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“幸せの定義”

とは、何だと思いますか??

少し前まで、お酒の席で深い話をするのが好きで、よく“美味しくご飯が食べられることだ!”と主張してきました。(浅いじゃん)

確かに、食べ物に困らない国に運良く生まれて、
つまり食べられること自体がとっても幸せなことで、誰かがそれを調理してくれる環境があり、
それを美味しいと感じられる感性を持っていることも、それを共有する相手がいることも、
とっても幸せなことです。

生まれて此の方食べることが大好きすぎるわたしは、
精神を病んでも食べないという時はほぼないくらい食を欲し、食が唯一の楽しみであるくらいでした。

だから幸せ=美味しくご飯が食べられること
だとよく感じていました。

これは正しいと思うし、
というか間違っていたとは感じませんが、
最近、実家に帰省したり、弟が旅行に来てくれたりと家族に接することが多かったためか、
その際幸せについて考えることが増えました。

わたしが最近思う“幸せ”とは、
人を幸せにすること”なのかもしれません。

まず、“幸せ”とは、
自分自身が強く満足できるのはどういう理由、または時であるか?
というものであると考えるので(簡潔に言うと最大の自己満足)、
“幸せ”には人それぞれの考え方と定義があり、
決まった定義はないことを了承の上、
暇つぶし程度に読んでいただけたら幸いです!笑


結論から言うと、わたしは最近、
人を喜ばせること”が幸せなのではないかと考えるようになりました。
それは、喜ばせると同時に自分の存在価値を知ることができるからかもしれません(本当に自己満足)。

例えば、まだ出来ていないけど、
ここまで育ててくれた両親へ最高の親孝行をすることは、
両親にとってもその気持ちや行動が嬉しいことだし、
わたしはとても幸せだなと感じると思います。

また、誰かの誕生日を心からお祝いした時。
相手の喜ぶ顔を見た時、また感謝された時、
とても嬉しい、幸せな気持ちでいっぱいになります。

また、つい最近実家に帰省した際に、
母親に自分のこと、鬱のこと、人生のことを
話し、
生きていてくれてよかった」と言ってくれた時、とても幸せを感じました。

生きているだけでわたしは喜ばれて、
それを幸せだと感じました。

だからきっと私もみんなも、
生きているだけで誰かを喜ばせたり幸せにしているはず…
周りにそんな人いないよ、って人もいるかもしれないけど、私は誰にも死んで欲しくないし、
あなたが生きていて幸せです!

鬱が酷い時は、周りのことなんて考えられないし
漠然と「死にたい」しか考えられないけど
心に余裕がある時は自分のことだけじゃなくて周りのこと、大切なもの、こと、考えられるように生きよう…。

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