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地方創生という言葉への疑問

東京が大好きな少女私は典型的な「東京が大好きな少女」でした。
川や山に囲まれてきた幼少期。「無い物ねだり」という言葉の通り、煌びやかな世界をTV・漫画・映画に求めていました。
エンタメ業界から恋も仕事も人間関係も学ばせてもらった私は、夢を持って東京にきました。(洋画でいうと主人公がNYやLAにいく気分で。)

うわー!!!東京だー!!すごいー!!
という言葉を上京して何度発したでしょう。
いまとなって振り返るとフィルターがかかって世の中を見ていたのかもしれません。
とにかく私には毎日が刺激的で、渋谷のような都会に行くとおしゃれを楽しんでいました。気持ちでは、人混みが嫌いだけれど行動としては地元では着れない派手な服を着るということをしていました。なんかアバターになった感覚だったのかもしれません。自分が思い描いていた「東京の私」を必死に求めていたんだなーと思います。

そんな「東京が大好きな少女」は「社会人」になりました。
大好きな東京の「大好きな」という形容動詞が薄れつつある頃、地方での広報PR副業を始めました。土日に通ったり、現地の職員さんとオンラインMTGをするっという感じなのですが、とにかく心が豊かになっていく。

あれ、東京になんでこんなにこだわったのだろう

最初は交流をきっかけに美味しいご飯の食べ方や野菜の育て方、伝統工芸についてなど「どうしたら生活を豊かに、そして楽しく生きていくのか」ということを教わりました。実践していくうちに「背伸びをしないこと、豊かに生きることで周りを大切にできるんだ」という学びがありました。

「東京だから」「地方だから」という優劣をつけるのではなく、それぞれの”まち”にはそれぞれの”ポテンシャル”があると思います。「創生」ではなく、「共創」がいまこそ必要ではないのでしょうか。

コロナをきっかけにパラダイムシフトが起こり、より”個”の時代が色濃くなっています。個人同士も”スキルの等価交換”になっていくのではないかと思います。まち同士もそれぞれの持っている”いいところ”を交換する時代になっていくのではないでしょうか。

縁もゆかりもない「なんかこのまち好きだな」を堂々と話せる人が増えたらいいなと思う今日この頃でした。


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