見出し画像

心の中の椅子

彼の訃報を知ったのは偶然目に入った新聞のお悔やみ欄だった。
仕事で何種類もの新聞を受け入れする。その中には私の地元のごく狭い地域にしか配達されない新聞も含まれており、地元から遠いこの職場には郵送で届く。

いつもはそのまま受付して配架するのに、その日は何となく気になり地元新聞をめくっていた。地域色豊かで小さな頃から慣れ親しんでいた夕刊。懐かしい洋菓子店の広告や高校生の頃に通った小さな映画館の上映案内などをさらさら流し読みしているうちに、ふと目が留まる。心臓がざわざわと波打ってくるのを感じ、私は自分の口を押さえた。

黒い枠に縁取られた小さなお悔やみ欄。そこに書かれた名前は私のよく知っている人と同姓同名だった。

まさかという思いで年齢と住所を確かめる。私と同じ歳、その住所は子どもの頃に何度も遊びに行った彼の家だった......

Kと私は小学校からの同級生で、縁があったのかずっと同じクラス。一緒の班になることが多かった。背が高く、誰かと争っているところを見たことがない温厚な性格でクラスの友達にも親しまれていた。今思えば、他の同級生達よりずいぶん大人っぽく見え、実際精神的にそうだったのだろう。

私たちは学校の帰り道、よく何人かと一緒に神社でシイの実を食べたり河原で水切りをしたりして遊んだ。社会科のグループ発表では打ち合わせと称して放課後誰かの家に集まり、それぞれ持ってきたおやつを分け合った。
もちろん真剣に発表の話し合いもして、他の子達の意見をじっと聞いた後に的確なまとめをしてくれるのもKだった。

誰にでも分け隔てなく、物静かで温かいKに兄のような安心感を私は抱いていたように思う。

やがて中学生になり、初めてクラスが別れた。廊下で何人かの男子と壁にもたれて話しているKを見つけ、「K〜、クラス別れたね」と手を振って近づく。Kも「おう」と笑って私の頭をポンと軽く叩く。
何のこともなく教室に戻ろうとした時に後ろからさっきの男子たちがKをからかう声が聞こえてきた。
「え、何?いまの。おまえら付き合ってんの?」

あの年頃の子にありそうなひやかし。心の中でうんざりしながら振り向くと、Kが困った顔で真面目に否定しているのが見えた。あまり上手にかわせるタイプではない、朴訥な人。
中学3年間は同じクラスになることはなく、彼が剣道着を着て校庭で走り込みをしている姿を見かけると「お、がんばれ〜」と声をかけ笑い合うくらいだったけれど、Kは私の中で大切な友達だった。

最近読んだ町田そのこさんの『夜明けのはざま』という本の中に印象深い場面がある。元恋人である壱を失って葬儀場で嘆く良子に、壱の兄が語りかける言葉だ。

「良子さんは壱のための椅子をまだ持っているでしょう?椅子さえあればきっといつか壱が座る。あなたが壱の椅子を置き続けていたら、きっと話ができる。椅子、というのは自分の中の相手と対話することだ」



自分の中にKの椅子はずっとあったのではないか。故郷に帰った時にKの家の近くを通ると、(Kは今、何をしてるのかな)と頭をよぎる。何年か前に、地元に残った看護師の友達からKがしばらく入院してたんだけど...と聞いた。言いにくそうに、本人の希望で詳しくは言えないからごめんと。

卒業以来何年も会っていなかったけれど、心の中には歳を重ねたKの姿があった。日々の雑踏に紛れてしまう遠く懐かしい思い出はふとした瞬間に蘇る。あの日、新聞を開いたのはきっとKが自分の旅立ちを知らせてくれたのだと思う。
もっと会って話しておけばよかった。壱の兄の言葉のように、私たちはあまりにも明日に任せすぎたのかもしれない。

K、あなたの椅子はずっと私の中に置き続けるよ。だから時には「おう、久しぶり」と座りに来て欲しいんだ。

〜勇気が出ない時もあり そして僕は港にいる
消えそうな綿雲の意味を 考える
遠くに旅立った君の 証拠も徐々に ぼやけ始めて
目を閉じてゼロから百までやり直す
          スピッツ『みなと』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?