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ダンジョンバァバ:第16話

目次

―――・・・―――
天の塔 地上13階
―――・・・―――

「キョウソウ! シヨウヨ! ムコウマデ!」
「んだヨこんの、テメェ!」
ルカは純白の柳眉を逆立て、ふたたび怪物に詰め寄る。ストライカー自慢の右ストレートがまたしても怪物の顔面を捉える…… が、インパクトの瞬間、拳はヌルリと青い肌の上を滑り、ルカの方がバランスを崩す。
「キョウソウ! シヨウヨ!」
怪物は依然として反撃せず、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「あー! クソーッ! だめだー!」
ルカは下顎の牙を剥き、短い髪を掻きむしりながら地団太を踏む。とっくに匙を投げたシンが、そんな彼女を見てニタニタと笑っている。
「ルカさん、諦めましょう」
ヘップがきっぱりと言った。むきになっているルカを除けば、皆ヘップと同意見である。この怪物を直接的に倒す術は、今のところ見つからない。
シーフのステルス攻撃も、ヴァルキリーの槍術も雷撃も、ホーゼやサヨカのスペルも、一斉攻撃も通用しない相手。ただ一匹の、怪物。二足歩行で、ホビットのヘップと似たり寄ったりの背丈だが、両腕だけが異様に長く、地面でとぐろを巻いている。ズタボロの腰巻ひとつで、肌は青紫色。体毛という体毛が無く、まるで樽いっぱいの粘液を頭のてっぺんからかぶったように、全身がヌラヌラと脂ぎっている。長四角の顔面上では巨大な眼球が忙しなく動き、赤子のようなおちょぼ口が同じ言葉を繰り返す。
「キョウソウ! シヨウヨ! ムコウマデ!」
怪物は長い長い大蛇のような腕をぐねぐねと動かし、その人差し指で水面を指している。
「ホッホ…… やはり泳ぎで勝たねばならんようですな」
ホーゼは灰色の口髭を撫で、どうしたものかと考え込む。
行く手を阻んでいるのは、奥行き50ヤード、横幅15ヤードほどの通路いっぱいに満たされた水。雨水なのだろうか…… 地上13階に水場があるのだ。

――ここはブラッドエルフの赤の町、その中央に聳える ”天の塔”。ヘップたちがドゥナイ・デンを発ち、天の塔の探索を始めてから14日が経過していた。

第16話『天の塔、内部』


小ぶりな採光口しか見当たらぬ暗い塔内において、その水場は幻想的に光り輝いていた。驚くほど澄んだ水面を覗き込めば、その明るさのもとが、底に群生する苔らしき植物の発光によるものだとわかる。縦長の遊泳場を思わせる水場の奥、つまり向こう側に、14階へと続くであろう階段が見える。

「でも、下手に水に入ったらああなるってことですよね……」
ヘップは黒いスカーフで覆った口をへの字にし、水の底を見つめる。
長身のエルフならば、ぎりぎり立てそうな深さの水底。苔に紛れ、魔物のものと思われる骨が大量に沈んでいる。まだ肉の残ったバラバラの死骸もいくつかあるが、不思議と水に濁りはない。
「ここはいっちょヘップ隊長お願いしますよぉやっちゃってくださいよぉ。ホビットって泳ぎ得意なんでしょう? ね、水泳マスター」
すり寄るシンを、ヘップは無視する。
「そうなのですか?」
ジーラが猫目をくりっと動かし、ヘップを見つめる。
「嘘ですよ。ホビットのオイラですら聞いたことがない」
「え」
ジーラは一瞬きょとんとしてから、鼠に襲いかかるような顔でシンを睨む。嘘つき男はすでに降参のポーズを取っている。
「……いいかげんにしなさい」
真顔に戻ったジーラは、清らかな声に鋭さを含ませて念を押す。
言葉数こそ少ないが、紺青色の短毛に覆われたその表情は豊かだ。彼女がグループに加わった当時、ヘップは正直、不安を感じていた。フェルパー族は共通語こそ使えども、首から上が完全に猫そのもので、細かい意思疎通ができるのか疑問だった。だがそんな心配は杞憂に終わり、今ではころころとよく変わる表情の観察が楽しくもある。

「真っ向勝負で勝つ方法か……うーん」
ヘップは頭をひねり、先ほど目撃した怪物の奇行を回想する。

――先刻この場に到着した一行は、当然のことながら不吉すぎる水底の様子に気づいた。そして水辺に立つ、気味の悪い怪物にも。
「ショウブ、シヨウヨ! ムコウマデ!」
「うるさいなぁ」
いきなり仕掛けたのはシンだった。だが弓も剣も通用しない。怪物はなぜか反撃してこない。シンは怪物の言う ”ショウブ” の意味に気づき、あっさり攻撃の手を止め、ヘップにひとつの案を提示した。その策とは、ホーゼが杖で水上をひとっ飛びするというもので、相手の望みが水泳勝負だとすれば、どう考えても反則技である。
「ハハッ! 反則? そんなこと判断できる知能がコイツにあると思います? ありゃしないでしょう。先に向こうに着けばいいんですよ。それに飛ぶなとも言われてませんよね?」
水に入るリスクと天秤にかけたヘップたちは、その案に乗った。鳥には勝てぬホーゼの杖だが、泳ぐよりはずっと速い。
だが―― 競争が始まり、ホーゼが先行した途端、怪物は目を真っ赤に変色させて怒り狂った。そして奇怪な泳法が生み出す驚異的なスピードでホーゼに追いつくと、その長い腕で水中に引きずり込もうとしたのだ。辛くも攻撃を回避したホーゼが大慌てで逆走し、水場から離れると、怪物の目は出会ったときの状態に戻り…… 今はこうして、幼子のように同じ言葉を繰り返している。

「隊長は尻込みですかぁ。誰も勝負しないんですか? フェルパーって泳ぎはどうなんです? 火吹き山のオーガも実は水浴びが大好きだってお婆ちゃんが言ってたっけなあ。ねえホラ、ホラホラ、相手にしてくれないからバケモノも寂しそうですよ?」
シンは順々に仲間の顔を見ながら、煽るように手を叩く。
「テメーがやれヨ」
「ハハッ! 感心しませんねルカさん。そうやって嫌なことを人に押し付けちゃダメだよって、親に教わりませんでした? 」
「んの……!」「お嬢、相手にすると疲れるだけですぞ」
目を剥いて飛び掛かろうとするルカを、ホーゼが制する。
「セラドさんがいれば――」
思わずこぼしたヘップは慌てて口を噤む。全員の視線が集まる。確かに、バードの ”演奏” で全員を浮遊させれば、強行突破できるかもしれない。だがセラドはここにいない。
シンは大袈裟に肩をすくめ、大きく溜息を吐いた。
「まーたセラドさんセラドさんですかぁ。ヘップ隊長。いない者はいないんですよ。この6人でどうにかしないと。わかりますよね? 代わりの私がそんなに不満ですか? 私こーんなに頑張っているでしょう? オババに拉致監禁されて、酷い首輪をつけられて。それでも私はよくやってますよ。ねえ? ここに来てから私がどれだけのモンスターを殺したか知ってます? いや私も覚えてませんけどね。私だってあのドジでマヌケな酔っ払いと早く交代したいんですよ。でもいない者はいないんですよ。わかりますよね? 代わりの私がそんなに不満ですか? 私こーんなに頑張っているでしょう? オババに拉致監禁されて、酷い首輪をつけられ――」
捲し立てるシンの目を、ヘップはじっと見返す。
事実、シンは目覚ましい活躍を見せていた。”本番” に向けての事前探索と鍛練を目的に、赤の町と往復を続けること14日。指示を無視した行動は少なくない。支離滅裂なことを言い、仲間をあざけるその態度も気に入らない。……が、戦闘時の立ち回りや探索における彼の行動とその結果は、冷静に考えてみれば概ね理にかなっている。ホーゼに飛んでもらうという案も、正攻法に寄りがちなヘップらには浮かばない発想だ。

「他にも階段があるとか? 隠し通路の奥とかにヨ」
ルカの一声に助けられ、ヘップは思考を切り替える。
「えっと、うーん…… この階はほとんど踏破したはずですけど、それらしいものは……」
魔物は、個や自らの種にとって重要な場所を隠す目的で、迷宮に対し物理的に、もしくは魔法を使って、偽装を施すことがある。偽装や罠の多くは本来、捕食、寄生、争奪といった連鎖関係にある ”内敵” に向けられたもので、ヘップたちのような ”外敵” に特化したものは多くない。だから ”侵入者” としての目線だけで何かを探そうとすると、痛い目に遭う。
この教訓はヘップがドゥナイ・デンで得たものだが、天の塔にも同じことが言えた。ひとつ違いを挙げるとすれば、地下の魔窟よりも気が滅入る。なぜなら塔の壁には骨―― 100年前の大戦で亡くなったエルフの骨や、大森林に生きていた動物の骨が大量に混ざっているのだ。目を背けたくなる光景だが、そうもいかない。どうやらこの100年の間に補修、新設されたと思われる壁には魔物由来の素材が使われているようで、その差を観察することが偽装の発見にもつながっている。

「ホッホ…… お嬢、ヘップ殿の言う通りです。外観から推測される広さと12階までの探索結果を踏まえれば、この13階、別の階段がありそうな場所は見当たりません。1階から12階の構造もあらためて確認しましたが…… 直通で昇れそうなリフトも無いでしょうな」
ルカは唸った。地底に広がるドゥナイ・デンのダンジョンは、ストーンスパイダーやインプによって ”拡張”、”埋め立て” され、階ごとに広さが異なると祖父フロンから聞いている。一方、地上に建つこの直円柱の塔はどうか。一部の埋め立てはできても、拡張は不可能だ。何より、ホーゼのマッピングが正確なことは、彼女が一番よく知っている。

「ここしかないとすると、魔物も行き来できないということに」
ジーラが言うと、ホーゼはゆっくりと頷く。
「ホッホ。仰る通り。しかしこう仮定することもできます。この先に潜む魔物にしてみれば…… 下に降りる必要が無い。もしくは上位の存在に対しては無害」
「この子が勝手に通せんぼしちゃってるのかもしれないですね~」と、サヨカ。
それぞれの意見に全員が頷く。いずれも可能性は十分にある。だが肝心の突破方法が分からない今、話は先に進まない。
「ヘップ隊長! 提案であります!」
シンが踵を鳴らし、敬礼した。
「なに」
ヘップが目だけを向ける。
「疲れました! 戻りましょう!」
……否定する者はいなかった。12階と13階の探索を始めてから丸2日、塔に籠りっぱなしである。ブラッドエルフが探索を済ませていた11階までと違い、固定罠や隠し通路の位置、ショートカットの有無、避けたいモンスターの潜伏エリアや徘徊ルートなどを、いちから調べ上げておく必要があった。いずれそのいくつかに変化が生じるとはいえ、変化 ”前” の状態を把握しておくことも生き延びるために重要な手段だ。持ち込んだ物資も残り少ない。
「では一度戻って、策を考えましょう。あわせて聞き込みも」
ヘップが宣言すると、シンは目を弓のように曲げて飛び跳ねた。
「ヤッタ! もっどりっましょー! またねバケモノ! 食事食事~!」
”食事” という言葉に、一行は少しだけ憂鬱になる。
町に戻り、張り詰めていた緊張の糸を解きほぐしながら囲む食卓は、本来であれば大きな楽しみのひとつなのだが。

「キョウソウ! シヨウヨ! ムコウマデ!」
背中に声を浴びながら、一行は水場を後にした。

◇◇◇

塔の大扉を抜けたヘップたちは、そこでやっと警戒を解く。大きく息を吐き、外の空気をめいっぱい肺に送り込む。心地よい陽の光に目を細めながら見上げた左右の土手には、相変わらずブラッドエルフの守備隊が整列している。
パチ、パチ、パチ……。
寸分の狂いもなければ抑揚もない拍手には、もう慣れた。彼らなりに勇気を称え、無事の生還を祝してくれているのだ。
……パチ、パチパチ、パチペチ、パチパチン……。

(え? ずれてる?)

ヘップは目を凝らす。無表情で拍手を送る守備隊。……に、混じって手を叩く灰色の存在――
「バァバ!」
「ヒヒ…おかえり。これから食事だろう? 大食堂で待ってるよ」
そう言ってバァバは大きな袋を担ぎ直し、ひょいと土手から姿を消した。ヘップたちは呆れた顔を見合わせ、真っすぐ伸びる赤の道を足早に歩きはじめる。

◇◇◇

昼夜問わず交代で塔を守備する戦士たちのために、大食堂の扉はいつでも開かれている。
ヘップ、サヨカ、ルカ、ホーゼ、ジーラ、シン、そしてバァバの7名は、10人掛けの大きなテーブルを囲んでいた。7つのコップに、7つの薄い金属製トレー。飾り棚に並べられた料理を、各自が好きに取ってトレーに盛るのがこの大食堂の方式だ。
「セラドさんは元気になりましたかー?」
全員が着席し、いざ食事というタイミングで尋ねたのはサヨカだった。

(オイラに気をつかってくれたのかな……)

ヘップは心の中でサヨカに感謝し、横目でシンの反応を窺う。彼は山盛りにした謎の肉をさっそく手で掴み、リスのように頬を膨らませている。バァバも鉄板で焼かれた卵―― どう見ても市場では手に入らないであろう謎めいた色の卵をナイフで切り、満足そうに口に運ぶ。もごもごと口を動かし、コップに注がれた真っ赤な液体―― 原材料不明の酒を呷る。シンも同じものをぐびぐびと喉に流し込んでいる。
ブラッドエルフに欠かせない ”血” は、専用の甕に蓄えられているため誤飲の心配は無い。それでも…… と、ヘップたちは心配そうな表情でバァバとシンを交互に見つめ、水が入ったコップに揃って手を伸ばす。
「食べないと戦はできないよ」
バァバが睨むと、5人はしぶしぶ料理に手をつけはじめた。鼻をひくひくと動かしていたジーラは、目をつぶって極彩色の実を口に放り込む。
ブラッドエルフの赤の町は、元はと言えば、水と緑に包まれたタリューの大森林。100年前はさぞかし食にも恵まれていただろう。だが今は。
「ヒヒ…まさか口に合わないとでも言うのかい?」
「そりゃ、だって」
ヘップが口籠る。バァバは鼻で笑った。
「随分とお上品な舌だね」
「食べますよ。……で、セラドさんの容体は」
「相変わらず」
素っ気ない答えに、ヘップは心底残念そうな顔を見せる。
「あぁ、いい報せもある。ドーラが快復した」
「えっ」「お婆様が!?」「ホッホ!」「やったじゃんヨ、ジーラ!」「良かったですね~」「隊長、誰ですそれ? ねえ、オババ、誰ですそれ?」
吉報に全員の顔がぱっと明るくなった。一刻も早く言葉を交わしたい…… そんな想いを抑えきれぬジーラはブロンズ色の目を爛々とさせ、細長い尻尾を振る。
「何かきっかけが?」とヘップ。
「きっかけねぇ……。ま、詳しい話はノチホド」
はぐらかすバァバの顔と語調に、ヘップは何か穏やかでないものを感じ取る。
「ヒヒ…前向きに考えようじゃないか。ドーラの復活。そしてこの6人も、今こうして全員生き残ってる。つまりは上手くいってるってことさ。で、何階まで進んだの」
「13階です」ジーラが答える。
「13。少し遅いが…… まずまずだね。どうだい? 塔の中は。アタシもヤコラから聞いた知識しかないからね…… バァバ知りたい。どうなの。ドゥナイ・デンと比べて何か気づきは」
ルカがヘップの二の腕を肘でつついた。地の魔窟と天の塔、どちらも中層階まで経験しているのは彼だけだ。ヘップは右手を顎にあて、記憶を整理しながら喋りはじめる。
「えーと…… オイラ、ドゥナイ・デンのダンジョンは15階までなので、その範囲で。あっちとはだいぶ違いますね。上に行くにつれて罠や魔物の違いが顕著です。強さは…… まあ、同じくらいかな? 構造は迷路状で、ドゥナイ・デンと似ていますね。チャンバーに似た部屋もありますが、ゲボクはいません。あ、リフトもありません。比較的安全なルートさえ把握すれば、階段での往復はそれほど苦労しないですけど……。あとは…… あとは、そうですね、生臭くないです。うん、清潔感というか。どれも今のところの話ですが」
「お宝は?」
「お宝? うーん…… エルフの遺品を身に着けている敵はちらほら。自作したと思われる武具のほとんどは魔物の皮や骨が素材で、鉄や鋼を打つような技術は無さそうです。地下資源やハンターの遺品が豊富なドゥナイ・デンとの違いですね……。オイラたちにとっちゃ使わないモノばかりでしたが、持ち帰れたぶんはこの町の鍛冶場に譲りました。敵に再利用されたら嫌ですし」
バァバは興味津々といった顔で耳を傾け、繰り返し頷く。
「その調子、その調子。あと10日で最低でも18階まで頼むよ」
「え?」
「ヒヒ…行けるだろう? 2日で1フロアのペース」
「ババア、簡単そうに言うけどヨ」
ルカが口を挟み、険しい顔で続ける。
「階段を登るたびに敵は手強くなってる。つられて道具や魔素の消費量も上がってる。持ち込める食糧にも限りがある。あっちこっち調べながら進むには補給が必要。その補給には往復が必要。往復には時間が必要。上に行けば行くほど時間がかかる。2日で1フロアは無理。わかるヨな?」
「クク…このバァバに講釈とは立派になったもんだね。補給の心配は要らないよ」
「あ? どうするんだヨ」
「お前さんたちが最短、比較的安全なルートさえ調べてくれりゃ、昔みたいな犠牲を出さずに補給隊が動ける。本番に向けた慣らしとしても丁度いい。優秀な人員で固めるから安心、安全。ま、死人が出ないって保証は無いがね」
「ホッホ…… 暗く狭い空間。油断できぬ戦いの連続。交代しながらの仮眠…… 精神的にどこまで耐えられるかという不安もありますな」
「ヒヒ…そこは気合で」
「気合いだぁ? ふざけんなヨ」
「大真面目。その辛さはアタシたち先人が一番よく知ってる。お前さんたちなら出来る。だから選んだ。それに敵も、封印も、マイペースな探検隊なんぞ待っちゃくれないのさ。事実、ドゥナイ・デンの――」
「あのー!」
ペロリと料理を平らげたシンが元気よく挙手した。
「ハイ問題児くん」
「塔って壊せないんですかぁ? 倒壊させるのは難しそうですけどね。せめて外側から壁を壊せれば? あとは魔法や怪鳥でビューンと21階に行けちゃいますよね? 高位のメイジが束になれば穴ボコくらいは開けられるんじゃないですかぁ? ここの兵隊さんに訴えてもジロっと睨まれるだけで相手にしてくれないんですよねぇ」
ヘップは驚いた。”登らねばならない” と思い込んでいたし、そんな話をブラッドエルフに持ちかけていたことも知らなかった。
バァバは俯きながら小さく笑い、両手でバツの字を作る。
「ハイ、問題児くん残念。この100年でその手の作戦はやり尽くした」
「ちぇー。ならそう言ってくれればいいのに。ブラッドエルフってむっつりタイプですか? おかわり持ってこよ」
シンが席を立つと、今度はヘップが口を開く。
「バァバ、ドゥナイ・デンがどうかしたんですか。さっき何か言いかけて……」
「アー? ああ、エー封印がね。解けちゃった」
「え……」
「ま、何とかやってるよ。その辺の説明もノチホド。まずはコレ」
バァバは絶句する一同をよそにトレーを脇に退け、大きな袋をテーブルに乗せた。ドスン、と大きな音が響き、コップが倒れる。
「これは?」
ヘップが小声で尋ねた。静かに食事をとるブラッドエルフたちの視線が痛い。
「クク…。アレだよアレ」
「アレ?」
「さっそくお披露目…… といきたいけどね。場所を変えようか。まずはその皿の上のモノを完食しな。さ、はやく」
なら、わわざわざテーブルに乗せなければいいのに。一同はそんな言葉と料理を一緒くたに口に含み、渋い顔で咀嚼する。

◇◇◇

大食堂をあとにした一行は、赤の町での生活用に宛がわれた一軒家に戻っていた。さほど大きくなく、贅沢な造りではないが、個室も用意されており、6名が心身を休めるには充分な間取りだ。
「エー、コホン。アー、では、名前を呼ばれたら受け取りに来るように」
共用の居間。雑然と置かれた椅子に座る6人に注目されながら、バァバは鼻歌交じりで大袋の紐をほどく。そして腕を突っ込んでゴソゴソと動かし…… 鞘に納められた1本のダガーを取り出した。
「ハイ、これはヘップに」
「オイラ?」
手招きされたヘップはダガーのグリップを掴み、思わずため息をこぼした。飾り気の無い革巻きの鞘からそっと抜いてみると、剣身が淡い虹色の光を放つ。
「それは【忘却の】ミスリルダガー。今回配る武具のうち、武器はそれだけ。いつまでもチンケな刃物を使ってるアンタにピッタリさね。毒塗りが通用しない敵、硬い敵…… そのダガーなら急所をサックサクだよ」
「ホッホ…… あの鉱山で手に入れたミスリルが遂に、ですな?」
「ソ。アタシの大まかなオーダーをもとにバテマルが最高の仕事をしてくれた。AFFIXに関してもそう。ドゥナイ・デンと敵は違えど、必ず役に立つはずさ。超一流の鑑定師であるアタシが太鼓判を押すよ」
琥珀色の左眼を光らせ、バァバは自信たっぷりの笑みを浮かべる。

「ハイ、次。これもアンタに。【無限の勇気の】ミスリル胴着」
「わ、軽っ……」
あまりの軽さにヘップは驚嘆した。ダガーと同じ輝きを放つ鎖帷子はまるで絹のシャツのように薄く、軽い。シンが駆け寄り、ヘップの横から覗き込む。
「おっ、私のとオソロイですね? でもそっちの方が良さそうだなあ。無限の勇気? いいなぁ。新品だし。いいなあ。とっかえっこしません? ねえ隊長、ねえねブッ」
バァバの前蹴り。シンは踏みとどまれぬまま元いた椅子に着席し、勢い余って背後に倒れ後頭部を強打した。

「順番に。いいね? ハイ、次はルカ」
「アタイ?」
立ち上がったルカが、疑るような顔で歩み寄る。
「ばばーん。【化身の】ミスリルグリーブ」
「はん。拳が命のアタイに脛当て?」
ルカは鼻で笑うが、一目でそれが超のつく一級品であることを見抜いていた。
「ソ。お前さんがストライカーだからこその選択。脚の強化は拳の強化、ってね…ヒヒ」
「ま、せっかくだから貰っておくヨ」
ルカは嬉しさを押し隠して椅子に戻った。

「次。サヨカ」
「はい~。うわぁ、素敵ですねー」
青白磁色のフードつきローブを長身の体に当て、サヨカはその場でくるりとターンした。翡翠色の髪と丈長のローブがふわりと舞うと、ホーゼは孫娘を眺めるような目でウンウンと頷き、褒め称える。ルカは少しだけムッとした顔をするが、それはエルフの美しさに対してではなく、ホーゼに向けられている。
「【聖者の】ミスリルローブ。モリブ名物マウンテン・ラムの糸を織り交ぜたドワーフとの合作だね。敵の目を引かないよう色は加工済。きっと役に立つ」
丁寧にお辞儀をしたサヨカは、軽い足取りで椅子に戻る。

「エー、次はー、ホーゼ」
「ホッ? 意外ですな。私の持ち物はどれもなかなかの品ですぞ」
「コレはソレ以上だよ」
椅子の上にちょこんと座るホーゼめがけ、バァバは小さな帽子を円盤のように投げた。
「ホッホ…… これは…… これはホッホ……」
両手でキャッチしたホーゼは垂れた瞼を上げ、鍔広の三角帽子をまじまじと見つめる。
「【魔人の】ミスリルハット。それもローブと同じ素材。色やサイズはお前さんがいま被っているものと同じにしてあるよ」
「お気遣いに感謝ですな。後生大事にすると約束しましょう」
さっそく帽子を替えたホーゼは、隣のルカに「どうですかな?」と披露する。ルカは満足そうに頷き、鍔の角度を少しだけ調整してやる。

「次、シン」
「エッ? ヤッタ! やったっ、やったっ!」
指をくわえていたシンが飛び上がり、バァバから虹色の腕輪をもぎ取った。さっそく右の手首に嵌め、三日月目で舐めるように見つめる。
「それは【執念の】ミスリルバンド」
「執念? ハハッ! 諦めが早い私とは無縁そうな名前ですね! で? 効果は? 効果は? 効果は?」
「少し黙ってな。後でまとめて説明するから」
シンは踵を鳴らして敬礼し、スキップで椅子に戻る。その様子を眺めていたヘップの顔は、無意識に強張っていた。バァバにミスリルを託した時期から考えれば、腕輪はセラドのために作られた物だ。

「ハイ。次は特別も特別な逸品だよ。ヘップ」
「またオイラ?」
バァバが投げてよこした小物を右手で掴み、手のひらを確認する。指輪に似た形の装飾具で、小さい目玉のような宝石が埋め込まれている。
「それは【バァバの】ミスリルイヤーカフ」
「え?」
「耳飾りって言えば分かるかい?」
「いや、そこじゃなくて…… バァバの、って言いました?」
「ソ」
「…… AFFIXが、【バァバの】?」
「ソ。バテマルがベースを作り、アタシが特別な加工を施したからね」
「片耳だけですか?」
「ソ。ま、つけてみな。左右どちらでも構わないよ。耳たぶじゃなく、耳の端っこを挟むように」
ヘップは言われた通り、その装飾具を耳介に近づける。
「イタッ! かっ、噛まれた?」
「ヒヒ…大袈裟な。若きホビットがハッスルしてポロリしないようチョイと細工をね」
なるほど手で触ってみてもグラつきがない。ヘップは試しに頭をブンブンと振ってみるが、落ちるどころかずれる気配すらない。
「……これ、着ける意味あります?」
「ありあり。大ありだよ。さ! これにてミスリル・フェスティバルは終了」
バァバは空になった袋を部屋のすみに放り投げ、「アー疲れた」などと呟きながら背筋を伸ばす。
「なあババア、ジーラにはねーのかヨ」
「ア? ご、ざ、い、ま、せん」
「あぁ?」
「ルカさん、お気遣いなく」
穏やかな口調からして、それが本心であることはルカにもわかる。
「でもヨ」
「よいのです」
そう言ってジーラは起立し、己が身に着けている黄金色の防具をひとつひとつ、誇らしげに指し示す。
「我々ヴァルキリーは皆、この防具を身に着けます。胸部、前腕、膝、この3つです。それに、尻尾の先に装着する武器も。これらすべてに祝福を受けた特別な金属が使われ、我々の身体の動きに合わせて作られています。他には何も要りません」
「なら、いいけどヨ…… ババアがケチったのかと」
「クク…アタシはそこまで考えているのさ。有限のミスリルで戦力を底上げするとなれば、この配分が最適。さ! 大切に使っとくれ。お代は生還してからゆっくり分割で払ってくれりゃいい」
「「「は?」」」
丸い目が一斉にバァバに向けられる。
「カネ取るのかヨ」
「アー? これほどの超級品をタダで? 寝ぼけたこと言うんじゃないよ。まったく。安心しな。お前さんたちが手に入れたミスリルだ。材料費は要らない。必要なのはエー、ミスリルの情報提供料とバテマルの鍛冶代。それと鑑定料ね。大陸を救う戦士たちのため、バァバ特別大特価でのご提供さ」
「ホッホ。価値ある物には相応の対価を、ということですな。そうそうバァバ殿。塔の件で少々困っておりましてな……」
「なんだい」
ふたりは呆然とするヘップらを差し置いて、何やら相談をはじめる。
「……で、何か心当たりがあればと」
「ヒヒ…面白そうだね。塔に水場。ドゥナイ・デンのダンジョンにはいくつもあるが、そういう類の敵は知らないね」
「フムゥ」
「アタシがいりゃ圧勝の予感…… だけどね、面倒を見てやれる時間は無い」
「困りましたな」
「クク…策が無いとは言ってない。こりゃあいいタイミングだから開催しちゃおうかね」
「ホ? 開催、とは」
「会議」

【第16話・完】

【第17話に続く】

いただいた支援は、ワシのやる気アップアイテム、アウトプットのためのインプット、他の人へのサポートなどに活用されます。