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今そこにある幸せとは?

即物的な一瞬の多幸感を大なり小なり積み重ねてやり過ごす。
そうやって何十年も自分を誤魔化してきた癖が抜けない。
仕事で忙しかった時も、仕事らしい仕事をしていない今も、結局のところ、変わっていないのではないか?
時間はあっても、身近ですぐに手に入って、即効性のある幸せ感を与えてくれることに流れがちだ。
時間もお金も掛かって、身につくのか、無駄になるのかわからないことへの投資が踏み切れない。それがたとえ自分への投資であっても。
自分自身の人生に勝負を賭けられないで、あとの残りの人生どうしようというのか。
老後のために守るだけでいいのか。
26年の職業生活の垢みたいなものが抜けきれないのか。
試練続きだったアイルランド留学の疲れが抜けきれないのか。
こうしている間にも、ただただ現状維持を選択している。大きなチャレンジをしない方を選んでいる。
世情が読めないまま、むしろ、悪化しているとき、なかなか身を挺しての新たなチャレンジに挑む勢いも勇気も出てこない。
もたもたしているといつもチャンスは逃げていく。それもわかっている。
たった1年の世情の変化の中でよりチャレンジの壁が高くなってしまった気がするのだ。
自分で自分に期待ができなくなってきている。
また、思わぬ試練に巻き込まれるのがどこか怖いのだ。
私のセカンドライフも、ついに気持ちの上でも、もはや守りだけの「老後」が始まってしまったのだろうか。