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パナリ焼展:2 /箱根菜の花展示室

承前

 無頓着、おおらか。
 機械的な量産品・工業製品の均一さとは対極の位置にあるのが、パナリの壺である。

 なぜそんなに不均一で、泰然としていられるのか。
 「南国のおおらかさ」に即座に結びつけられるほど、事はそう単純でもないだろう。

 現存するパナリの壺の多くは蔵骨器、骨壺として、遺骨を入れて土中に埋納されていたものと一般には云われている。
 ところが、今回の主催者であるコレクター・高橋台一さんは、すべてのパナリの壺が、最初から蔵骨器として制作されたわけではないだろうと考えている。
 故人が生前に身辺で用いていたものを蔵骨器に転用して、そのなかに納めてあげようというのは、自然な考えであると思う。骨壺は、あくまで最終的な用途にすぎなかったというわけだ。
 同じく蔵骨器とされてきた六古窯などの中世古窯の壺に関しても、同様のことがいわれるようになってきている。高橋さんの考えには納得だ。

 パナリの壺の欠けや陶片の断面を見てみると、土の粒子はざっくりと大粒で粗く、珊瑚の石灰質が入り混じっている。野焼きで焼成温度は低く、焼き締まっていない。
 そんなものだから、火にかけてぐつぐつと煮込む、重いものを中に入れて運ぶといった用途に耐えるようには、とても思われない。

陶片の断面。「ざっくり」「大粒」

 識者は、パナリの壺が蔵骨器になる前には、水の運搬や貯蔵といった用途を想定している。すなわちパナリの壺の実態は、南国の生活に密着した、れっきとした「用のうつわ」であったというのだ。(つづく


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