総合型(AO)入試と筆記試験、どっちがいいの?その前に妥当性の話をしよう

総合型選抜(AO)入試が増えている

日本の大学入試では、従来の筆記試験に代わって総合的に人間の能力を決める「総合型選抜」が増えているみたいですね。これは一昔前に、AO入試と呼ばれていたものみたいです。

この話題は議論に絶えず、たびたび自分のTLでも蒸し返します。

大体の場合この議論は、「結局、どちらの方法が良いのか?」という点に集中します。しかしこういう議論を見かけては、研究者(心理学者)として、とても腑に落ちないことが一つあるのです。
決定的に欠けている、本来、一番最初にすべきである議論。。。


「妥当性」の問題です。


妥当性とは?

検査やテストを使うときって、測りたいものがあって、その数字を使って、何か意思決定をしたいときですよね。学問分野である心理測定においては、妥当性という概念が一番重要になります。妥当性とは、以下のように定義できます:

測定したいものが測定できているのか

ダイエットをしていて、自分の体重を測りたいときは、どちらの方法を選びますか?

  • 50m走のタイムを測る。多分、そうはしないですよね。

  • 体重計の上に乗る。出てきた数字を使って体重を測りますよね。

この場合、「体重を測りたい」という目的に対して、50m走は妥当性が低く、体重計は妥当性が高いと言えます。妥当な検査とは、自分の測りたい目的に対して、きちんと測ることができている検査であると言えます。

公平性も妥当性

検査を使って他人を評価する際に、一つ特徴があります。それは、妥当性は公平性を意味することです。

小学校の運動会で、リレーの選手を四人決めたい時に、体重を基準にして一番軽い四人を選手に決めたらどうでしょう?これは不公平ですよね。「リレーの選手を決めたい」という目的に対して、体重が妥当な数字ではないからです。検査やテストの数字を使って人を選抜する際には、妥当性の問題と公平性の問題はセットになります。妥当な検査とは、公平な検査とも言えます。

奇妙なことに、今の世の中、いろんな数字や数値が溢れています。その結果、それぞれの検査が本来測定する数字が、自分の知りたい目的に対して妥当であるのかどうか、公平であるのかどうかを、擦り合わせることがとても難しくなってしまいました。

何を測りたいのか?測るべきなのか?

妥当な検査というのは、自分の測りたい目的に対して、適切な検査であると定義しました。しかし、ここで最も重要な問いがあります。それは、

「自分の測りたいモノが何であるべきなのか?」

という問いです。この問いにまずは答えなければいけません。これに答えることができて初めて、数ある検査の中から妥当な方法を選ぶことができます。

  • 自分の体重が知りたいから、体重計に乗って体重を測る。

この記述には不自然な点が一つあります。なぜかというと、この状況において体重が測るべき対象なのかどうか、客観的な正解がないということです。

ダイエットをしたくて自分の体重を測りたいなら、体重を知ることが果たして正解でしょうか?

体脂肪を測った方が正解なのでは?
BMI(Body Mass Index)を測った方がいいのでは?
友人から聞く見た目の印象を聞いた方が、適切なのでは?
(そもそもダイエットをすることで、自分の望んだ結果が期待できるのか?)

何を測りたいのか、測るべきなのか、という問いはとても主観的です。統計やデータは自動的に答えを出してはくれません。方向性のない問いなので、何が正解かもわかりません。しかし、検査を開発する側、選ぶ側、使う側は、この問いに必ず答えなければいけないのです。最初に測る目的を決めなくては、妥当な方法を選べないからです。

人材要件定義を例に

人事部が新卒を採用するとしましょう。残念ながら、定員が決まっていて、それ以上の候補者が応募してきました。選抜しなければいけません。どういう選抜方法が一番妥当でしょうか?

妥当な選抜方法とは、「人材要件定義(どういう人材が欲しいのか)」という目的によって違ってきます。

芸能プロダクションで、モデルを採用したいとします。この場合、容姿が淡麗であることが業務上必要なので、見た目を基準に採用する方法は妥当でしょう。しかし、見た目の重要さが業務と関係のないIT企業のプロダクトマネージャーを選抜するのなら、容姿を基準にした選抜方法は妥当性が低いということになります。

あなたがマーケティング関連のSNSを開発するITベンチャーの人事部だとします。どういう人材が欲しいですか?この問いにまず答えなくては、妥当な選抜方法を決めることは不可能です。

まずは人材要件定義が定まらないと、妥当な方法を選ぶことができません。しかし人材要件定義に正解はなく、社会的にフェアなのかどうかなど、様々な要素を考慮しなくてはいけません。

もう少し明確な例は司法試験です。

弁護士の資格を問う司法試験は、当然、法律に関する知識を問うのが妥当ということになります。司法試験の中に、地理や物理といった、関係のない知識を問う問題が含まれてしまっては、妥当性は下がってしまいます。弁護士のように、人材要件定義が明確に決まれば、自ずと試験内容は固まってきます。(試験の信頼性はまた別の話。。。また今度。)

自分が測りたい目標や目的といったことは、まずは自分で定義しなければいけません。目的が決まって初めて、それを測る方法を選べる状態になるからです。どの目標や目的が正しいのかということは、客観的な正解がないのでなかなか決めることが難しいのです。

ビジョンがない

ここで大学入試選抜の話に戻ります。詰まるところ、この議論には一番大事な問い「どういう人材が欲しいのか」というビジョン(vision)がないのが問題だと思っています。「何を測るべきなのか」の議論が全くないのです。山中伸弥教授がノーベル賞を受賞した際に、こう語っていました。

「日本人はハードワークはするけどビジョンがない」と教わった。


ビジョンに正解はありません。しかし、「将来自分はこうありたい」という主観的な欲求や、理想を思い描くことが大事なのです。それさえ決まれば、それを達成するための妥当な方法を吟味して、開発していけばいいのです。

大谷選手からも見習いましょう。明確なビジョンがありました。

大谷翔平選手による高校時代の目標設定

日本の大学にはどういう人材が必要なのか?

どういう選抜方法が一番妥当なのかを議論する前に、本当に議論しなければならない問いは、以下のようなことです。

  • どういう人材が欲しいのか?

  • どういう人材に育てたいのか?

  • 大学の役割とはどうあるべきなのか?

  • 日本社会は何を持って公平とみなすのか?

  • 日本人が定義するフェアな選抜方法とは、なんなのか?

  • いま日本社会が直面する状況において、どういう人材が増えればもっと良くなるのか?

これらの問いに対して答えが曖昧であるままでは、妥当な選抜方法を選べるはずがありません。アメリカや欧米がやっているからといってただ真似するのでは、その方法が「自分たちの測りたいこと」を測れているのかが分からないからです。

筆記試験

筆記試験には、学力を測るという目的があります。それには、開発者の本来の目的と、作られた時代の背景や社会のニーズが存在していて、それらが前提としてあります。果たして筆記試験が、自分たちの目的に対して妥当な方法でしょうか?筆記試験は、どの科目を含むべきでしょうか?また、筆記試験で入学できる生徒を選抜することは、フェアでしょうか?

総合型(AO)入試

総合型(AO)入試はどうでしょう?誰がどういう目的で開発して、どういう文脈の中で使われているかを知っていますか?その本来の目的が、いま自分たちが測りたい人材を、測れる妥当な方法だと思いますか?

妥当な選抜方法は目的で決まる

想像してみてください。「世の中全て運で決まる、運こそが公平だ」と思っている人たちのみで作られた社会があるとします。こういう社会では、大学入試はくじ引きで決めるのが一番妥当な方法だということになります。自分たちの価値観・目的に一番適切な方法を選んでいるので、完璧に妥当です。どの試験方法が良いのかどうかという問いは、自分たちの目的が決まれば、答えることができるのです。

ビジョンを持とう

日本社会が大学教育に期待することは何なのか。どういう人材が、これからの社会に必要なのか。現代の日本人が思う「公平な社会」とは、何なのか。

総合型(AO)入試と筆記試験、どっちがいいの?この答えを決める前に、まずはビジョンを決めよう。


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