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ウォーキングと思索【ながら歩きの勧め】(3−23)

俳句が好きなら吟行してみよう。
創作しながらのウォーキングは脳を活性化する。

吟行の敷居が高いと感じる人は、自分との対話を楽しみながらウォーキングしてみては?

吟行したり、自分と対話するには言語化が必須。
言語化により、脳は活性化する。

結論:言語化しながらのウォーキングは脳を活性化させる


言語化しながらウォーキング

ただ歩いているだけでは、脳に届く情報は少ない。
脳に届く情報が少なければ、脳の活性化の程度も少なくなる。

脳に届く情報を増やせば、それだけ脳は活性化する。
そのためには情報収集のアンテナを立ててウォーキングする必要がある。

例えば自然に興味がなければ、美しい自然の散策路を歩いていても、情報は脳を素通りして消えてしまうだろう。

だから脳を活性化するためには、興味関心をもって散策路を歩く必要がある。

自然に興味関心を向けながらウォーキングする。
そのことを言語化すれば、思索しながらウォーキングになる。

要するに言語化しながら、思索しながらウォーキングが脳を活性化させるのだ。

吟行をしてみよう

自然の中を歩いたり、名所旧跡を訪ねながら俳句を作ることを吟行という。

吟行には、『歩くこと・観察すること・考えること・言葉に置き換えること』など、脳を活性化させる要素が凝縮されている。

脳を活性化するのが目的なら、自己流でも構わない。
チャレンジすることが、脳の老化の予防には大切なのだと思う。

とはいえ筆者は、吟行というより記録をつけながら歩いている。

記録をつけないと、
「さあ、執筆しよう!」
の段階で、歩きながら考えたこと、そのきっかけとなる風景や景色、季節の移ろいなど執筆するのに重要なことを忘れてしまっている。

自分と対話しながら歩いてみよう

筆者は友人と話しながら歩くのも好きだし、一人で歩くのも好きだ。

若い頃は単独行(一人で山登り)は好きではなく、山岳部の仲間と一緒に山に登るのが好きだった。

今は主に一人でウォーキングを楽しんでいる。

楽しみ方はそれぞれ、若い時と今と今後、同じ人でも違うけれども、どちらにしても良さがある。

筆者の場合、単独行をしたい時は非日常を体験したい時、だろうか。
友人と話しながらウォーキングしたい時は、モヤモヤした気持ちを整理したい時、人と話したい時など。

例えば、筆者はウォーキング中はいつでも、非日常のアンテナを張っている。
どんなことに非日常を感じるのかのアンテナを張っていないと、日常の風景に紛れ、何も感じずに通り過ぎてしまう。

なので非日常を体験したいなら、言語化するつもりでのアンテナは必須。

例えばモヤモヤした気持ちを整理するにも、言語化は必要だ。
言語化の過程で、モヤモヤは霧消する。
そして言語化の過程で、脳は活性化する。

まとめ

普段の生活の中では、自分を見つめ直す機会は滅多にない。

「忙しいから」
と言い訳をしていては、心身ともに老化するばかりだ。

暇な時間があっても、歩こうと思う人は稀だ。
通勤の行き帰りを工夫するなどして積極的に歩く時間を作り、ながらウォーキングし、思索すべきなのだ。

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