我妻俊樹

歌人。怪談作家。小説家。川柳作家。 agtmtsk@gmail.com

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不条理怪談論 第一回「文字がふりかえる隙間」

今からわたしが書こうとしている文のつらなりは、たとえば「不条理怪談とは何か?」とか「その起源は?」「定義は?」みたいな話では基本的にない。ならどうしてこんなタイ…

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我妻俊樹
4か月前
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【川柳】金星と土星(60句)

紙切れがまぶしく親友しかいない 人類がおまえのせいで進化する 場違いな城をつくって見せに来た 妹が同一人物、抜け殻の わしづかみされて訃報に気づいたよ みんな笑…

我妻俊樹
4か月前
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【断章】法螺と夢について

結果的に似たようなものになるんだとしても「法螺話」的な小説と「夢の話」的な小説は、書くうえではっきり分けて考えたほうがよさそうだ。語りのエンジンの質または位置が…

我妻俊樹
4か月前
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【断章】探偵について

作者があらゆる仕掛けを施したあとに読者を導き入れている、かのように見せかけ、じつは読者を先に歩かせてから後出しで「予めそこに仕掛けがあった」かのように見せかけて…

我妻俊樹
5か月前
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【断章】双六について

すごろく(絵双六)からゲーム性を排したようなものを小説でやりたい。たぶん2000年前後はデジタルでそういうことができるんではと夢見られてた気がするが(CD-ROM本ブーム…

我妻俊樹
5か月前
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【断章】サムネイルについて

「ヒデオドローム」を見返してて、これはクローネンバーグの中でもとくにデヴィッド・リンチ的なものと接近してる作品のような気がする。あとなんとなく「黄泥街」っぽいと…

我妻俊樹
5か月前
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【小説】史跡研究会

 大学のサークルは史跡研究会だった。はじめはその名にふさわしい活動をしていたようだが、わたしが在籍した頃にはまったくちがった。もはや誰ひとり史跡に足を運ぶことは…

500
我妻俊樹
5か月前
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【断章】鳴き声について

短歌は、誰かの息の余りに書き込まれた言葉を、私の息の余りをつかって読むものだ。 ○ 話し言葉は直接、書き言葉は間接的に、人間が「息をしていること」の余りをつかっ…

我妻俊樹
7か月前
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【断章】時計について

(かつてのわれわれの社会がそうであったような)時計の丸い文字盤が、部屋とか町で目の届くところにいつもある。という状態は太陽や月のある世界を真似していたことだと思…

我妻俊樹
7か月前
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【断章】合理化について

小説は文字しかないから、ストーリーなんて書いたら他のこと書くところがなくなっちゃうし、じっさいたいていの小説はストーリーだけ読めばいいようになってて、何か変なこ…

我妻俊樹
7か月前
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【断章】グロテスクさについて

死化粧や死後婚という習慣にうっすらと、あるいは濃密に漂うグロテスクさは、化粧や結婚という習慣がもともともっていたグロテスクさがいわば「裏側からあてがわれている鏡…

我妻俊樹
8か月前
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【断章】シミュラクラについて

フィクションというのは要するにあれだ、シミュラクラ。 ○ 短歌はシミュラクラ現象が起きやすい、つまり「顔」に見えるものがもともと発生しやすい形式という気がする。…

我妻俊樹
8か月前
8

【断章】文章について

機能的な文章と違い作品の文章は読み終えることができない。つねに紙に読み残されるようにできているからだ。だから作品について語ることは途中経過の報告にならざるをえな…

我妻俊樹
8か月前
5

【断章】終点について

たとえばツイッターで読まれる短歌は、横書きでツイートを読む速度で読まれる、という条件につねに縛られるので、この条件に耐えられない種類の魅力は振るい落とされること…

我妻俊樹
9か月前
4

【断章】「これから起こること」と「すでに起きたこと」について

小説の言葉が「今起きていること」を語ることはなくて、そう見える場合はじっさいには「ほんの少し前に起きたこと」を語っているか、まれに「これから起こること」を語って…

我妻俊樹
9か月前
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【断章】郷愁について

いい匂いのするプラスチック消しゴム、などによってそそられる「食べられないものへの食欲」の行き場のなさを引き受ける領域が、言葉のどこかにあるということを示す役割の…

我妻俊樹
11か月前
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不条理怪談論 第一回「文字がふりかえる隙間」

今からわたしが書こうとしている文のつらなりは、たとえば「不条理怪談とは何か?」とか「その起源は?」「定義は?」みたいな話では基本的にない。ならどうしてこんなタイトルにしたのかといえば、ただ突然「これだ」とピンときたからというか、インスピレーションである。「不条理怪談/論」なのか、「不条理/怪談論」なのかも決定せずに書きはじめているので、もし後者だった場合この文章じたい「不条理怪談」的なニュアンスを帯び、「不条理怪談」についての論ではなく「不条理」な怪談論が書かれると告知してい

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【川柳】金星と土星(60句)

紙切れがまぶしく親友しかいない 人類がおまえのせいで進化する 場違いな城をつくって見せに来た 妹が同一人物、抜け殻の わしづかみされて訃報に気づいたよ みんな笑ってフルーツの傷目立たせる しらすにも雪にも見えて嬉し泣き 彗星の裏番組にしてもらう わたあめに頭の中と同じ棒 抱き上げた案山子のような空だった あらすじに戻されていく機内食 相部屋がずっとヒントを出している コップでも息の映画をみるでしょう 睡眠の質をあらわす活人画 明晰夢を持ちこたえてる

【断章】法螺と夢について

結果的に似たようなものになるんだとしても「法螺話」的な小説と「夢の話」的な小説は、書くうえではっきり分けて考えたほうがよさそうだ。語りのエンジンの質または位置が違う、という感じ。 ○ この区別は自分でしておいてよくわからなくなるのだが、(自分にとって)わかりやすい例を出すなら蛭子能収の作品でいうと81年くらいまでは「夢の話」寄りで、82年くらいから「法螺話」寄りにシフトしたという印象。 ○ これも漫画のたとえだけど、つげ義春は「夢の話」寄りで水木しげるは「法螺話」寄り

【断章】探偵について

作者があらゆる仕掛けを施したあとに読者を導き入れている、かのように見せかけ、じつは読者を先に歩かせてから後出しで「予めそこに仕掛けがあった」かのように見せかけているところがミステリーというジャンルのキモだと思う。 ○ 後出しで書き込まれた仕掛けになぜ読者が気づかないのか? 読者自身は仕掛けよりも先に書き込まれているからだろう。物語の読者は、物語に書き込まれている自分を発見することで読者になっている。 ○ ミステリは「それからどうなるの?」という物語の推進力を、「それか

【断章】双六について

すごろく(絵双六)からゲーム性を排したようなものを小説でやりたい。たぶん2000年前後はデジタルでそういうことができるんではと夢見られてた気がするが(CD-ROM本ブームなど)、あれは結局錯覚だったということになって宙に浮いてるタイプの夢として、蒸し返したいような気持ち。 ○ すごろく(絵双六)のいいところは、プレイすることで解凍される物語性がそのままでも一望にできてしまうことだ。物語を解凍しないままで細部のエピソードの閉じた枠のそれぞれに入り浸ることもできる。そういうも

【断章】サムネイルについて

「ヒデオドローム」を見返してて、これはクローネンバーグの中でもとくにデヴィッド・リンチ的なものと接近してる作品のような気がする。あとなんとなく「黄泥街」っぽいというか、残雪みたいな語り方でクローネンバーグ的なものが文章化できる可能性を感じる。 ○ 映画は、語る物語に対して映像がつねに「しょぼい」ものでしかありえない、というのが重要なところだと思う。しょぼくないショットを撮ることは才能があれば可能だけど、しょぼくない映像を撮れる人間はどこにも存在しないのである。短時間だけな

【小説】史跡研究会

 大学のサークルは史跡研究会だった。はじめはその名にふさわしい活動をしていたようだが、わたしが在籍した頃にはまったくちがった。もはや誰ひとり史跡に足を運ぶことはなく、日々サークルのボックスに集まって語りあう話題も史跡とは無関係だ。  ある日、公開されたばかりの大作映画の話をしたあと、帰り道で急に半分くらいがこれから映画を見に行くことになった。だが調べるまでもなく、この遅い時間に上映している劇場は近隣にない。わたしは映画組に加わって駅へ向かう道から逸れる。映画を見にいこうと言い

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【断章】鳴き声について

短歌は、誰かの息の余りに書き込まれた言葉を、私の息の余りをつかって読むものだ。 ○ 話し言葉は直接、書き言葉は間接的に、人間が「息をしていること」の余りをつかって語っている。だからそのほとんどに何も意味はなく、ただ生きるために呼吸をしているときに出る音がたまたま意味ありげに聞こえるのだ。 ○ と言いたいところだが、たぶん動物の「鳴き声」が我々には無意味に聞こえても、同じ種の間では厳密に意味そのものとして鳴かれているように、とくにSNSでの我々の発話はそういう厳密な「鳴

【断章】時計について

(かつてのわれわれの社会がそうであったような)時計の丸い文字盤が、部屋とか町で目の届くところにいつもある。という状態は太陽や月のある世界を真似していたことだと思う。 ○ 太陽や月を真似ている時計の文字盤じたいはその場を動かないかわりに、針が文字盤の上を太陽や月のように回り続けている。刻々と移ろう時の数字はその場にとどまり、指し示す針の方が回るという転倒は地球のめまぐるしい自転と、他の天体の静止や非常にゆっくりした動き、の関係を偶然なぞってもいる。 ○ 時計は世界のミニ

【断章】合理化について

小説は文字しかないから、ストーリーなんて書いたら他のこと書くところがなくなっちゃうし、じっさいたいていの小説はストーリーだけ読めばいいようになってて、何か変なことや珍しいことも「ストーリーの範囲でやる」ことになっているように思う。 ○ 小説にストーリーはいらないし、短歌に作中主体はいらない、という感覚がもっと普通に(なんなら「主流」に)なるくらいの期待があったけど、どうも現実はそのようにはならず、逆に小説は市場の縮小により合理化されてジャンル問わずストーリーだけが残るし、

【断章】グロテスクさについて

死化粧や死後婚という習慣にうっすらと、あるいは濃密に漂うグロテスクさは、化粧や結婚という習慣がもともともっていたグロテスクさがいわば「裏側からあてがわれている鏡像」を剥がされることで正体を現したものだろう。 ○ だからテクニックとして「何かをグロテスクに見せる」ためには、そのうしろにあてがわれている鏡を外してやればいいのである。 ○ むきだしの鏡像そのものはグロテスクなものだが、それが何かのうしろに置かれているかぎりにおいて、その何かを親しみのもてるものにかえる。

【断章】シミュラクラについて

フィクションというのは要するにあれだ、シミュラクラ。 ○ 短歌はシミュラクラ現象が起きやすい、つまり「顔」に見えるものがもともと発生しやすい形式という気がする。さらに作中主体の導入でフィクションとしての解像度を上げた、そのことへの後ろめたさが事実性へのこだわりを生んでいる側面もあるんじゃなかろうか。 ○ 私の説だと日本語は個々の発話者には「顔」がなく、それは発話を聞き入れた共同体から事後的に分配される。その「顔」のない日本語の不気味さを正確に枠どって暴く川柳に対し、短

【断章】文章について

機能的な文章と違い作品の文章は読み終えることができない。つねに紙に読み残されるようにできているからだ。だから作品について語ることは途中経過の報告にならざるをえないが、読み終えたふりをしなければ書けないこともあるだろう。それは嘘をつくことなので、読者に嘘だとわかるように書くべきだ。 ○ 機能的な文章とは家電の取扱説明書のようなものだ。予め伝えるべきことが用意され、言葉はそれを伝えれば役割を終える。作品の文章も何かを伝える身振りを見せるが、伝えられて読者の手元に届くのは多くと

【断章】終点について

たとえばツイッターで読まれる短歌は、横書きでツイートを読む速度で読まれる、という条件につねに縛られるので、この条件に耐えられない種類の魅力は振るい落とされることになる。こうした「条件」はさらに大きな文脈として現代の日本語環境全体にまでひろげることができるだろう。 ○ 横に広い人間の視界を縦に通過する、という交差による抵抗感が日本の短詩型文学の基盤だと思うが、デジタル環境の普及で日常的に横書きがデフォルトとなったことが文体に最も影響を与えたのは短歌ではないか。つまり「やりよ

【断章】「これから起こること」と「すでに起きたこと」について

小説の言葉が「今起きていること」を語ることはなくて、そう見える場合はじっさいには「ほんの少し前に起きたこと」を語っているか、まれに「これから起こること」を語っているのではないか。たぶん小説は「今」を読者から借りているが、読者にとっても「今」はどこかからの借りものに過ぎないだろう。 ○ 残雪やカフカの小説は文の形式上は過去形でも未来のことを語っているように見える。そこで起きた(と語られた)ことがすべてまだ起きていない出来事のように不確かで、いっこうに蓄積されていかない。未来

【断章】郷愁について

いい匂いのするプラスチック消しゴム、などによってそそられる「食べられないものへの食欲」の行き場のなさを引き受ける領域が、言葉のどこかにあるということを示す役割の「詩」があるのではないか ○ この食欲は郷愁と似ていると思うが、そうした消しゴムが子供時代の記憶と結びついている、ことを切り分けてもこの郷愁は残る気がする。はっきりそこにあるのにけっして届かないという感じ。食べたら腹を壊すのではなく、口に入れても(期待したような)味がしない、ことが重要なのだと思う。 ○ つまり