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ダンジョンバァバ:第1話(前編)

青白い光を放つ楕円形のポータルからまろび出たメイジは、毛髪と肉の焦げた臭いを撒き散らしながら仰向けに倒れた。
遺棄された小さな修道院。半ば崩れ落ちた屋根から覗く空。一昨日…… ここから地下へと ”潜る” 時に見上げた綿菓子のような白雲は、冷ややかな雨を滴らせる暗雲に変わっていた。メイジは呻き声をあげ、握り拳を床に叩きつける、叩きつける。

(クソ…… クソクソ! クソッ! チクショウ! せっかく手に入れたのに……!
だから欲張るのはやめようって言ったんだ。もう帰ろうって。なのにアイツら! 雇われの身で!…………いや、違う… 私はどうだった?)

ポータルが音も無く消滅し、石床が背中から熱を奪ってゆくにつれ、メイジは冷静さを取り戻す。

(……確かに私は渋っていた。5階でアレを見つけて。そろそろ帰ろう、もういいじゃないか、そう言っていた……。が、しかし。さっきはどうだ? 噂に聞いていた部屋…… 『チャンバー』とやらを見つけた時。私は明確に反対したか? 私もいつの間にか欲に? 駆られていた? 内心期待していた? 財宝。名声。裕福な生活。……そうだ。確かに私たちにはそうさせる勢いがあった。即席グループとは思えない快進撃。5階まで順調すぎたのだ。だから私は…… 3人が『チャンバー』の扉を開けるのを制止しなかった…… ハハ。言い訳ばかり思いつく。私も同類か。馬鹿だ。何をやっているんだ。クソ。妻と娘が必要としているのは財宝なんかじゃない。私は何をしに来たんだ。……しかしクサイ。クサイな…… 焦げた……)

メイジは慌てて上体を起こし、クンクンと鼻を鳴らした。赤黒いローブの袖や裾を確認する。続けて鍔の広い帽子を脱ぎ、脂ぎった髪と無精髭を乱暴に掻く。その手を執拗に嗅ぐ。……無事。
「ハーーーッ」
肺に溜まった異臭と安堵をすべて吐き出そうとしたメイジは、ピタリと息を止めた。無様な姿を晒したことに気づき、おずおずと周囲を見回す。天候のせいで暗然としているが、夜ではない。静寂。誰もいない。住人も。「近ごろは財宝狙いのハンターもめっきり減りましてね」「集落の住人はほとんど修道院にゃ近寄りませんよ」宿屋を営むハーフリングの言葉を思い出す。

(しかし…… 実際に出くわすとは。闇に呑まれたようなドス黒い目。ゲボク。あれはメイジのスペル…… ランクは4か? 5? 私より上なのは間違いない。3人とも一瞬でバーベキューみたいになって。奮発して買った脱出用のスクロールを胸にしまっていなければ私も…… クソ、臭いが鼻の穴にまでこびりついて……)

数分前の地獄絵図を思い出して吐き気を催したメイジは、こみ上げてきた胃液を飲み込んで立ち上がる。

(ロストした戦利品はどうでもいい。しかし、しかし! アレはもう一度採取して…… 持ち帰らねば。ピピコのために。そうだ。私はそのために危険を承知でにここまで来たんだ。手ぶらで帰る? ありえない! よし… よし。落ち着け。採取した場所は覚えている。ふたたび潜ればいい。ひとりでは無理だ。同行者を雇う。また金が要る。金。金……)

ローブの下で腰巻にしていた革のポーチを開く。中身は数種類のハーブと飲み水、魔素の石。そして…… ピピコがくれたお守り。金は、無い。大半は雇いの前払いで消し飛んだ。残ったわずかな金も、4人分の道具と食料の調達に費やされた。しかしそれらも「運びやすいように」などと迂闊な考えでひとまとめにしていたせいで、全て灰になった。道中で入手した戦利品も、せっかく見つけた目的の品も、全て。
3日前、この集落にたどり着いたメイジは当然のように「半値は出来高払いで」とフリーのハンターに交渉してまわったが、引き受ける者は皆無だった。そもそもハンターの数が少ないことにメイジは驚いた。その時、彼は知らなかったのだ―― ダンジョン発見から1年経った現在、ここが「ベテランでさえいつ死んでもおかしくない過酷な場所」として恐れられ、身の程知らずの二流、三流ハンターが激減している事実を。そして多くの場合「仲間の死体から所持品を回収する余裕さえ無い」という厳しい現実を。よってフリーを雇う際は全額前払いが暗黙のルールだった。「金の代わりに戦利品は譲るから」などと提案しても誰ひとり食いつかない。独り身のメイジが誰かの助けを借りてダンジョンへと潜るには、あらかじめまとまった金が必要なのだ。

メイジは己が身に纏うローブをじっと見つめ、逡巡する。

(これ… しかないか。【耐火の】エメラルドローブ。このマジック・アイテムのおかげで命拾いしたが…… あのゲボクメイジと戦うことはもう無い。売って金に…… 父さんあの世で怒るだろうな。ゴメンよ。時間が無いんだ。酒場で買いそうな奴を…… いや、宿屋の近くに武具屋があったな。声を掛けてきたバアさんの店…… 買取もやっていると言っていた。このローブは結構な金になるだろう。何より手っ取り早い)

メイジは意を決して修道院を後にし、荒れ果てた集落の中央通りを歩いた。

―― ここはどの王国領にも属さず、半ば歴史から忘れ去られていた不毛の地、セイヘン。ある放浪者がセイヘンでダンジョンを発見したのは、1年前のことだった。ダンジョンの上に建つ修道院。それを囲むように遺棄されていた小さな小さな廃村…… 数世紀前のものと思われる名無しの集落は、いつしかハンターたちの間でドゥナイ・デン(=儲けの地)と呼ばれるようになった。

◇◇◇

第1話『バァバの武具屋』(前編)


「3000イェン」
「エッ!? 嘘!?」
押せば倒壊しそうな粗末な小屋に、上ずり声が響いた。

腐りかけた一枚板のカウンターに両手を突き、肌着姿の男が復唱する。
「3000?」

「そう。3000」
品定めを終えたバァバは、赤黒いローブをカウンターに放って丸椅子に座るとパイプ煙草に火をつけた。薄汚れたグレーのローブ。浅く被ったフード。先ほどまで不気味な光を放っていた琥珀色の左眼は白髪まじりの前髪に隠れ、今は白黒の右眼だけが肌着の男…… メイジを見据えている。

「私の故郷なら10000イェンはくだらないはずですが……」
「3000。ここはアンタの故郷じゃない」
「ア、AFFIX付きのマジック・アイテムですよ?」
「【耐火の】ね。【耐炎の】ならもう1000出していいが。言っておくけどこの程度のブツはゴロゴロザクザクなんだよ。平和じゃないから」
バァバは言外に ”嫌なら帰れ” という意思を込め、プカプカと煙を吐き出す。交渉の余地無し。ドゥナイ・デンに武具屋はこの一軒のみ。そして確かに彼の故郷は血生臭い戦いと長く無縁であり、マジック・アイテムは価値のわからぬ貴族が大枚を叩いて蒐集する骨董品扱いであった。
「……わかりました」
「ヨロシ。2000もありゃ酒場でテキトーに3人雇えるさ。1日、2日はね。アンタはメイジだから肉の壁2枚と…… 今回は後衛にひとり加えるといい…ヒヒ」
「な、なぜそれを」
バァバは商談成立したローブを背後のカゴに放り込み、金の装飾が施された箱から分厚い札束を取り出す。指を舐め……1、2、3枚。
「簡単。アンタが一昨日、ウォリアー3人を引き連れて修道院に向かって行くのが見えた。そして単身ショボくれ顔で帰ってきたと思えば一張羅のローブを売却。わかりやすい。はい、3000イェン」
3枚の紙幣を受け取ったメイジは下唇を噛み、悔しさに震えた。
「順調だったんです。前衛が肉弾戦で次々と。でも5階…… 地下5階で『チャンバー』を見つけて…… 欲張ってしまった」
「欲張りはいけないね。ヒヒ…。5階ね。敵の強さもトラップも厳しくなるあたりだ。相性やレジストに気を配らないアホはアッサリポックリ当たり前。多くのハンターが死ぬフロア…… そのまま死ねる三流はラッキーさね。ゲボクにされずに済むから」
「まるで行ったことがあるような言い方ですね」
「ヒヒ…。ここでこの商売やってるとね。いろいろ見聞きするのさ。アンタ、焦って口先だけのザコを雇わないように気をつけな…… まぁそういうアホはおっ死んで随分減ったが」
「人を見る目は… あります」
「そうかい。とは言えそんな身なりじゃ誰も寄り付かないよ? これ、安くしとくから。買うかい? 誰も買ってくれなくてね」
バァバは言いながら、カウンターの下から飾り気のないローブを取り出した。一目でノーマル・アイテムと分かる。ただの服と言ってもよい。
「……幾らですかそれ」
「500イェンです」
「たかっ……! でも他に選択肢は…… 無さそうですね」
メイジはあらためてボロ小屋…… 武具屋の中を見渡す。木製の小屋。壁、床、天井、いたるところに高価そうな武器・防具が展示されている。ニュービー向けの装備は少ない。そもそも店の広さの都合上あまり品ぞろえは良くない。バァバの後ろには、張り紙が2枚。それぞれ『当店のルール(絶対)』『オトクな特典が魅力』と見出しが読めるが、その下に続く文字は極小かつビッシリで、何が書かれているのか分からない。
「買うのかい?」
「あ、はい。お願いします」
メイジは先ほど得た紙幣の1枚をバァバに渡し、代わりにペラペラのローブと500イェン硬貨を受け取る。
「マイド。ついでと言っちゃなんだが、そのブレスレット…… なかなかだ。5階でヒーコラしてるメイジが持つ代物じゃないね」
バァバの左眼がギラリと光り、その視線がメイジの右手首に注がれる。
「こ、これはダメです! ローブと違って… これは嫁いでくれた妻の、妻の一族が私に…… いずれは娘に」
「20000」
「ノー」
メイジは首を振る。
「25000」
「ノーです」
メイジは首を振る。固い意志が伝わる表情。
「チッ。売っちまえばその金で5階くらいラクショーなのにね。価値が分かってるとも思えない」
「すみません。世間的な価値は知りませんが…… 私の大切な物です。売らずに達成してみせます。ああ急がないと…… 妻と娘が故郷で」
「どこ」
「え?」
「故郷」
「あ、ああ、…イムルックです」
「イムルック! そりゃご苦労様だ。馬の脚でも10日はかかる」
バァバは大袈裟な声を立てて目を丸くし、パイプを咥えなおした。
「ええ。ここでマンビョウゴケが採れると聞いて」
「なるほどね。奥さんかい」
「いや、娘です。ピピコって名で。そりゃもう可愛くて…… まだ2歳ですよ!? 人生これからって時にあんな病に。なんで。なんで私の幼い娘が!」
天に訴えかけるように叫んだメイジはハッと我に返り、バツが悪そうに口を噤んだ。
「ま、がんばりな。実際アレは効く…ヒヒ…はい、これ」
バァバはカウンターに3枚のコインを置いた。
「これは?」
メイジは問いながらその1枚を摘みあげ、両面を確認した。イェン硬貨に似たサイズだが、質感が明らかに違う。片面には『1』と数字が刻まれ、反対の面には『B』の文字。
「うちのポイントサービス。1000イェン取引ごとに1ボル。いくつか貯まるごとに特典。今日のアンタは3ボル」
バァバが親指を立てて背後の張り紙を指したが、やはり文字がよく見えない。
「ま、みんな貯め込む前に死んじまうけどね。ヒヒ…」
「なるほど。しかし…… 私には不要なものです。すぐに潜って、5階のマンビョウゴケを採取し、故郷に帰る。そして家族と幸せに暮らす。それで終わりです」
メイジはコインをその場に残したまま踵を返し、ローブを羽織って小屋を後にした。バァバはその背中を眺め、ゆっくりとパイプを燻らせる。
「だといいね。ヒヒ…」

◇◇◇

メイジが急ぎ足で去ってから半刻。小屋で居眠りしていたバァバは静かに瞼を上げた。ドゥナイ・デンに向かって街道を走り来る蹄の音。
「馬四頭。商売商売…ヒヒ」
バァバはカウンターをヒラリと飛び越えて小屋から出ると、集落の入り口に目を向けた。ぬかるんだ土を跳ね上げながら疾駆する馬には、無駄としか思えない豪華な甲冑が着せられている。その馬に跨る4人もまた、遠目にも眩しい煌びやかな装備に身を包んでいる。ただしその装備のほぼ全てがノーマル・アイテムであることを、バァバは一瞬で見抜いていた。
「金持ち御一行。商売繁盛…ヒヒ」
バァバがほくそ笑んでいる間にグングンと近づいてきた一行は歩調を緩め…… 彼女を見下ろす距離で停止した。先頭を駆けていたパラディンが樽型のフルヘルムを脱ぎ、笑顔を繕う。金色の長い髪をかきあげるその青年の顔には傷ひとつ見当たらない。イビルシャーマンに高く売れそうなブルーの瞳。1本も欠けていない真っ白な歯……。
「老婆よ、宿…」
「宿屋はそこ。酒場はこの先しばらく行って右… 『ニューワールド』って名前の溜まり場さ。店先にアンタのヘルムみたいな形した酒樽が山積みされてるから分かるよ」
「貴様! 何たる無礼! この御方はプラチナム王国の第5王子…」
「よせ。こういう場所だ。いちいち気にするな。ゆくぞ」
旗を掲げて激昂する中年ウォリアーを諫め、王子と呼ばれたパラディンは馬の腹を蹴った。
「ここは武具屋。買取もやってるからよろしく。エンチャントやリロールはお隣さんで対応してるよ…ヒヒ」
背中に投げられた一声を無視し、宿屋に向かうパラディン。上等なシルクローブを羽織った女プリーストがすまし顔で続く。周囲に目を配っていた若男のレンジャーも警戒を解いてショートボウを背負い、馬を方向転換させた。

残ったウォリアーは怒り収まらぬといった表情で、馬上からバァバを睨み続ける。一方のバァバは素知らぬ顔でパイプ煙草に火をつけ…… プカプカポッポと音を立ててから、つまらなそうに口を開いた。
「アタシの顔にパン屑でもついてるかい? アンタも宿屋でキレイサッパリして、酒でも飲むといいさ。あそこのドワーフが造るエールはウマイ。酔ったまま地下に潜って死ぬアホがいるくらいさ…ヒヒ」
「この、薄汚いババアめ……!」
ウォリアーは旗をドンッと突き立て威嚇し、バァバに向かって痰を吐……こうとした瞬間。馬が突然立ち上がって嘶き、ウォリアーを振り落とした。バァバは背中を強打して悶絶する男を見下ろし、わざとがましく言った。
「おやまあ! お馬さん急にどうしたのかねぇ。アンタ大丈夫かい? 診療所は宿屋のヨコだよ。……それとアタシはババアじゃなくてバァバ。ここではそう呼ばれてるからヨロシク…ククッ」

後編に続く


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