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音楽は器との調和があってこそ 安達真理のヴィオラ・リサイタル

王子ホールで、安達真理のヴィオラ・リサイタルを聴いた。

クラーク:ヴィオラ・ソナタ
ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第1番
ショスタコーヴィチ:ヴィオラ・ソナタ

《アンコール》
平野一郎:あまねうた

ヴィオラ:安達真理
ピアノ:江崎萌子

こちら、榎本文化財団の主催で無料のコンサート。
私は安達さんのツイートで公演の存在を知り申し込んだが、開場前にホールに行ったら高齢者ばかり😅 クラシックの将来を憂えずにはいられなかった😂

室内楽のコンサートは久しぶり。最近はオーケストラかオペラばかり。
器楽ならたまにある。ポゴレリッチや高田泰治。
室内楽はいつ以来だ?😅

王子ホールはさらにご無沙汰。王子やトッパンはいまの私には高くて気軽に行けないホールになってしまった。

王子ホールはたしか改修していたはずだが、改修後は行っていない。
アルノルト・シェーンベルク合唱団やレイフ・オヴェ・アンスネスを昔に聴いたのは覚えている。

ヴィオラのリサイタルって初めてかな?と思ったが、オペラシティのユニーク企画「B→C」で東条慧を聴いたことがあった。

まだコンサートブログを書く前だから感想は記してないが、ゲストでわざわざ海外から来てくれた日本人ヴィオラ奏者と目も合わせようとせず、冷淡なステージマナーで、ずいぶん失礼な人だなと思ってしまった。

話は横に逸れるが、「バッハからコンテンポラリーへ(B→ C)」の人気企画を考えた東京オペラシティ文化財団にサントリー音楽賞あげたりしないのだろうか?
トッパンホールには授賞してるから、他のホール関係者に賞あげないわけじゃなさそうだけど。

さて、話を今夜のリサイタルに戻す。20:30までの予定が、前半終了後に簡単なトークがあり、しかもアンコールも1曲あって、終わってみれば21時近くまである普通のコンサートだった。

無料とは思えない「気前のいい」コンサートだっただけに、否定的な感想は書きづらいが、感じたことを正直に。

安達さんがクラークを弾き始めたときに、まるでヴァイオリンみたいな輝かしい音色に圧倒された。
ヴィオラは内声楽器だし、もっと燻んだ渋い音色だという先入観があったのである。

今井信子がたしかバッハの無伴奏チェロ組曲のヴィオラ編曲版を録音しているが、安達さんでも聴きたいと思った。

だが、その朗々と歌い上げるスタイルも、しばらく曲が進行するとやがて単調に感じられてきた。

理由はおそらく、音が強すぎてダイナミクスの幅が狭かったからだろう。
ショスタコーヴィチの第3楽章になって、ようやくppを感じた。それまではずっとmf以上で弾いてる感じだった。

キャパの少ない王子ホールをはみ出す音量やスケール感だった。紀尾井ホールだったらちょうどよかったかもしれない。

いいなと素直に感じたのはショスタコーヴィチの第3楽章とアンコール。

ショスタコーヴィチの第3楽章は途中でヴィオラの長いソロが出てくるが、そこでの安達さんの表現力が濃厚かつ雄弁でよかった。

言い方を換えれば、ピアノとの絡みで丁々発止感もなかったし、音が溶け合ってる感じもしなかった。別々の音楽を聴いてる感じがした。

ショスタコーヴィチの第3楽章におけるヴィオラのppの場面でも、ピアノは通常の音量だったので、繊細なヴィオラの表現とのバランスを欠いていた。

アンコールは安達さんが舞台に出てくるなりチューニングを始めるがごとき気楽さで弾き始め、ピアノも含めて終始リラックスムードだった。
肩の力の抜けた感じがそれまでの音楽と違った魅力でよかった。

クラークはブログ友達のtyashiさんのおすすめ作曲家でもあったので大いに期待したが、先ほど述べたように音量の幅がmf〜ffなので単調に感じてしまった。また違う奏者でも聴いてみたい。

ブラームスのヴィオラ・ソナタは原曲がクラリネット・ソナタ。原曲も聴いたことがない。
ブラームスならではの熱情的な音楽だったが、終始力のこもった熱演だったため、一本調子に感じてしまった。

紀尾井ホールだったら同じスタイルでやってもちょうどいい塩梅だったかもしれない。

だが、さすがに紀尾井ホールで全席ご招待はできないだろう。

安達さんの表現のスケールが大きすぎて、王子ホールでは収まりが利かなかった印象。

音楽はそれを盛りつける「器」との調和が大事なのだと教えられたコンサートだった。

とはいえ、すべて初めて聴く曲で、特にショスタコーヴィチ最後の作品(亡くなる4日前に校訂を完了した)を生演奏で聴けた喜びは大きかった。

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