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自分には理解できないことがあると知ってほしい:『正欲』読了



以下、作品の根幹となるネタバレを大いに含みますので、これから作品を楽しもうとされている方はお気をつけください。

また、自身の経験談を交えて感想文を書いています。読書感想文にしては自分語りが多すぎるのでご了承いただけますと幸いです。




最後まで分からなかった。

水に興奮するという感情は抱いたことがない。だから分からなかった。ごめん、めっちゃ読んだんだけどね、内容。だけど分からなかった。

私が思うに、基本的に人間は"自分で"見たもの聞いたもの感じたこと考えたことしか理解できない。

私の中に「水に興奮する」という感覚はない、だから理解できない。
でも理解できない、ということを改めて確認できてよかったなと思う。



そういう「欲」という話からは逸れるけれど、私も「ああこの人は自分の理解の範疇を超えている私のことを『そういうもの』で片付けてんだな」と思ったことがある。

私の記事一覧を見てもらえればわかるかもしれないが、私には休職経験があり、現在は転職して普通に働いている。
その休職時に強く感じたのが上記のことである。


学生時代、多かれ少なかれ嫌なことはあったし嫌いな人もいたけれど、一度も「学校に行けない」と思ったことのない私が、会社に行けないと思う毎日を過ごすことになったのだ。

そしてある日、限界を迎えた私は適応障害とかいう最もらしい病名のようなものがついた診断書を会社に送って休職期間を設けた。

だけれど、正直なんで行けないのかは分からなかった。
いやまあ多分、理由がありすぎてこれという理由を突きつけるのが難しいだけなんだけど、はっきりとコレが原因ですとかこの人が原因ですとは分からなかった。
いうなればもう"全て"が原因だった。

そんな中、この"全て"の原因の中で、今思えば1番の濃度を誇るいわば元凶、所属長がまさにこの物語でいう啓喜のような人物であった。
まあ読んでいて私が1番胸糞悪かったのが啓喜の部分だった。こいつ何なん、とずっと思っていた。

「自分の理解を超えるものは変」と決めつけて「こういうものだ」と説教してくるタイプ。
それに加えて所属長は正直今思えばデリカシーもプライバシーもないような人物だった。

心療内科への通院など協会けんぽや企業の保険組合が発行する医療費のお知らせにも載らないことがあるくらい秘匿性の高いことであるはずだ。少なくとも私は言いふらしてほしくないし噂話にもしてほしくない。
だけれどなぜか前職場は金融機関にも関わらず従業員の秘匿性に関してはザルなのか、枝葉のついた噂話が周り回って私よりとっくの先に辞めた同期や本人である私にまで届いた。
それもそのはず、所属長は営業室で電話越しでも分かるくらいでっけえ声で私の症状なりなんなりを聞き喋りと散々やっていたからだ。

しかしそれは仕方がないのかもしれない。私が昭和なんて生きたことがなく昭和の価値観が備わっているわけがないのと同じで、自分の身に起きたことしかわからないのだろうと思う。適応障害になったことがないからわからないのだ。

それに所属長に逆らう人は誰もいなかった。同期が他の愚痴の延長で所属長のことを「パワハラ?」と言いかけた時にはそれをかき消すようにわざとらしく大声で笑っていた上司のことを思い出す。
誰もその凝り固まった考えを指摘してくれなかったのかな、知らんけど。きっと私みたいに「顔面の肉が重力に負けていく」表情をして去っていく人ばかりなのだろう。私も当時は所属長に対して、何を言っても仕方ないと、そう思ったから。

また、啓喜が「一度道を逸れた人間」というような言葉を使っていたが、私もこの人に似たようなことを言われた。「一度そうなってしまったら…」云々。うるさ。

そして、適応障害とはこういうものだ、と現在進行形で適応障害を発症?している私に所属長は語った。
ほっとけよ、適応障害にもいろいろあんだろうが、自分が原因かもしれないとは思わないのかこの人は。いろいろ思った。私からすればこの人が語る全てが間違っていたのだ。
心療内科の先生に言われたこととも1ミリも合っていなかった。何を根拠にそんなことを喋っているのか今でもわからない。
でも電話越しに私の声が震えていることもお構い無しにそういうお門違いの言葉をぶつけできたので、もう諦めた。

だから最後に人事部の方に「何が原因か」と聞かれた時も何も言わなかった。言っても仕方がないし、従業員の秘匿性がザルなこの会社に何か言い残す方が明らかにリスクが高い。
もういなくなる会社がどうなろうと知ったことはない。二度と降り立つどころか通り過ぎることもない最寄駅の看板に踵を返した日をいまだによく覚えている。

だが、このことがきっかけで痛いほど学んだ。
自分に理解できないものはこの世にたくさんあること。理解できないものを理解しようとしても理解できないこと。
それを知らず自分の物差しが正しいと思っている人がいること。
だから、せめて私は理解できないことがたくさんあるんだろうな、とぼんやりとでもそう思っておくのがいいんじゃないか、ということ。


常識だ正論だと信じているものは自分が勝手に作った自分だけの物差しでしかない。誰しもがいわゆる世間とは多少なり価値観の乖離があるものだ。
それは啓喜のような人もそうだ。
少なくとも私の物差しからは大きく外れている。


分かろうとして欲しい、なんて言っていない。
むしろ、分かりたいとか何とか言って、ズカズカ土足で踏み込んできて欲しくない。
ただ。
分かったような顔をしてほしくない。自分の物差しで無理矢理はかろうとするのをやめてほしい。決めつけてほしくない。
まあ、難しいんだろうな、と思う。
わかんないんだよ、私もなんでそんなに自分の思考が正しいと信じて疑わなくいられるのかわかんないから。分からない者同士なんだ結局は。

ほっといてくれ、はまさにそうだ。
繋がり自体を諦めているのではない。私はあんたと繋がるのを分かりあうのを諦めているだけだ。


私は多分、マイノリティというよりはマジョリティに属することの方が多いと思う。
この時代背景なら八重子と諸橋大也とは同い年だろうし、多様性という言葉が広まっている今を生きている現役世代。不満を抱きながらも、まあ大きな疑問を抱くことなく生きていられているはずだ。

多様性という言葉が、私には見えない多様性にまで手が及んでいない。
そういうことに疑問を持つ人たちがいるのかもしれない、なんてこの本を読むまでは正直思ってもみなかった。

多様性ガーと叫ぶ大人たちがZ世代とかいう分からない言葉で私たちを一括りにしているのもめちゃくちゃ気持ち悪い。
「Z世代の若者は○○だからその多様性を尊重して!」
「Z世代」とか「○○だから」と括っている時点で多様性もクソもない。

多様性とは何だ。それも分からない。

例えば、多様性ガーと叫ばれて、心は女性と言い張る生物学的にはおじさんな人が女湯に入ってきたらどう思う?私はそんなの無理だ。

誰もが生きやすい社会を、なんて言って、その弊害で誰かが生きにくくなるこの現状。つまるところ全員が生きやすい社会なんて実現不可能だ。

でも、全員が何か1つでも諦めてしまうことが少なくなれば良いな、理不尽に奪われているものが1つでも減っていけば良いなとは思う。
だから何をすれば良い、どうしたらいい、というわけでもない、その答えすらわからないけれど。
この本で感じたことはこういうことだ。



最後に。
この本の中に我が自担らしき人が出てきました。
紅白で司会を務める「男性アイドル」はきっと我が自担のことですよね。いや絶対そう。平成最後の白組司会は櫻井翔さんだったので。優勝旗を嬉しそうに掲げていたので。
まあこういうヲタクごとも理解できない人にはただの新興宗教に見えるもんね!以上!


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