【断章】鳴き声について

短歌は、誰かの息の余りに書き込まれた言葉を、私の息の余りをつかって読むものだ。

話し言葉は直接、書き言葉は間接的に、人間が「息をしていること」の余りをつかって語っている。だからそのほとんどに何も意味はなく、ただ生きるために呼吸をしているときに出る音がたまたま意味ありげに聞こえるのだ。

と言いたいところだが、たぶん動物の「鳴き声」が我々には無意味に聞こえても、同じ種の間では厳密に意味そのものとして鳴かれているように、とくにSNSでの我々の発話はそういう厳密な「鳴き声」性を取り戻しつつあると思う。鳴き方で敵か味方かを瞬時に聞き分ける耳のことを思い出してしまった。

言葉が複雑になりすぎ、身近な群れの中以外から聞こえてくるぶんには無意味に聞こえる。と言える時代がかつてあって「芸術」はその無意味さに根差していたが、SNSでふれる大量の情報を捌くために言葉を(ひよこの雌雄のように)瞬時に敵味方に分ける目が共有される時代、その無意味さは口にできない。

我々がAIに期待しているのは、AIが「神のような無意味さ」で我々を振り回し何の説明もなく酷い目に遭わせ、SNS的な厳密な鳴き声の世界に亀裂をはしらせてくれること、なのではないか。

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