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サブスクで衰える批評眼

皆さん、サブスク使ってますか?

私はAmazon music unlimited使ってます。9000万曲聴けるみたいです😅

PASMOのアプリを入れたおかげでApple musicも無料お試しでしばらく使えるので、たまに使ってます。

最近思ったのは、サブスクって便利だけどよくない側面もあるなってことです。

クリエーター側のことではなく、今日はあくまでユーザー側の問題です。

サブスクで音楽を聴いてて、苦手な演奏、嫌いな演奏だったりするとすぐに変えちゃいませんか?

あれがよくないと思います。

CDの時代だったらディスクを取り替えるのが多少はめんどくさいので、苦手な演奏だったとしても最後まで聴いてみることが多かったです(あくまで初回の話です)。

苦手な演奏に最後までお付き合いするのには意味があると思うんです。

なぜ自分はこの演奏を苦手に感じるんだろう?

と考えるのが大事だと思うのです。

音楽の知識は別になくてもいいと思います。

例えば、私は小澤征爾やブロムシュテットの指揮するベートーヴェンがどうも好きになれないのですが、それは「年の割には若々しい」というだけの印象で、響きは薄くセカセカしていて、「楽譜に忠実」以上のメッセージが伝わってこないからです。

反対に私が好きなコンヴィチュニーや朝比奈のベートーヴェンは、もっとがっしりした重厚な造型があり、音楽を突き動かしていくエネルギーや情熱があります。

ノセダ/N響の「運命」なんて、火の玉が台風みたいに突進してくるような激しさですが、こういう荒ぶる感情の激しさを私はベートーヴェンの音楽に期待しているのです。

少なくともブロムシュテットや小澤の演奏からはそれらは感じられません。

私のようにスコア見ないで聴いてるようなド素人であっても、「なぜこの演奏は合わないのか?」を考え続けると、自ずと答えが見つかります(見つからないときもあります。そういうときはその曲に詳しくなかったりするときです)。

サブスク全盛時代において批評眼を養うのには、コンサートに行くのが一番です。

合わない演奏をひたすら聴かされるはめになるからです😅

逃げられないのです😂(休憩中に帰る場合もありますが)。

逃げられない環境で、我慢大会ではもったいない。
こういうときこそ、「なぜ自分と合わないのか?」を考えてみたいもの。

noteでコンサート日記を書くようになって助かったのは、合わないコンサートを聴いてるときにどうアウトプットしようかひたすら考えるようになれたことです。

これは退屈しないで済む行為です。音楽自体はつまらなく感じても、「この退屈をどう言語化しようか?」と考えを深めることができるのです。

じっくり持論を展開するにはXよりブログの方が断然向いています。

ブログは時間が経ってからも検索して読んでもらえたりしますしね。

ツイートなんてメモ書きと同じです。後になって自分も他人も読み返したりはしません。

サブスクで合わない音楽を聴き続けるのは困難です。
心地よくないものから逃れたいというのは人間の本能的欲求です。

しかし、あえて心地悪さの中にとどまることで得られるものもあるのです。

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