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ダンジョンバァバ:第4話(前編)

目次

「大国メンデレーの王妃が口にした依頼内容は、世界を股に掛ける探検家の私ですら耳を疑うものだった。”ダンジョンの未確認生物が見たい” 。その一言でこの旅は始まったのだ。私の探検記を手に取る読者諸君であれば、カナラ=ロー大陸の南西、セイヘン地方のダンジョンについて知る者も多いだろう。だが…… その地下深くに知られざる巨大な ”泉” があり…… そこには ”幻の生物” が生息している。そんな噂を耳にしたことはあるだろうか? そんなものは荒唐無稽な噂話だ。私はそう言って依頼を断ることもできた。だが…… 承諾した。なぜか? 私のカンだ。そいつは、いる。その事実を証明するためには多くの危険を乗り越える必要があるだろう。だから私はいつもの面々に声を掛けた。今回、危険を共にする仲間は4人。選抜に於いて重要なのは過去の信用、未来の信頼、そして腕前。いずれも最高の奴らが揃った。王妃から授かった支度金で万全の準備を済ませた我々は、幾日も馬を駆った。山を越え、谷を抜け…… いくつかの王国領をまたぎ、時には野盗を蹴散らして。流行り病に倒れ、下痢に苦しみ下着を汚したことも…… オイ。オイちょっと待て」
読み上げていた探検帽のドワーフは不満そうに視線を上げ、向かいの席に座るサイオニックを睨んだ。
「ハィ? …ゴェー」
エールを喉に流し込んでいたサイオニックは、気の抜けた返事をしながらゲップを吐いた。若く端整な顔立ちを台無しにするように眼鏡がずれ、短めの赤毛についた強烈な寝癖は朝からそのままである。
「下痢のくだりは要らない。削除だ」
「えー? 削除って簡単に言いますけど下に文章が続いているわけで…… 頭から念写しなおしじゃないですか。筆でピッピと線でも引いておけば……」
「ダメだ。”原本” になるのだからな。それにまだ大した文量じゃない。いつも通りやってくれ」
「辺鄙な所まで苦労して辿り着いたぞ! て感じが伝わっていいかなと思ったんだけどなあ」
「確かにそういう描写は大事だ。だが探検隊のリーダーであるこの私が恥ずかしい思いをする必要はない」
「うーん。恥ずかしいですかねぇ」
サイオニックは眉毛をハの字に曲げ、口を尖らせる。探検帽のドワーフは紙を突き返すと口髭を撫で、大きな鼻から溜息を吐いた。
「いいか? 状況を咀嚼し、一瞬で文章を組み立て念写していくお前の才能は大したものだ。ダーム王国の『記録屋』を何人か雇ったことがあるが…… お前は特別優秀と言えるだろう。特にこの挿絵。これは素晴らしい。私がポニー…いや雄々しい馬に跨る絵の遠近感。旅の仲間と焚火を囲んで笑う私の凛々しい顔。そしてこれが特に良い。野盗に向かって立ち向かう私の背中。読者も実際にその場で見ているような気持ちになるレベルの念写だ」
「えへへ。照れますね。じゃあ下痢はイキで?」
「……お前のそういう所が理解できんのだ。他の3人はどこに行った」
「明日に備えて寝る、って宿屋に戻りましたよ。しかしこのエール美味しいですねえ」
数刻前にドゥナイ・デンに到着した探検隊は、数日ぶりにまともな食事にありついた。宿屋のニッチョが振るう料理の美味さに驚き、今はニューワールドでバグランが提供するエールの美味さに感心している。
「そうか。まあしっかり寝て、しっかり働いてくれればそれでいい。それじゃあ…… 私たちはインタビューだ」
「えー」
「いいからついて来い。記録を忘れるなよ」
言いながら立ち上がったドワーフは、あらためて店内にサッと視線を走らせる。

(店員も客もそのままのはずだが……)

入店時に観察した店内と変わっていない。低いカウンターの向こうでエールを汲むドワーフ。その隣、高いカウンターに料理を並べる坊主頭の男。セルフ方式のため酒や料理をテーブルに運ぶ従業員はいないが、客が下げた食器を器用に重ねて店の奥と往復しているホビットがひとり。客は3グループ。ハンターと思われる5人組と3人組が、それぞれのテーブルで顔を真っ赤にしてエールや葡萄酒を呷っている。店の端の小さなテーブルには2人の男が向き合って座り、先ほどと変わらずカードで賭け事をしていた。
―― 以上のはずだった。しかし…… 賭け事のテーブルからやや近い席に、フードを浅く被った老婆の姿があった。他の客の倍ほどもありそうな巨大な木製コップを傾け、エールをガブガブ飲んでいる。

(おや? あのバアさんいつの間に? ……血の気の多そうなハンターばかりの店内で平然と……。ああいう年寄りはこの地を良く知っている可能性が高い。顔が利く可能性もある。うまく使えば情報だけでなく…… この集落で動きやすくなるかもしれない。よし決めた。インタビューの相手は変更だ。気難しいかもしれないから…… 下手に出るんだよ、こういう時は……)

ドワーフは老婆のテーブルの前に立つと探帽子を脱ぎ、ずんぐりとした身体の背筋を伸ばした。撫でつけていたシチサンの黒髪がハラリと額に垂れる。
「静かにお楽しみのところ申し訳ない。私、探検家のテンガチと申します。少し宜しいで」
「ヨロシくない」
「エッ?」

―― ここはどの王国領にも属さず、半ば歴史から忘れ去られていた不毛の地、セイヘン。ある放浪者がセイヘンでダンジョンを発見したのは、1年と6ヶ月前のことだった。ダンジョンの上に建つ修道院。それを囲むように遺棄されていた小さな小さな廃村…… 数世紀前のものと思われる名無しの集落は、いつしかハンターたちの間でドゥナイ・デン(=儲けの地)と呼ばれるようになった。

第4話『テンガチ探検隊』(前編)


「いや、あの…コホン。少しだけお時間を頂ければと申したかったのです」
「くどいね黙ってな。観戦中」
老婆が顎をしゃくった先は、賭けテーブルだった。カードを手に互いの表情を探り合う男2人が、それぞれかなりの額と思われる札束を無造作に積んでテーブル中央に押した。緊張の一瞬。テンガチも思わず黙って見入った。
「クラブのロード。ハートのクイーン」
長髪に無精髭の男が手札をテーブルに並べ、ニタリと笑った。
「ハートのロード… ダイヤのキン…… アアァァァ!」
絶叫したもう一方の大男がテーブルに突っ伏し、ドスドスと床を踏みつける。
「もう一度言うから覚えておきな。オレの名はセラド。またいつでも受けて立つぜ。……で、バァバ。コイツらは?」
札束と葡萄酒の瓶を両手に立ち上がったセラドが、バァバのテーブルに席を移した。獲物を狩る鷹のような目でテンガチとサイオニックを睨む。
「さあ。知らない。アンタまたイカサマの腕を上げたね」
「イカサマじゃねーっての。今回は観察力。で、何だアンタら。その恰好…… 観光にでも来たか」
”観光” 呼ばわりされてムッとしたテンガチだが、これはチャンスとばかりに笑顔を取り繕い、胸を張って挨拶した。
「突然申し訳ない。私、”探検家” のテンガチと申します。今は宿屋にいる3人と合わせ、総勢5名でここドゥナイ・デンのダンジョンを調べに」
「へぇ、調査」
「ええ。ご存知ありませんか? 『テンガチ探検記』。何冊か本も」
「知らねーなあ。有名人サンが何を調べるのさ」
「ここのダンジョンの地下にあると言われる……」
「あると言われる? ナニ? もったいぶんなよ」
「泉……ッ!」
「泉? どの泉だ?」
「エッ?」
「いや幾つもあるから。大小取り揃えてございます」
セラドが座ったまま、冗談めかした仕草でお辞儀した。
「え、その、そうですよね。……10階。地下10階と聞いています。もしや場所をご存知ですか?」
狼狽えながらテンガチが答えると、セラドの顔が引きつった。
「10階だぁ? あれはまあ…… 階段降りて北東にチョイと行けばすぐに見つかるとは思うが……」
「エッ? 知る人ぞ知る秘境では?」
「いや、ドーンとあるぜ。だが……」
「だが……? 何です?」
テンガチの目がギラリと光る。
「何の………… 何の、調査だ? 水質調査か? あそこは飲んでも下痢とかしないから問題無いぜ」
「今の下痢も削除ですか?」
念写していたサイオニックが言った。

(この生意気な男の反応…… 10階と聞いて明らかに態度が変わったぞ。口籠もりやがって…… やはりいるのだ! 幻の生物が。そしてこの男はそれを知っている。隠そうとしている! ここはズバリ訊いて反応を……)

「あの、下痢は……」
サイオニックを黙らせたテンガチは髪を撫でつけ、真剣な眼差しでセラドを見据える。そして…… 仰々しく口を開いた。
「今、貴方の反応を見て確信しました。……ご存知ですね? 地下10階の泉。私の目的は…… そこに生息する幻の生物。その名は…………ドゥッシー」
「ブゥーッ! ……カハッ、ゴホ」
セラドが飲みかけの葡萄酒を豪快に噴き、そしてむせた。自慢の探検着を汚されたテンガチは眉間に皺を寄せる。
「 ……アー、すまん。ああ床まで…トンボに怒られる……。いきなり笑わせんなよ。反則だぜ」
「笑わせたつもりはありませんが」
「オイ真剣かよ…… 聞いたかバァバ。ドゥッシーだってよ」
「ヒヒ…面白そうじゃないか。案内してやったらどうだい? バードが適任」
「ハァ? 御免だぜオレは」
「不要です」
苛立たしげに様子を伺っていたテンガチが2人の会話を遮った。
「……お気遣いどうも。ですがガイドは不要。これは私の探検のモットーです。自らの力で苦難を乗り越え、辿り着くからこそ…… 最高の探検記が生まれるのですから」
「ホラ! 必要ねーってさ。……でもアンタら、どうやって10階まで行くんだ? ここ初めてだろう? 見たところアンタじゃチョット……」
「ご心配なく…… コレがありますから」
テンガチはニヤ、と笑い、斜め掛けの革鞄からキーを2本取り出した。予想外の品を目の当たりにしたセラドの顔が、にわかに険しくなる。
「おいそれ、リフトのキーじゃねぇか。5階までと、10階までの」
「ええ。ある御方から譲り受けましてね……。これがあればあっという間、と伺っています。そうなんでしょう?」
金で手に入る物は金で解決すれば良い、と、メンデレーの王妃が買い付けた物だった。
「そのキーはアンタらには過ぎた物だ。やめとけ。……死ぬぞ」
断定的な鋭い口調に一瞬たじろいだテンガチだが、それで諦める男ではなかった。

(今度は脅しだと? ……こういう脅しの裏には下心あり。まさか幻の生物が隠した財宝? 横取りを危惧して? あり得るぞ…… 引き下がるものか…… 一度火が付いたこの探検魂は消えないのだ……!)

「大丈夫です。最高の仲間を揃えています。力自慢のウォリアー。未踏の地に欠かせないメイジ。怪我の治療にはプリースト。そしてリーダーの私と、この男……」
「アンタ名前は」
バァバが口を挟んだ。きょとんとしたテンガチは首を軽く傾ける。
「え? いや、ですからテンガチ…」
「アンタじゃない。サイオニック」
「え? ああ、この男は…」
「アンタに聞いてないんだよ。なあダームの坊や、名前は」
「ハィ? ボクですか?」
テンガチの背後で念写に励んでいたサイオニックが呆けたような顔でバァバを見た。
「そう」
バァバは、サイオニックが羽織るローブ…… その胸元に刺繍された紋章を凝視しながら頷いた。
「スカイです」
「ダーム? ダームって、サイオニックの聖地って呼ばれているあのヤベー国か? 何で分かった」
セラドが興味津々といった顔でスカイを上から下まで眺める。
「服装でね。もう少し聞きたいこともあるけど…… まあいい。アタシは帰って寝るよ。ま、探検ガンバッテ。ドゥッシーだっけ?…クク」
バァバが立ち上がる。
「じゃ、オレも宿屋で風呂でも浴びるかな。今日は快勝。……お、まだ入ってた」
同じく立ち上がったセラドは、葡萄酒の瓶をチャプチャプと揺らしてニコリと笑った。テンガチが慌てて2人を呼び止める。
「あ、あの、まだお尋ねしたいことが」
バァバは振り向きもせず店を出て行った。
「なあテメー……探検家のテンガチさんよ、オレは言ったからな?」
「何が…ですかな?」
瓶をグイと傾けて飲み干したセラドが、テンガチの目を見て言った。
「やめておけって」

【後編に続く】

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