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ことしの祇園祭:3

承前

 はじめは、1本の矛だった山鉾。
 室町時代になると、町衆同士が競い合うように飾りたて、盛りつけの度を増していき、車輪までつけられ……現在の壮麗な山鉾となった。
 ヨーロッパのタペストリーや中国の織物など、町衆の財力・権勢を誇示する山鉾の装飾は「懸装品(けそうひん)」と呼ばれ、見どころとなっている。山鉾が「動く美術館」と呼ばれるゆえんである。

油天神山。側面につく胴懸(どうかけ)は前田青邨原画の綴織
油天神山を後方から。見送(みおくり)と呼ばれる後ろの懸け布は、梅原龍三郎原画の綴織

 こういった山鉾が、17日の前祭では23基、24日の後祭では11基巡行する。2014年に大船鉾、2022年に鷹山が江戸時代以来の復帰を果たして、この総数となった。
 昨年は、後祭にのみうかがった。今年は逆に、前祭のみ。拝見できる山鉾の数は、昨年の倍以上にのぼるわけだ。
 ぜんぶ観るのはこりゃたいへん……であるが、1966年から2014年までは17日だけの開催で、すべての山鉾を1日で巡行させていたというのだから驚きである。
 本来の姿に復する意味でも、観覧する側の都合からしても、2日開催になってくれたのは非常にありがたい。

 巡行の順番は「くじ取り式」によって決められる。今年は、次の順番だった。

●①長刀鉾→②油天神山→③伯牙山→④白楽天山→●⑤函谷鉾→⑥山伏山→⑦綾傘鉾→⑧保昌山→⑨鶏鉾→⑩霰天神山→⑪芦刈山→⑫孟宗山→⑬月鉾→⑭太子山→⑮四条傘鉾→⑯蟷螂山→⑰菊水鉾→⑱木賊山→⑲郭巨山→⑳占出山→㉑放下鉾→●㉒岩戸山→●㉓船鉾

(●は固定の「くじ取らず」)

  それぞれの名称からわかるように、「山鉾」とは総称であり、いくつかの種類に分けられる。
 まず、大きな車輪をもち、天に向かって長い長い「真木(しんぎ)」を伸ばすものを「鉾」という。

菊水鉾
真木の先端の装飾を「鉾頭(ほこがしら)」という。菊水鉾の鉾頭は菊の花のかたち

 鉾によく似た姿をしているものの、上の装飾が松の木(真松〈しんまつ〉)に置き換わっているタイプを「曳山(ひきやま)」という。

岩戸山。山鉾ではあるが、鉾ではない。「天の岩戸」の神話がモチーフ


 大きな車輪も極端に高い装飾もみられない、箱状の山車が「舁山(かきやま)」。
 かつては、神輿と同じく肩に担いでいたという。現在は下に小さな車がついており、らくらく走行。担棒(にないぼう)は形だけ残っている。

唐の詩人・白楽天にちなむ白楽天山。車輪は目隠しされており、遠目からは肩に担いでいるようにもみえる

 舁山には、中国の故事や日本の神話など特定のテーマをかたどった人形・つくりものが乗せられている。画題や工芸の意匠にも共通する、おなじみのテーマが多い。

 上に挙げた鉾や山に比べれば、バリエーションは限られるものの、「鉾」と呼ばれる種類は他にもある。

  「傘鉾(かさほこ)」。
 古代における傘は、日除けや雨具という以上に、高貴さを示すシンボルであった。
 高い真松の四条傘鉾は、埴輪の蓋(きぬがさ)を彷彿させた。

四条傘鉾


  「船鉾(ふねほこ)」。
 鉾や山と同じく大きな車輪がつくものの、鉾の真木、山の真松のような背の高い装飾を持たない、大海原を往く船をモチーフとしたタイプである。

 船鉾
悠然と進む

 前祭では船鉾、後祭では大船鉾が、巡行の最後を飾る。(つづく


 ※昨年・後祭のレポート。全4回(記事の最後に次回リンクがあります)



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