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大倉コレクション-信仰の美-:2 /大倉集古館

承前

 近世以降の名のある絵師による、仏教画題の作も出ていた。
 狩野探幽《探幽縮図》からは仏画を模写した断片を、英一蝶《雑画帖》からは、不動明王の像にチャンバラを仕掛ける悪ガキを描いた《不動尊に悪童図》を展示。

 冷泉為恭《山越阿弥陀図》(江戸時代・1863年〈文久3年〉)は、京都・永観堂の作例(国宝)をはじめとする中世の山越阿弥陀図を踏まえた作で、同時に新味も感じさせる。

 とくに、山水表現がすばらしい。
 復古やまと絵の旗手であり、古典学習をよくした為恭。ここには《春日権現験記》のような中世絵巻の研究が活かされていると思われるいっぽうで、その型を脱した、「守破離」の「離」といえる境地がみえる。峻厳さの奥に柔和さを秘めた岩肌、木々、流水。飽くことなく眺めた。

 これら絵画や彫刻に加えて、古経切や古典籍も展示。多くの所蔵先は「東海特種製紙」となっている。「彩られた紙―料紙装飾の世界―」(2020年)でも多数出品があった企業で、前身の東海パルプは大倉財閥の一角、現在も大倉喜八郎を創業者のひとりに位置づけているから、その関係の寄託品なのだろう。

 ——本展にはおそらく「裏テーマ」がある。
 関東大震災である。
 現在の大倉集古館の建築は2代目で、最初の建物は震災で全焼、このときに全収蔵品の7割ほどが灰燼に帰している。100点あった日本の仏像は、20点となってしまった(日本の仏画60点は難を逃れた)。
 今回の出品作品はほぼすべて、かろうじて震災を潜り抜けた作品ということになる。天衣が欠け、髻が落ちた仁王像、やはり破損のある釈迦如来像なども出ていた。
 焼失した《乾漆十大弟子立像》のうちの1体についても、往時の姿がわかる絵はがきの写真を拡大してパネルで特集。こちらに関しては、ことさらに焼失が悔やまれた。
 《十大弟子立像》は、《阿修羅像》をはじめとする国宝《八部衆像》とともに、奈良・興福寺の旧西金堂を飾った像。興福寺に6体が現存して国宝に指定され、ほか4体は巷間に流出。うち《優波離尊者像》を大倉喜八郎が入手していたものの、被災してしまったのだ。
 関東大震災から、2023年でちょうど100年。悲劇の起こったその場所で、当時に思いを致すのであった。


 ※大阪市立美術館の田万清臣コレクションのなかに、《十大弟子立像》の頭部と伝わる像があり、これは昨年サントリー美術館の「美(み)をつくし 大阪市立美術館コレクション」展で拝見していた。興福寺旧蔵《十大弟子立像》の行方については、こちらのサイトに詳しい。

 ※前回の展覧会「合縁奇縁」では、震災のことがより大きく取り上げられていたらしい。



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