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大雅と蕪村―文人画の大成者:4 /名古屋市博物館

承前

 蕪村からも1点選ぶとすれば、やはり《富嶽列松図》(愛知県美術館)だろうか。
 3月に府中の蕪村展で観ているにもかかわらず、訪問前にも熱い期待を寄せていた本作。

 富士の高嶺の、目が醒めるような白さ!
 淡墨と代赭の塗りむら・はみだしが、えもいわれぬ余情を醸す。松の木の描線のまちまちな太さも、ざっくらばんでよいものだ。
 富士の麓に行くと末広がりの稜線の長大さに驚かされるが、大横物という本作の体裁は、まさにその驚きを再現せしめる。その場で、のけぞってしまうのだ。ある意味、写実以上。

 このあと、大雅・蕪村の没後に田園生活を実践した尾張の画人・丹羽嘉言の紹介と、文人画の大成者としてしばしば比較の対象とされてきた大雅・蕪村の評価史に触れて、展覧会は終わる。

 本展のどの章でも、起点は「名古屋」となっている。
 大雅と蕪村の前=彭城百川、後=丹羽嘉言、中林竹洞で、3人ともに名古屋の人だ。下郷家の章や尾張俳壇の章はいわずもがなだが、「近江蕪村」こと横井金谷までもが名古屋の人脈に連なるとは。
 名古屋という場所、名古屋市博物館という館でこの展示を開催する意義が、そこかしこにある。
 意義を満たすべく、関連する資料や作品が出し惜しみなく展示されていたいっぽうで、背後には紹介しきれない蓄積がまだまだ控えているのだろうなと思われた。先日の根津もそうだったが、そう感じさせる展示は、掛け値なしに「いい展示」だ。

 本展の出品作品は、前後半で大きく入れ替わる。
 蕪村の《夜色楼台図》(個人蔵)も、銀地の《山水図屏風》(MIHO MUSEUM)も、大雅の《瀟湘勝概図屏風》(個人蔵)も、わたしは観られていないのである。《五君咏図》の別の図にもお目にかかりたい。
 東京―名古屋間はそう遠くない。また向かおうか……(つづく



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