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読書記録|手づくりのアジール(青木真兵 著)⑦

シェア型書店への出店を考えたことがある。
(シェア型書店とは、1軒の店舗を数人~数十人の棚主で共同運営する書店のこと。棚主は割り当てられた区画を自由に運営できる)
「申し込もうか、どうしようか」と考え、決断できないまま、話はいつも流れてしまっていた。

なぜ私は、出店を決断しないんだろう?と考えながら、日々を過ごしていたら、「手づくりのアジール」にこんな記述を見つけた。

東吉野村に越す前から、自宅を図書館として開くことを決めており、本屋という選択肢はありませんでした。商才がないからという単純な理由からなのですが、もうちょっと理屈をつけてみると、関係をその都度リセットする売買という行為ではなく、関係を結び直すために貸借という方法が必要だったということがあると思います。

青木真兵 (2021). 「手づくりのアジール」 p.92.

私も似た感覚を持っていたので、とてもしっくりきた。「商才がない」という理由には共感したし、売買とは異なるかたちで本のやり取りをしたいと思っていたから、貸借も面白いと思った。

図書館いいなあ…と考えながら、日々を過ごしていたら、近所で「貸し本棚オーナー募集」というお知らせを見つけた。

すぐに応募した。
即決で応募したところに、何かあるのだと思う。それが何かは、まだわからないけれど。
こうして「湖畔の制作室」の小さな図書館をつくることを決めた。

応募したのは良いが、どんな図書館にしよう?そう考えながら、日々を過ごしていたら、山崎さんが折坂悠太さんのアルバム(呪文)を送ってくれた。

聞いてみると、私の作りたい図書館のイメージに近かった。何が近いのか?折坂さんのインタビュー記事を読んでみる。

そもそも「呪文」は、「心理」とは制作の土台がまったく異なるんです。「心理」は、まず自分のステートメント在りきで曲を構築し始めたんですが、対して今回の「呪文」は、「もうステートメントを歌の中で繰り返す必要はない」という考えが土台となっている。もっと言えば、1989年9月に生まれて35年生きてきた今の自分そのものが土台なんです。台所に立って見えたものとか、変な音がパチッとしたとか、「戦争しないです」とつぶやいてみたこととか……生活の中で感じたさまざまな事柄が、文脈も関係なく等しく混ざり合っている。自分自身を深く見つめて、おもちゃ箱を掘り漁ったように出てくるたくさんの言葉をそのまま曲に落とし込んでいる。そういう点で、前作と大きく異なります。

折坂悠太インタビュー|“今の自分自身”へ宛てた「呪文」という名の手紙
(引用元は以下URL)

前作「心理」から「呪文」に至る変化として、特定のステートメントを大切にする作り方から、今まで生きてきた35年の時間・生活・自分を土台にして、言葉を拾いあげる作り方へ変化したことが書かれている。
「湖畔の制作室」の図書館でも、私が生きてきた時間・生活・自分を土台にして、本や言葉を拾いあげ、小さな図書館という棚(アルバム)に入れて表現していきたいと思った。

さらにもう一つ。

「こういう曲を書けばいいんじゃないか」とか「こういうステートメントのうえで何かをやったら抜け出せるんじゃないか」と思っていたんですけど、実際はそういうことじゃなくて、日々の健康が大事だった。身体の動きそのもので体得していくものが大きかったんです。

折坂悠太が新たな風をまとって語る『呪文』。この世界に、しいて何か望むなら
(引用元は以下URL)

日々の健康を大切にする。これも大切だと思う。
何らかの主張(ステートメント)を発信する本棚というよりは、日々の健康を大切にするような本棚。私たちの考えを組みなおすだけでなく、身体の動きを組みなおす(外に出てみたり、散歩をしたりする)ような本棚。そんな本が並ぶ図書館をつくってみたいと思った。

折坂さんと私は同い年だ。
もしかしたら、35年という時間は、安心してそれを土台にすることができる最小の時間なのかもしれない。1曲目の「スペル」は、そんな思考へゆっくりといざなってくれた。

「湖畔の制作室」の図書館は、7月末には準備が整う。近くにいらした際は、是非お立ち寄りください。


「ルチャ・リブロを読み直す」第4回読書会
課題図書:青木真兵(2021)『手づくりのアジールー「土着の知」が生まれるところ』晶文社
第4回:「「最強」とは何か―山村で自宅を開くこと」(P89-110)
2024年7月29日(月)20:00~22:00
会場:homeport(北20条)or オンライン
どなたでも参加可能です。参加希望の方は下記までご連絡ください。
kohan.seisakushitsu[a]gmail.com
 ※[a]を@に変更してください


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