という言葉は決して事業を拡大していくことだけを指してはいなかった。
彼はきっと地元の子供達にトレーニングを教えたり、気の合う筋トレ仲間達と楽しくやっていくだけでもその言葉を実現できると思っていた。そしてそれは全く間違っていない、むしろ彼のそんな優しさに僕は触れ僕も変われたはずなのに。同じ言葉でも当時の二人の受け取り方は明確に違ったのかも知れない。
僕はこれからも彼の言葉をもっと深く理解していかないといけない。
本当の意味で僕たちが一人でも多くのトレーナー達を輩出し続け、一人でも多くの方の人生にフィットネスを通して貢献していく為には。

2024年、つい先日のことだが2年ぶりに高田と二人で会うことができた。二人でたくさんお酒を飲んだ。2年もの間フォローを外していたSNSもようやく元に戻すことができた。その夜はお互い言いたいこともたくさんあったと思うけどその件についてはお互い何も喋らなかった。出会った頃のようにただただ酒を飲んで、くだらない話ばかりをしてゲラゲラと笑って、朝方クタクタになって別れた。
その時の感情を言い表す言葉が、今になっても何一つとして思い浮かばないんだけど、俺たち二人にとっては久しぶりになんかとてもいい日だった。

俺はまだまだREAL WORKOUTを頑張るよ👊
いつか高田に認めてもらえるその日まで。これは俺たち2人で始めた物語だから。

【連載|最終話】REAL WORKOUT 創業4周年記念 挑戦するすべての人に 「共同創業者との別れ」2021年 完

最後までお読みいただきありがとうございました!Bye

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