見出し画像

毒親ではないけれど〈2〉

『毒親ではないけれど〈1〉』をお読みでない方は、よろしければこちらからどうぞ。



1人暮らしを始めてから、アキの足は実家からすっかり遠のいていた。
アキの職場は実家から通える距離にあったため、誰もが「実家が近いならごはんもらいに帰れていいね」と言った。
アキは1回も気軽に帰っていないなぁと思いながら「そうですね~」と流していた。



アキが実家に寄り付かなくなったのは、もちろん母親のサヤコと距離をとるため。
そして、実家に帰るタイミングが分からないという理由もあった。
サヤコはちょっとした負荷を感じるとすぐにイライラした。
サヤコの不機嫌をアキはそのまま受け止めてしまう。
すると、心臓をぎゅっと掴まれたように苦しくなる。

―――ごはんくらいならたまに食べに帰りたいけど、もし負担に思われてイライラされたら?

どこまでサヤコに甘えていいのか本気で分からず、アキは悩んでいた。
サヤコとの関わりのすべてが面倒になったアキ。
実家を通り越して車で何度も街の中心に買い物に行った。

1人で献立を考えたり、冷蔵庫のものを自分一人で使えるのが楽しかった。
些細な日常に何度も幸福を感じた。

仕事にも人にも慣れてきた6月、ついにアキは人生初のボーナスをもらった。
増えていく通帳の残高を見て、一気に大人になれたような気がしてアキは1人ご満悦だった。その一方で

―――世の中では両親のためにボーナスを使う人もいるらしいな。

アキはサヤコの期待が目に見えるようだった。

―――だけどサヤコに尽くすと、心がバラバラになっちゃう気がする。また裏切られるかもしれないから。

アキはサヤコのことを頭から押し出し、自分の好きなものをちょっぴり買い、ささやかな幸せを感じていた。

思いは届かない


実家にものを取りに行く用事ができてしまい、アキが緊張しながら実家に帰ったあの日。
小さいころ好きだったハンバーグを食べていると、サヤコはポツリと言った。

「アキはもっと帰ってくるものだと思っていたのになー薄情な娘」

一つの思い出が蘇った。
アキが高校生の頃、サヤコと一緒にテレビを見ていたときだった。
母娘への街頭インタビューで「今日は一緒に銀座に来たんです」と朗らかに母娘は笑っていた。サヤコは

「アキが大人になったら、一緒に服を買いに行ったりカフェでコーヒーを飲んだりしようね、楽しみっ」

「そうだね」と返事をしたものの、アキの心の中は冷え切っていた。

―――私たちには無理だよ、お母さん。

サヤコはテレビの中の母娘がなぜ仲がいいのか、考えられないんだろうな。
母娘はそうなってしかるべきと思っているに違いない。
仲が良くない母娘も世の中にいるというのに、自分は当てはまらないとサヤコは信じている。
そんな未来を想像できるサヤコと買い物になんて行ったら、一生分の気を遣って大変になりそう……と、思うアキ。
自分たちの溝に気づけないサヤコが不思議でならなかった。

「私のこと大事だと思ってる?」
アキがサヤコに気持ちをぶつけたいと思ったことは1度や2度ではない。
だが、できなかった。
「私はお母さんからの愛情を感じられなくて辛かった。そのせいで自分に自信がない」
なんて言おうものなら、サヤコは絶対に耐えられないだろうな。

「私が悪かったのね……」とサヤコは半狂乱になって言うだろう。
違う話題でもまともに話し合えた記憶がなく、たいていサヤコが自虐的な言葉を言い放ち、アキが罪悪感にかられて話し合いを終わらせるのがルーティーンだ。

アキとサヤコはいつからか、子どもと大人が逆転したような関係性になっていたように思う。

不満をぶつけるサヤコ、サヤコをなだめるアキ。

自然でない関係には歪みができる。
アキは今でも、いつか自分の思いをサヤコが受け止めてくれたらいいな……という淡い望みを捨てきれないでいる。
叶わないことも織り込み済みなんだけどね……と、同時にアキは思っていた。

親孝行して当たり前


何気なくライブに行った話を家族にしたとき
「私も行きたーい!なんで連れて行ってくれなかったのー!?」
と、サヤコが言うので実家を出てから2年目の夏、アキはサヤコと一緒にライブに行くことになった。

「2人で遠出なんて初めてだ……」
緊張と不安がむくむくと顔を出す。
曲りなりにも親子だし、親孝行の気持ちで乗り切ろう……と覚悟を決めたものの、段取りを組んでいるうちにアキの中には違和感が溢れた。

サヤコはすべてアキに任せきりだった。
「だって予約の仕方なんて分からないし、アキ得意なんでしょ?」
その上、実家まで車でサヤコを迎えに行き、帰りも送り届ける。

「ねぇ、開演の時間って何時?お父さんのごはん用意しなきゃいけないから。あとCD買ったんでしょ、コピーして(CD-ROMに落として)ちょうだい」

自分で調べる気もなければ、CDを買うのもケチるサヤコ。
ライブは楽しみなのに、徐々に気持ちが落ちていくのをアキは感じていた。

「アキにはいろいろしてももらったから、チケット代はお母さんが出すからね!」
なんて言ってくれたら頑張れるのに、期待虚しくきっちり割り勘。
むしろ、これまで頑張ってアキを育ててきたんだからこれくらいは当然だし
、ごはんはおごりよね?というサヤコの思いが透けて見え、アキは心の底からうんざりしてしまった。

―――いくらなんでもこれは変だよ……こんなにおもてなししなきゃいけないものなの?

アキは常にサヤコに配慮しているのに、サヤコの無遠慮に甘える。
私に娘を求めるなら、サヤコにだって母親らしさを求めたいと思ってしまう。
サヤコは毒親というより、大人になりきれない少女のよう。

「アキ大好きだよ」

と、言ってもらいたかった。
もう四半世紀は生きたというのに、親への希望を断ち切れない自分にイライラするアキ。
「ここまで立派に育ててもらったんだから、それ以上求めるな」
脳内のアキに説得される。
親に愛された確信があったら、ここまで揺らがない。
アキはいつまで経っても答えの出ない問いを抱えている気分だった。

寂しいときはあったけど


アキはまぶしい太陽を浴びながらカーテンをしめた自分の部屋に帰った。
夜勤明けで全身クタクタ。
トイレの便座に座っただけで目をつぶってしまいそう。
そんな体を引きずるようにして、お風呂へ向かう。
ドロドロになった化粧を洗い流し、コンビニで買ってきたパンをつまんで倒れこむように仮眠する。
のっそりと起きた夕方のなんとも言えない虚脱感。

―――1人は好きだけど、夜勤明けのだるさは全然慣れないな。

遊びにも行く元気も湧かない。
また職場のおばさまに「若いのに何言ってるのー!」と言われそうだな、とアキは思った。
夜勤から帰宅してがっつり寝てしまうと、夜中まで眠気はやってこない。
テレビの放送時間が終わるまでアキはダラダラと起きていることが多かった。
いよいよテレビも終わってしまうと、アキはベランダで煙草を吸った。

「体に悪いことをしていると落ち着く」

と、好きな漫画のイケメンが言っていたから吸い始めた煙草。
まったくおいしくなかったけれど、自分のために吸っている煙草でアキは慰められている気がした。

「サヤコと物理的に距離をあけたのはよかったんだな……」

アキはポツリとつぶやいた。
毎日サヤコと接していない分、心に余裕があった。
だけど、サヤコとは同じ家に住めないことも証明されてしまったなとアキは思った。
「一緒にいるのは2、3日が限界だもんな、こんな親子もいるよな」
煙草のケムリを夜空に吐き出しながら、アキは自嘲気味に笑った。
誰かにそれでもいいんじゃない、と言ってもらえたらよかったかもしれない。

恋が呼ぶ嵐


「3年くらい付き合って30前で結婚するならさー、そろそろ本気で彼氏作らないとヤバくない?」
友達と宅飲みするときのテッパンの話題。

「実際出会いなんてまったくないよね、アキもしばらく彼氏いないもんね?」
「うん、だって田舎にはおじいちゃんしかいないしw」
「それなwww」
アキは笑いながらも焦りを感じていた。

交友関係の広い友達が男の人を紹介してくれるが、緊張をするだけして次につながらないケースばかりだった。
結婚したいのかしたくないのか、と考える余地はなかった。
結婚しなければ終わるくらいの危機感を、周囲の人間の誰もが持っていた。
お酒が弱い友達は顔を赤くしながら
「いいこと思いついた!アキ!この人と連絡とりな!」
「あ、はい……」

友達が推してきた人はとても変わった人だった。
だけど、とても紳士だった。会ってすぐに
「今、外でイベントやってるから見に行かない?」
知らない人とごはんを食べるのが苦手なアキはホッと胸をなでおろした。
珍しい屋台を見ながら、彼はアキを飽きさせまいと一生懸命しゃべっていた。
満員電車でそっと守ってくれる彼のスマートな姿にアキは驚いた。
また、エレベーターを降りるときは最後まで残って「開」ボタンを当たり前に押していた。
アキが家に帰るためにJRの改札に向かおうとすると「はいこれ!」と、いつの間にか用意したコーヒーを彼は持たせてくれた。
親切心にあふれていて、アキは宇宙人に遭遇したような気がした。

―――どんな家庭で育ったらこんな人間ができるんだろう?

これまでにないほど興味が湧いた。
彼は家族が大好きだった。
「マザコンならぬファミコンって言われたことあるよw」
彼の話の中には家族がたくさん出てきた。
そして、彼の家族はアキにも優しかった。

初対面でも食事を振る舞ってくれて「また来てね」と
言ってくれる彼のお母さん。
「一緒にお酒が飲めるから嬉しい」と、喜んでくれる彼のお父さん。
ご両親は彼の存在を認め誇りに思っている。
そんな息子が選んだアキを無防備に信頼してくれる。

アキは自分の家族との違いに落胆を隠せなかった。

―――実家は私にとって安心できる場所ではなかったんだなぁ……

両親はアキを大事にしていたと思う。
だけど、アキの幸せの形を彼らは勝手に決めつけていた
アキに考えがあっても、間違いをさせてくれない2人だった。

転ずる


初めて大好きな人と付き合ったアキだったが、彼はフリーターだった。
公務員採用試験に落ち続けていたが、まだ年齢的にも余裕があったので彼に焦りは見えなかった。

「アキの両親に俺のこと紹介してよ」

私は彼の家族に紹介してもらったのに、私は彼の存在を両親に隠している。
フリーターと付き合っているなんて、彼らは絶対認めないとアキは思ったから。
彼を守りたい気持ちからだったが、家族に紹介してくれない事実に彼は辛さを感じている様子だった。

―――彼の気持ちは分かる。でも……

ただでさえ公務員信仰の強い両親。
公務員を目指しているとはいえ、彼を糾弾するのは目に見えていた。
のらりくらりとかわしていたが付き合って1年経ったとき

「アキと結婚したいと思っているから」

と彼からの言葉で、アキは舞い上がってしまった。
これまで我慢してきたんだから、私の気持ちも受け止めてもらいたい。
アキはそう思って両親に打ち明けた。

「あ……バイトなの。へぇ~」

サヤコの反応は予想通り過ぎて、アキの指先は冷たくなった。

―――分かっていたことなのに、この寒々しい気持ちは何だ。

サヤコから感じた娘が離れゆく寂しさ。
その感情からほんの少しだけ、サヤコはアキに気遣うようになったと感じていた。
でもどうやら希望的な思い込みだったみたい、とアキは思い知った。
彼に嫌われたくない一心で両親に打ち明けたが、2人の反応は予想通り、いやそれ以上のネガティブさだった。

「あのな、看護師のお前とフリーターなんて騙されているに決まっているだろ!」父はハナから話を聞いてくれない。

「フリーターと結婚させるためにここまで育てたんじゃない……」
と、サヤコは泣き出した。
演技がかったセリフを吐くサヤコに嫌気が差した。
彼は優しい人なのに、『フリーター』のというだけで頑なに認めようとしない。
アキを心配しているのは分かる。
だが、アキの言葉を何一つ信用せず、枠からはみ出した生き方なんてダメだとしか言わない両親にアキは寂しさと憤りを感じた。

―――私ってそんなに信頼されてないんだね……彼の両親は何の情報もないうちに私を受け入れてくれたのに。

これまで優等生のようにふるまって生きてきた。
だから一つくらいわがまま言っても許されるんじゃないかとアキは思っていたが、間違いだったようだ。

いい人に出会い初めて愛されて、自分を肯定できたんだと両親に伝えたかった。
だけどそんな思いは何一つ、必要とされていなかったようだ。

「その人と別れなさい。男にとって仕事は何より大事なんだから」
石橋を叩きすぎて壊してしまう父。

「お父さんみたいな人を探しなさい?」
こんな時でも娘にマウントを取ろうとするサヤコ。

この人たちに何を言ったって無駄だ。
そう思ったアキは実家を飛び出した。
ちょうどうちに泊まりにきた彼に縋りついて、アキはわんわんと泣いた。
そして、彼との別れを心の中で決めていた
あれだけ反発していたのに、結局サヤコと父の圧力に屈するしかない自分の弱さにアキは涙を流し続けた。

この人と別れたくない……!だけど……
身が切られるかのような悲しみ。
アキには自分自身と彼を守れる方法は、何ひとつ思い浮かばなかった。

つづく

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

よろしければサポートをお願いいたします✨泣いて喜びます!いただいたサポートで質の良い記事作成できるよう精進いたします!