ことしの祇園祭:4
(承前)
写真の「蟷螂山(とうろうやま)」は、カマキリを戴く人気の舁山(かきやま)。
「蟷螂の斧」といえば「身の程知らず」「無謀」といった表現だけれど、ここでは「勇猛果敢」の意になるとか。
このカマキリ、からくり仕掛け。ときおり鎌をふるい、見得を切るように威嚇行動をとるのだが……このたび拝見できたのは不完全で、貴重な姿であった。片方の鎌が、もげてしまっていたのである。
※もげた瞬間の映像
側面から見ると、手前側・左前脚の先端がなくなっていることがわかる。
鎌が片方ない状態でも、からくりの動きは継続。見得を切るたびに、沿道からは大きな歓声があがるのであった。
この「カマキリの鎌がもげた」一件が、ことしの祇園祭・前祭で起こった “2大事件” のひとつといえよう。
ただ、関係者いわく「からくりでは、こういうことはつきもの」(朝日新聞より)とのことであるし、完走はでき、からくりも動いていた。全国ニュースで目立って報じられることもなかったようだ。
いっぽう、“2大事件”のもうひとつは、それこそ大事件。
9番めを行くはずだった「鶏鉾(にわとりほこ)」が立ち往生、巡行を中断してしまったのである。原因は、木製の車輪の一部が剥がれてしまったことにあった。
10番め以降の山鉾に追い抜かれるのを待ち、鶏鉾は鶏鉾町に引き返していった。町内のみなさんの無念、いかばかりか。
御池通で山鉾を観ているさなか、関係者らしき方々の立ち話が聞こえてきて事態を知るに及び、急いでSNSを開いた。鉾と鉾のすれ違いにあたり、屋根の上に乗る「屋根方」が全身を使って奮闘しているさまが、動画でいくつも上がっていた。蟷螂山の件も、このときに知った。
その後、御池通沿いには7番めの「綾傘鉾」、8番めの「保昌山」に次いで、くじ取りでは10番めになっていた「霰(あられ)天神山」がやってきた。
前祭の23の山鉾のうち、鶏鉾だけを観ることができないのは、なんとも心残り。なにより、心配である。
最後の船鉾を見送ってすぐに、鶏鉾町へ歩いて向かうことにした。
山鉾を保持する山鉾町は、四条通の周辺に分布している。
途中、すでにゴールを迎え、町内の会所に戻っていたいくつかの山鉾に、再び出合うことができた。ピットインから間をおかずに懸装品が外され、解体されていく。
占出山と同じ通りのさらに奥では、鶏鉾を飛ばして9番めに巡行した霰天神山の解体が進み、すでに木組みを残すのみとなっていた。
同じ通りを左折すると、菊水鉾町。菊水鉾は、まだ到着していないようすだった。
歩いて5分と離れていないような場所がまた違う町となっており、町ごとに異なる山鉾が立てられているのだ。明るいうちに歩いたことで、近さがより感じられた。
菊水鉾町から四条通をはさんで、天を突いてそびえる鶏鉾が見えてきた。
政治に物申すための太鼓が打ち鳴らされず、鶏が留まってしまうほどの天下泰平の世——中国のいわゆる「諫鼓鳥(かんこどり)」の故事を主題とする鶏鉾が、あろうことか走行不能となってしまうというのは、なんとも先行き不安で恐ろしい話。
鶏鉾が、身を挺して厄災を取り除いてくれたのだと考えたい。
鶏鉾を含めた23基の山鉾すべてを見届けて、四条通の御旅所(おたびしょ)へ。
同日の夕刻、八坂神社から3基の神輿と御神宝が出発し、暮れなずむ京の街を行列が練り歩く。その一員にわたしも加わり、この御旅所まで、御神宝を運ぶお手伝いをさせていただくのだ。
行列のスタートは18時。四条通をまっすぐは進まず、ぐるっと北に遠回りして、22時前には御神宝を御旅所へお納め。こちらは、つつがなく完遂。
24日の後祭にうかがうことは叶わなかったものの、ニュースによると「鷹山」が電柱に接触、屋根の一部が落下して関係者2名が負傷し、またゲリラ豪雨にも見舞われたとか……
開催前には「プレミアム観覧席」をめぐる騒動があり、前祭・後祭をとおして波乱続きの、ことしの祇園祭であった。
7月31日の疫神社・夏越祭をもって、祇園祭のすべての行事が終了。京の街は、本格的な夏を迎えている。
※昨年・後祭のレポート。全4回(記事の最後に次回リンクがあります)
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