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喋るように指揮をする人 鈴木優人/東響のメンデルスゾーン

サントリーホールで東響定期を聴いてきた。

メンデルスゾーン:交響曲 第5番 ニ短調 op.107 「宗教改革」
メンデルスゾーン:交響曲 第2番 変ロ長調 op.52 「讃歌」

指揮:鈴木優人
ソプラノ:中江早希
ソプラノ:澤江衣里
テノール:櫻田亮
合唱:東響コーラス

鈴木優人を聴くのは初めて。私は天邪鬼なので流行りの人はあまり聴きたいと思わない。反田恭平、藤田真央、角野隼斗、みな聴いてない。

ただ、未体験の指揮者をなるべく減らしていこうというキャンペーン中?でもあり、鈴木優人は読響とのカジュアルプログラム(古典交響曲やクープランの墓)も惹かれたが、声楽入りの大曲であるこちらを選んだ。

東響コーラスはアマチュアながらレベルが高い。過去に飯森範親の「戴冠式ミサ」や大友直人の「ゲロンティアスの夢」で聴いたことがある(かなり古いね😅)。

メンデルスゾーンのこの2曲は昔にペーター・マークの全集で聴いたことがあったが、ほぼ初体験に近い。
馴染みのない曲を気鋭の音楽家で聴くのはスリリングでいい。

結果から言うとハイレベルな演奏だった。「讃歌」を熱心に聴いてきたファンも大満足だったのではないか。

聴衆の雑音も少なかった。まわりで若干気になる音もあったが、許容範囲。係員に話しかけなかったコンサートは久しぶり?だ😅

こんなマニアックなコンサートで聴衆の集中力が高いのだから、「優人マジック」と言うほかない。
女性客が多かったのは土曜だからか、鈴木優人の追っかけなのか。

鈴木優人、どこかで見た顔だと思ったら漫画『ダイの大冒険』のアバン先生似?😅

人気のメガネキャラ

川瀬賢太郎や原田慶太楼がヤンチャ系とすれば、鈴木“アバン”優人は温厚で優しい紳士キャラ。優人推しが大勢いてもおかしくない。

さて、私はロマン派の音楽が苦手。「トロイメライ」やショパンのノクターンよりスカルラッティのソナタの方に詩情を感じる。

様式感が好きなのだろう。ショパンもノクターンよりはソナタが好き。
それもあるのか、「讃歌」のシンフォニアがやたら長く感じた。演奏が素晴らしいのはわかるが、いかんせんまったりした曲調が聴いてて飽きる。

第2部になり合唱が入ると、声楽入りの管弦楽曲ならではの大迫力。

かつて「さいたまゴールド・シアター」という、演出家の蜷川幸雄が55歳以上の中高年だけを集めて結成したプロ劇団があった。
演技経験がない人もいたが、人生経験が演技の厚みとなって現れるのを狙ったのだという。
東響コーラスもまさにそんな感じで、マスとしての迫力もありながら、個々人の人生の分厚さが圧となって迫ってきた。

ソリストの3人もよかった。特に櫻田亮はボストリッジを思わせる知性的で柔らかい声だった。

鈴木優人の指揮は簡潔明瞭でびっくり。カルロス・クライバーが「歌うように指揮をする人」だとするなら、鈴木優人は「喋るように指揮をする人」だ。
指揮棒を持って生まれてきたのではないかと思うほど、天性の音楽家という雰囲気がある。
彼にとって指揮棒を振るのは特殊なことではなく、日常の営みなのだと感じさせた。

以前に比べて父・鈴木雅明がモダンオーケストラを振らなくなっているので、いまや「日本一バッハを振ってきたモダン指揮者」である鈴木優人。

モダンの指揮者はバッハを振らないが、これは大きな損失だと思う。
川瀬賢太郎や太田弦は人前でほとんど振ったことがないのではないか。

「すべての道はローマに通ず」ならぬ「すべてのクラシック曲はバッハに発する」と私は思っているので、バッハを深く理解している指揮者はあらゆる作曲家の指揮に対して大きなアドバンテージがあるように思う。リハーサルの発言の説得力が違いそうだ。

鈴木優人の指揮でいつかマーラーやブルックナー、ショスタコーヴィチが聴けたらと思った。

今日、大所帯の東響コーラスを見てて思ったのは、日本政府がまともだったら今の感染状況では公演中止になっていただろうなということ。

実際、ノーマスクで大合唱やってる状況ではないと思う。
ただそれは東響が悪いのではなく、しっかりした方針を示さない政府の責任。

「コロナは自然に収束する」と思ってる国民が少なくないのではないか。
そんなはずはない。早期ガンの治療にしたって、病院や医師選びから患者自身の病気への深い理解なくして治りはしない。放っておけば自然に治る難病なんてあるはずがない。

26年前の1997年7月、私は初めてサントリーホールを訪れた。携帯電話もまだ持たない時代だった(PHSは持っていたと思う)。

26年後にまさか世界的な感染症が流行してるなんて思いもしなかったが、はたして今日から26年後の私はサントリーホールで音楽を聴いているのだろうか。

68歳のじいさんになった私が何かの曲を聴きながら、ハッと今日の「讃歌」を思い出すかもしれない。
「昔、コロナ禍ってあったよなぁ……」とまるでジュリアナ東京を懐かしむように思い出すことがあるかもしれない。

その頃には今よりまともな政府、今よりまともな国であってほしい。
合唱音楽が当たり前に聴ける世の中であってほしい。
ただ、平和というのは「なんとなく達成」されるものではなく、一人一人の不断の信念があってこそ成し遂げられるものだと思う。

終演後は大きな拍手が会場を包んだが、オケが撤収を始めると拍手が止みそうになった。私と隣のおじさんは拍手を続けていた。

やがて指揮者とソリストがカーテンコールに現れたが、私は東響コーラスの最後の団員が退場するのを見届けると会場を後にした。

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