【断章】文章について

機能的な文章と違い作品の文章は読み終えることができない。つねに紙に読み残されるようにできているからだ。だから作品について語ることは途中経過の報告にならざるをえないが、読み終えたふりをしなければ書けないこともあるだろう。それは嘘をつくことなので、読者に嘘だとわかるように書くべきだ。

機能的な文章とは家電の取扱説明書のようなものだ。予め伝えるべきことが用意され、言葉はそれを伝えれば役割を終える。作品の文章も何かを伝える身振りを見せるが、伝えられて読者の手元に届くのは多くとも作品の半分でしかなく、残りは依然として紙の上にとどまっている。

中身を読み取ってもつねに紙の上に余ってしまうということ。それは装飾的な文章という意味ではない。装飾には装飾の機能がある。たとえば美文や擬古文が「美文であること」「擬古文であること」じたいを効果として読まれたがっているとき、その点に関しては作品(文学)というより機能寄りだといえる。

つまり作品の文章には、機能からはみ出した部分が無視できない質と量で存在しているということだろう。機能し損ねていることが紙の上から何度も迫ってくる。それはこちら側に持ち帰ることができず、出向いていって向こうで触れるしかない地形のようなものになっている。

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