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僕と『チーム道草🌱』〜よりみちばかりの大学生活で得たもの〜

こんばんは!コウヘイです!

今回は予定を変更して私に大切な出会いと経験、そして"地域"というキーワードを与えてくれた「チーム道草」について書こうと思います🌱

理由は「チーム道草」について改めて書きたくなったのと、後輩からのコメントがあったから。もう一つのnoteが上手く進まないから(笑)

今回は大学入学から、「チーム道草」で頑張ろうと思えるまでを赤裸々に綴っていきます。

今日も貴方に"勇気"を与える文章を!


今回もどうぞ、お楽しみください✨


◼︎バイトに明け暮れていた大学1年生

私が『チーム道草』を本気で取り組むようになったのは2年生から。正確には1年の終了時。

どちらにせよ1年もの期間がかかった。

元々違う大学を志望していたことに加え、山大は地元から近いし、国立だからお金もかからないし、家計的には助かるかな?くらいのモチベーションで進学した事から、特にやりたいことがあるわけではない山形大学。


「勉強で良い成績を取って、そこそこバイトをやって、サークルで友達を作る!彼女とかも出来たらいいなぁ。」

なんて思っていた。

大学1年で24単位落とし、バイトも1年で辞め、彼女も4年間全く出来る気配なし。

なんて考えもしなかった大学1年生春。

そんな中、友人が入りたいというので何となく入った『チーム道草🌱』(正確には先輩が可愛かったのも大きな要因の一つである。)


何となく楽しくて、すごく暇な時に参加していたから友達もそこそこ出来た。友人から推されて、副代表なんて引き受けたけど、少しだけ荷が重くて「適当にやろう〜」と思っていた。


そうそう、そんな事より大切なのはアルバイト。
深夜5時までやっているレストランだったから、平日も深夜3時過ぎまでバイト先に。

宮城の実家から大学に2時間ほどかけて通っていたから、1コマがある日は、寝ずに学校に出発する日もしばしば。

1.2コマは出席だけして就寝タイム😪

勉強は過去問貰ったり、友人に頼りっきりで、上手いこと良い成績は取れていたけど、大学で学んだ事なんて一個も無かった。


実家暮らしなのも重なってみるみる貯金残高が増えていくのが嬉しかった。

「今週も土日バイトか。また、道草行けないな。まあ、いっか。バイト頑張ろ〜。」


◼︎悲劇は突然に…。


大学に入学して半年が過ぎ、10月のある日の2コマ。友人が深夜のバイトの疲れで小テストを休んでいた。

私は深夜バイトで1.2コマに出席する辛さは分かってたし、何となくその頃には友人同士で助け合う風潮が出来上がってて

「小テストだし、レジュメ持ち込みOKの超簡単なテストだからいいか…。」

と友人の分のテストを代筆し、提出した。


そして年が明け、1月。
急に学生センターから呼び出しをされた。

行ってみると、真剣な顔をした教授2人と職員2人が目の前に座っていた。

『この件なんだが…』

目の前に出された小テストを見て、自分が3ヶ月前に小テストで代筆をしていたのを思い出した。


そのあと事情聴取は続いたが、処分を保留されたまま、当時履修していた授業24単位分、全てのテストとレポートを提出し、1年の後期を終えた。


「あれの処分どうなったのかな?小テスト分の点数0にされちゃう?まさか、あの授業の単位取り消しだったら嫌だなぁ…💦」


そして時が経ち3月。

また学生センターから呼び出しを受けた僕は衝撃の処分内容を聞かされた。

①1年後期に履修した24単位全ての取り消し
3ヶ月の停学とそれに伴う自宅謹慎

「……え、まじ?」

想定していたものより、だいぶ重過ぎる処分内容にショックを受けた。

(小テストも他の学期末のテストも同じテスト。テストへの不正行為は厳しく取り締まっているとの事だった。)

※友人の名誉の為に断っておくと、この処分はテストで"不正行為を行った者のみ"に課されるもので友人は無事である。


1年生後期分の単位が取り消しになったのもそうだか、3月から3ヶ月も停学していたのでは大学再開は6月。

履修登録期間が4月で終わってしまうので、(私の学部は留年条件はないが)2年前期分の単位を取ることも出来ず、この処分は事実上の1年留年を意味していた。


◼︎モヤモヤとかっとう

元々、私の軽率な行動が原因であったが、「小テストの代筆くらいでこの処分はおかしい」と思ったし、後期全てのテストを受け終わった後かつ3ヶ月の停学で2年生前期の履修が出来ない期間に停学を設定された事で私は憤りを覚えていた。

たった一度の行動でこんなに重い処分を受けるのかと思った。

「元々第一志望じゃなかったし、山大でやりたい事なんて無いから思い残す事もないし、山大の処分にも全く納得出来ないし、大学辞めようかな…。来年別の大学入れば1浪と同じだし…。」


今思えば軽率な考えだが、当時は本気でそう思った。

学費を出して貰っている反面、親にもこの事は相談出来ていなかった。

大学を辞めようと思う一方で、イマイチ踏ん切りがつかない私は、家で停学を短縮して貰うための反省文を執筆する事が日課になっていた。

「この度は私の軽率な行動により〜」

心にもない言葉を何度綴った事だろう。


◼︎私を支えてくれたもの

自宅謹慎を破る事で、これ以上処分が重くなるのも怖いので、自宅周辺はまだしも、山形へ行く事は自粛していた。

私に取って史上最悪の春休みである。

そんな中、自宅謹慎の条件の中に

「ボランティアやそれに準ずる活動については自宅謹慎に該当しない。」

という文を見つけた。

学校に問い合わせると私が所属していた『チーム道草』の活動はどうやら謹慎中も活動へ参加していいらしい。

『一応副代表だし、大学辞めるのか続けるのか分からないけど、最後に活動行ってみるか。』

こうして、私はそれまで何となくでしか行ってなかった道草の活動に真剣に参加するようになった。

活動で一緒になった道草のメンバーは、私の話をすごく真剣に聞いて励ましてくれた。

そして、活動中は少しだけ処分の事を忘れられた。


◼︎停学の短縮と新たな決意

金山町で『ソトコト』という雑誌の編集長の講演会があるらしい。

"地域"になんて全く興味が無かったが、道草で行けるものはとにかく参加しようと思っていた私はその講演会にも参加した。

そしてその講演会で"地域活動"の面白さを学んだ。

その講演会の帰り道、

『反省文が認められ、停学が短縮、4月からまた大学に復帰できる』

と連絡が入った。

日々の反省文執筆の成果である。

ただ、私はその事実よりもむしろ、目の前で、道草メンバーが自分の事のように、私の復帰を喜んでくれた事の方が嬉しかった。

道草に所属していて良かったと心の底から思った。何もやりたい事がない大学生活だったけど、道草のみんなの為なら少しだけ頑張ってみたいと思えた。

私は、大学生活の大部分を占めていたアルバイトを辞め、道草へ恩返しをする事に全てを捧げようと決意した。


幸い、貯金はかなり貯まっていたので、バイトを辞めても特に問題はなかった。


私が道草に救われたように、チーム道草に所属する全員が、本当に道草に入って良かったと思えるサークルにしよう!


親には土下座をして謝り、

・ちゃんと大学を4年で卒業する事
・バイトは辞めるけど、その代わり、本当に山大に通えてよかったと思える大学生活にする事

を約束した🙇‍♂️

こんなバカ息子に怒る事無く、「頑張れ」と声をかけてくれた親には頭が上がらない。

◼︎大学再開当時のツイート
(今でも当時の決意を忘れない為に固定ツイートにしている)


◼︎今日のまとめ

この『停学』は私に取って大きなショックを与えたものであったが、おかげで大学生活を大切にしようと思えたきっかけでもあった。

何より私自身がものすごく周りの人間や環境に恵まれている事を気付かせてくれた。


この後、『チーム道草』において一波乱も二波乱もあるわけだが、この決意が、それらの困難を乗り越える為の大きな軸となった。この話は来週に執筆する予定である。


さて最後に今日の学びタイムである。

◼︎人生に失敗なんて無い

たった21年間しか生きていない平凡な学生の考えだが、私はこれをすごく大切にしている。

あるのはたった2つの経験のみ。

人生にとって意味があった経験」と「まだ意味付けが出来ていない経験

のたった2つである。

今日してしまったミスも、あの日の大きな過ちもいつか振り返った時に「あの時、あの経験しておいて良かった!」と思える日が必ずやってくる


だからこそ失敗を恐れずに挑戦すべきだし、明日があの日の失敗に意味を与えてくれる日であると信じ、1日1日を大切に生きていこうと思う。

「人生に黒歴史なんてない。全てが白歴史だ。」


彼女はいないが、周りに恵まれ21年の"コウヘイ"


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