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読書記録|手づくりのアジール(青木真兵 著)④

homeportの山崎翔さんと「手づくりのアジール」読書会をしている。

有志が集まる読書会というと、事前に割り振られた担当章を読み、資料を作り、責任をもって発表する、というようなイメージがある。
互いに意見を出し合い、熱く議論し、自分の読みが甘いと、なんとなく情けないような、申し訳ないような気持ちになる。

こうした読書会は、自分が元気な時には楽しいものだ。自分の進むべき道が見えていて、新しいことを学びたい、仲間を作りたい時には、自ら進んで参加したくなるものだ。

しかし、山崎さんとやっている読書会は、それとは少し異なる。「逃亡先としての読書会」という言葉が近いかもしれない。

「逃亡先としての読書会」という言葉は、本書2章(対話1)の影響を受けて生まれた言葉だ。詳しく見てみよう。

栢木 メッサドーラは、逃亡や離脱や移住などの移動の中に闘争の次元を見出し、移民現象をひとつの社会運動、政治運動として捉え直そうとしています。「逃げる」という行動は、現実と対峙しない、消極的で臆病な反応とみなされがちですが、それは積極的な意思表示でもあるのだと。自分が所属している組織なり、共同体なり、社会なりに、自らの行動を通じて「否」を突き付けることですから。現状に不満や異議があるから、そしてもうそれ以上付き合っていられないと判断したから、逃げるのです。

青木真兵 (2021).  「手づくりのアジール」 p.40-41.

栢木清吾さんは、逃亡することは、現状に対する積極的な「否」の意思表示だと指摘する。

また、青木真兵さんは、自身が逃亡した経験についてこう語る。

青木 西洋史の大学院をいったん「逃亡」し、エビデンスにかかわらず自由に物を言える場所を求めて、内田先生の大学院ゼミにも出入りするようになったんです。

青木真兵 (2021).  「手づくりのアジール」p.46

青木真兵さんの逃亡先は内田樹先生のゼミだった。西洋史の大学院とは別の、逃亡先を密かに持っていた。別の箇所ではこうも語っている。

青木 しんどければいったん逃げて、体制が変わったらまた戻ればいい。この「行ったり来たり」をするためには、原理の異なる二つの世界が存在することを知っておく必要がある。僕の大学院時代はそういう二つの世界を行き来できる状況だったし、今勤めている社会福祉法人もそのあたり自由にさせてくれるので助かっています。

青木真兵 (2021).  「手づくりのアジール」p.58

別の原理を持つ逃亡先。山崎さんとの読書会はそんな場所だと思う。本の要約資料は用意しないし、内容とは無関係な近況報告や、昔の思い出話もしている。
でも不思議と、力んだ身体が弛緩するような、普段押されていないツボを刺激されるような、そんな感覚もする。

自分が置かれた原理から少し距離をとって、別の原理の中で会話をしたい人は、気軽に立ち寄ってほしい。


「ルチャ・リブロを読み直す」第2回読書会
課題図書:青木真兵(2021)『手づくりのアジールー「土着の知」が生まれるところ』晶文社
第2回:「対話1 逃げ延びるという選択 柏木清吾×青木真兵×青木海青子」(P37-66)
2024年5月27日(月)20:00~22:00
会場:homeport(北20条)or オンライン
どなたでも参加可能です。参加希望の方は下記までご連絡ください。
kohan.seisakushitsu[a]gmail.com
 ※[a]を@に変更してください


そういえば、逃亡先でなぜ「本」を読むのか。先日行った文学フリマ東京38で、共感する言葉に出会ったので、最後に書き記しておきたい。

常日頃、本を読むのは現代社会への抵抗だよなー、と考えている。現代社会では流行らない「本」を読むという抵抗。自分の人生の主導権を取り戻すために本を読むという抵抗。

夏森かぶと (2024). 本と抵抗 p.58

【読書会の記録】
・読書記録|手づくりのアジール(青木真兵 著)①(田中執筆)
・読書記録|手づくりのアジール(青木真兵 著)②(山崎さん執筆)
・読書記録|手づくりのアジール(青木真兵 著)③(山崎さん執筆)


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