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RB.02 | 100年前の育児書籍を読む

国立国会図書館にデジルコレクションというものがあり、多くの書物がネットから見れるようになっています。ほんとありがたいですね!!

今回、ご紹介するのは約100年前に書かれた『育児の心得』。当然、何千年も前から教育はあるわけですが、昔のものをいざ目の前にするとやはり驚きますね。

『育児の心得』三田谷 啓(著)
 出版年月日:大正12(1923)

三田谷 啓 コトバンク参照>
1881-1962 大正-昭和時代の教育者。知的障害児のための治療教育学を富士川游にまなぶ。大正7年大阪市社会局児童課長となり、児童相談所などを創設、9年には月刊誌「母と子」を創刊した。昭和2年芦屋に三田谷治療教育院をひらき、4年日本母の会を設立。13年現在の翠丘小学校をひらいた。

1923年…関東大震災だったんですね。
とはいえ、時代の空気感としては明治に続き近代化が進み、政治・社会・文化において男女平等や民本主義、自由主義が活発化した大正デモクラシーの頃。まぁ、過激になりすぎちゃった思想運動や共産主義的な考えを取り締まろうって、治安維持法が制定されたりした頃でもあります。

さて『育児の心得』ですが、第一章は”結婚”からとかなり気合・・・笑ってはいけないんでしょうけど、えぇ?と思わず笑ってしまいました。しかし、ページ数は503と結構なボリュームです。

目次
序論 こどもを育てる方針
第1章 結婚
第2章 結婚より妊娠まで
第3章 妊娠、出産、産褥
第4章 初生児 及び 保乳児の栄養
第5章 初生児 及び 保乳児の養護
第6章 幼児の栄養 及び その養護
第7章 乳児 及び 幼児の病気
第8章 幼児の教育

著者は迷信を断じて、科学的な根拠を元に話をすべきだというスタンスに立っており、示せていない部分や今は否定されていることもあると思いますが、全体を通しては良い資料であり、かつ、同じ日本でいながら時間的な文化比較となる面白い資料だと思います。

これから紹介していくわけですが、ネガティブな話から入る点はご容赦ください。

結婚について
まず、出生する子の良し悪しは生む女性のせいではなく、男女ともに責任がある。よき子供を生むためには父母ともに健康でなくてはならない。という話がある序章であるのですが、”第1章 結婚”では、身体異常、機能的/精神的な疾患を患っている者や犯罪者とは結婚すべきないことや、優れた者同士からは優れた子供が生まれるという話や”アメリカの劣種禁婚法について触れて採用すべきとしています。

優勢思想的な面も垣間見えてますし、科学的思想や社会秩序の発展がやや行き過ぎて、人権が脅かされていた時代なんだなと。

妊婦の精神の持ち方・過ごし方について
妻を思いやるべきという話が記載されていた点については、この時代をほとんど知らないですが、この時代にあっては斬新なのでは?と思いました。

※上の写真の続き
夫は第一妊娠中の妻の心の平和を保つよう普段より一層その取り扱いを注視し、また、姑などもこのてんにつき十分に心掛けていることが肝要である

産婦人科的な医師がいた点について
出産にあたってはその準備や産婆の知識量や熟練度について触れています。そのあたりも当時を知る上で面白いのですが、自身に疾患があるなら医者を呼んで産んだ方がいいと書かれており、この頃には今の産婦人科医のような医師が少なからずいたんだなと感慨深くなりました。
また、別の箇所では日本児童学会もすでにあったようで、幼児をこの頃から研究して学会もあったとは驚きでした。


早期教育について/玩具について
根拠は示されてませんが、神童に育てようと多くのことを教えようとすると後で損することになるとあり、早期教育がいつの時代もあるのものだなとニヤっとしました。


ページがだいぶ飛んで玩具の選び方の話で、”気質”に合わせた玩具の話に知育的な記述が見られるので、遊びの中での学びがこの頃からあって、目的別に乳幼児に与えるおもちゃがあったのではないかと面白く思いました。


後半は子供の性格に合わせた玩具の紹介なんですが、根拠や理由が知りたいなぁと思ったり・・・。

子供の躾け方について
干渉主義/放任主義/中間主義とよくある話ですが、”良き習慣をつけることができれば躾け方の目的も達成する”とあり、習慣化の偉大さを書いてる点はなるほどなと。

幼稚園について/子供の絵本について
著者自身が学校を作っていることもあってか、幼稚園と絵本についてページを多めにさいており、教育観点で非常に重要視していたことが伺えます。
子供用雑誌は多いが絵本が少ないと嘆いており、子供用雑誌が多かったんだと驚きました。また、文字サイズが小さいと姿勢が悪くなる、近視になるなど、ユーザビリティ的な話もあり面白く思いました。

こどもを罰っすることについて
よき教育者は罰なしに子供を育てられるとあり、罰を用いるのはやむをえぬ場合にだけにせよとあります。実際は多く世間に罰を用いられているという記載もあり、体罰が意味のないことと理解していた教育者はこの頃はまだ少なかったんでしょうね。

以上、基本的には今と変わらない考え方が多かったですが、時代の空気感をもっと知っていれば、きっと行間の読み(ニュアンスの捉え方)も違ったのかなと思います。とはいえ、100年前の本が見れて非常に面白かったです。


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