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なぜ私の母は、毒親になりえたのか?

河合隼雄さんのムック本を読んでたらこの問いが浮かんできた

とにかく私にとって
母の言動はビッグクエスチョン。
大いなる謎と混乱だった。

度を越して長時間(数時間)
叱り続ける、怒り続ける。
境界線侵入が侵され続ける。
過保護・過干渉・過剰コントロール。

幼い頃の蜜月の時期もあったからこそ
乗っ取られたように激しい反応を続ける
その落差が意味不明だった。

外から見たら、お育ちの良い
朗らかな社交的なとても気を使う
高齢者ぐらいの印象だろうから。

そして世代的に
心理学もコミュニケーションの学びも広まっていなかった。
私がどれだか母の言動に苦しんでいたかというのを
伝えると、母が己の暴力性・破壊性を心底恐れて罪悪感にさいなまれてるのがわかる。

1945年産まれの過剰エネルギーを持った母が
「専業主婦こそが女の幸せ」と
その枠に入らねばならぬと、行ったのが
悲劇とも言える。

そして、「専業主婦こそが幸せ」と
母の母、祖母に言い聞かせたのが
祖母の姉だ。

この祖母の姉、当時で三重県松阪の田舎から
お茶の水女子大学に行って、
理系に進み、博士号に進み教授職になった。
(時代的にスゴイ話である)

のだが、リケジョ最先端の走りの彼女は
男性の研究者や同僚から壮絶な嫌がらせや
実験の邪魔を受けて、
かわいい妹&その娘たちに
「女は、専業主婦になるのがいちばん!!」と
言ったそう。

ちなみに、祖母の父は
「女には教育は要らん!!」と
祖母の姉が大学に行くのは大反対、
絶縁で仕送りはなく、
祖母の母が代わりに仕送りをしたそう。
祖母は、そんな姉の様子を見て
「父親に逆らうのはあかんな」と悟ったので

父から可愛がられ、
嫁入りの際にトラック2台分の嫁入り道具&
1週間の結婚式が続いたそうである。

つまり「親の言う事・価値観に従わねばならない」という
母方家系三代は
筋金入り。

私はそこから離脱すると決めたのを
覚えてるけど

死物狂いで「自殺するものか」
「家系に殺されるものか」
「親を殺すものか」と
やってきた感じ。

最近は私の半径ではあらゆる人間関係が
全方位に平和になってきたが
ふと顔をあげると
まだまだ、そんな話は世の中に溢れてる。

リケジョが少ない、
理系女子はモテないよと言われる、とか
ジェンダーギャップ指数が世界最下位って
全然他人事どころが
親子三代の
自分ごとド真ん中だな・・・としみじみ。

先日も母親が「医学部を受けろ」と長年言い続けて
娘が母を殺した、という事件があったが
全く他人事ではない、と震え上がった。

(そのルポ本も出てるけど
自分の反応が恐ろしすぎて読めない)

30代に入っても
ヒステリックに叱られ続けて
逃げ回って家出を続けた私としては

教育虐待・マルトリートメント・健全な境界線は
ライフワークで学び続けるだろう。
そして自分を整え続けるだろう。

ジェンダー
性教育、NVC、GFL,
共感的なコミュニケーション、
西洋占星術、
などなど・・・

「母性社会 日本の病理」(河合隼雄)や
「母という病」(岡田尊司)を
持ってこなくても
「母親」というものの
素晴らしさと こどもの人生を殺す恐ろしさの
両方を痛感している。

最近は、NPO法人・リスニング・ママプロジェクトという
20分間子育て中のお母さんの話を
無料でZoomで聴く団体で学んだり
コミュニケーションを学んだお母さんの言葉を聴いて
やっと母の苦悩と苦しみがわかってきている。

私が結婚したくない(いままでの付き合った人には
ほぼ必ず『結婚したい』とは言われてきた)、
結婚にダーク過ぎる未来しか見えない、
こどもなんて産んだら、母親の毒親子育てを
下に無自覚・無意識に連鎖するのが恐ろしすぎる。
というのは、この母親への
大きな謎の恐ろしさがあったからだなあ。
と思う。

幼い頃、母に
「お母さん、しあわせになって」と言うと
「そんなこと言わないで!!しあわせになってと言われるのはツラい!!」と顔を押さえて叫ばれて
どうしようもない悲しみと
孤独に立ち尽くしたのを覚えてる。

うつ病がひどかった20代後半、
希死念慮(自殺しようとする思い込み)で
ぐるぐる脳内を回ってたのは
「私が死ねばこの家系の流れを断ち切れる」だった。
ちなみに、母の姉、叔母の娘たち(私からするとイトコ)は
若くして亡くなっていると最近知った。

母は口が重く、多くを語らないが
どうも若い年齢で自殺に近い亡くなり方をしているらしい。

それを聞いた時
「私は(この家では)生き延びたな」と思ってしまった。

要するに、
マルトリートメント、教育虐待的な子育てが祖母世代から続いてるのだ。
しかし、祖母世代はこどもが5人いたし田舎で
環境も違った。

母世代のエネルギーと賢さを持った女性が
専業主婦の枠に入り、
愛着形成がしっかり無い核家族で
どんな悲劇が起きるかを
見せてくれたのが、母きょうだいとも言える。

これは、私が大人になって
コミュニケーションや心理学を学べば学ぶほど
合点が行っている。

母方祖母は、社長令嬢から
お嫁にきて、そして戦争中・戦後に
土地を奪われ、殺されるかもという中で
なんとか生き延びて5人の子どもを若くして育てた。

叱り続けた恐怖政治の育児コミュニケーションになったのも
「アメリカ兵に乱暴されないために」という恐怖や
戦争から生き延びるところからの
あらゆる恐怖からの
縛り付け・叱りつけ
村八分を恐れる外側からどう見られるかの厳しい叱責を
していただろう「世間」の構造が
どんどん見えてきている。

上野千鶴子さんの「女の子はどう生きるか」を
Audibleで聴きながら
こんなことを、つらつらと考えている。

知識が理解が、助けてくれる。

そしてこれほど理解したいほどに
私は母や、祖母が大好きなのだ。

「個人的なことは社会的なこと」
これからの女性に、
いやどんな人にも大人にも
生きやすい社会を作っていきたい。

そして、
私は私でしあわせに生きていく。
私は私の人生を創っていく。