【断章】サムネイルについて

「ヒデオドローム」を見返してて、これはクローネンバーグの中でもとくにデヴィッド・リンチ的なものと接近してる作品のような気がする。あとなんとなく「黄泥街」っぽいというか、残雪みたいな語り方でクローネンバーグ的なものが文章化できる可能性を感じる。

映画は、語る物語に対して映像がつねに「しょぼい」ものでしかありえない、というのが重要なところだと思う。しょぼくないショットを撮ることは才能があれば可能だけど、しょぼくない映像を撮れる人間はどこにも存在しないのである。短時間だけなら、受け手に暗示をかけて騙すことはできるが。

映画の物語にとって映像はサムネイルであり、物語の世界そのものは誰も見ることができないということ。

たとえば昔の怪獣映画で破壊されるミニチュアセットなどは魅力的な「サムネイル」としてわかりやすいものだろう。本当に町が破壊されているようには見えない。だがサムネイルとして正しく「本当の破壊の光景」をシールする映像は、私の目をその死角にある出来事から逸らさせない。

「ビデオドローム」は、「この映画は、この映画の偽物である」というメッセージを終始伝え続けているタイプの傑作だと思う。

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