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古賀慎一郎
2023年1月19日 10:34
よく、ふと思い出すひとつの光景がある。それは本番前、ちあきなおみのステージドレスの背中上部のホックを私が留める姿だ。「ちあき君が呼んでるぞ。君の大事な仕事だ」 いつもそう言って私を楽屋へと促したのは、松原史明だった。 楽屋へ入ると、全身鏡前でその人が待っている。 私は微かに震える手でホックを留める。と、その人は大きく息を吐き、ちあきなおみとなるのだ。 本番終了後は、同様にそのホックを外
2023年1月8日 10:24
歌手・ちあきなおみの生涯を顧みれば、一九六九(昭和四四)年にメジャーシーンにその姿をあらわし、アイドル路線を経て、一九七二(昭和四七)年に歌謡界の頂点に立つ。その後、ドラマチック歌謡路線がつづき、船村演歌で歌手としての低力を見せつけるも、歌の方向性の違いから、郷鍈治との邂逅を機に、業界のあらゆる障壁に屈することなく、メディアから姿を消し独自の路線を進んでゆく。ジャズ、シャンソン、ファド、日本の名
2022年11月18日 10:30
前回からのつづき そしてもうひとつ、ちあきなおみ「復帰なき理由」として私が思い浮かぶのは、歌謡界の時流というものである。 当時(九〇年代)日本は、〝混沌と狂乱の時代〟と呼ばれた八〇年代から、バブル経済が衰退の一途を辿り、〝ジャパン・アズ・ナンバーワン〟という言葉に象徴された未曾有の好景気からデフレ時代へと突入していた。 そんな時代模様の中、歌謡界では小室哲哉サウンドを筆頭として、音楽はア
2022年7月23日 15:26
「喝采」がリリースされた一九七二(昭和四七)年の日本は、まさに"激動の時代"と謳われた季節の終焉を迎えようとしていた。 一九六〇年代後半、一九七〇(昭和四五)年の日米安全保障条約の書き直しを阻止せんと、学園紛争(全共闘運動)の嵐が吹き荒れ、ベトナム反戦デモが激しさを増してゆく中で、その勢いはミニコミ、小劇場運動、ロック、フォークといった分野にも飛び火し、既成の価値体系に反逆する熱い風はやがて